セミ=パラチンスク要塞攻防戦⑩
明けて17日。
未だ日の光は届かない月齢なので、母なるユピタルがその大赤班で物憂げに此方を見つめている。
12時間近く寝てしまったという事かと、働かない頭を必死で巡らすノラ。つまりそれは、敵の侵攻も無い、という事だ。
「敵さんの動向は?」
歩哨に立っていたドブロクに声をかけると、目にした双眼鏡を下してドブロクが静かに頭を振る。やはり読み通り、敵の動きは無いという事らしい。
「…パンジール・ウルケーに向けた援軍要請の反応は?」
それに対しても、同様に頭を振ったドブロク。ただし、目線が落ちている。
…まあ分かっていた事だが、パンジール・ウルケーも忙しいのか、もしくはあの扇子男が糸を引いているのか分からないが、増援の意思は無いらしい。
つまり、命令が出ない限り、ノラ達は此処を死守し続けなければいけないのだ。エッラい事になったな…と、思わず空を仰ぐ。
「やぁおはよう、カーラマン」
事務所からメメット中尉が書類を手にして出て来た。
「悪い報せだよ。昨日の攻勢で、もう殆ど弾薬が尽きかけている。あと一回の戦闘分しか残ってないんよ」
「やれやれ……もう懲りて敵さんが来ないことを祈るばかりだよ」
今度はオン二等兵が元気に駆け寄ってきた。
「たいちょー、ちぃーっす! 捕まえたヴ帝国の制服さん、容体が安定したっすよ〜」
おお、そうか。やはり戦争とはいえ、人を直接刺し殺す感覚と言うのは気持ちの良いもんじゃない。何だか罪悪感が晴れた気分になって、周りの他の兵隊達に申し訳なく思ってしまい、あたふたしてしまう。
「あ、ああああ…いや…うん、ま、まあ良かったよ。オンの手当のお蔭だよ、ありがとう。後で様子見に行くよ」
そして部隊へ朝食の指示を出して、そそくさと逃げ去る様に辺りの巡回を始めた。
「チキショーメ…こいつはマジィでさぁね…」
視界の先に居たのはデカ軍曹。彼の視線の先を追うと、西の城壁の先になんと、新規の『アトゥンの火』の部隊が展開しているのが見えた。その数、おおよそ1個連隊(※2000人程)
「向こうは持久戦に持ち込んできたってのか……!?」
「いや…離脱した機甲師団が増援と共に舞い戻ってきた…てな感じですかね」
マズイ……実は西の城壁は修繕が追い付かず、白い紙を貼って誤魔化しているだけだ。当然罠だって準備していない。北側の城壁と違って、こっちを攻められたらあっという間に陥落する。
「こっちはもう弾薬だって残っていないんだ。なんとか北側に移動してもらう訳に行かないだろうかね?」
「……まあ、様子見でしょうね。あちらさんも手痛い目をみてるから存外、威力偵察だけかも知れやせんぜ?」
その時、後ろから息せき切ってドブロクが駆け込んできた。
「ノ、ノラ隊長…緊急指令だズラ!」
指令…という事は、パンジール・ウルケーの主力・アナトリア師団との連絡が付いたという事か。
ドブロクが背負う、通信機の受話器を慌てて取ると、実に抑揚のない機械再生音が耳に飛び込んできた。
『〜セミ=パラチンスク要塞守備隊に告ぐ。こちらはあと数日のうちに大パラチンスク要塞の攻略を完了する。よって、あと5日間の10月23日夕刻まで持ち場を順守すべし。それ以降は増援を差し向ける事が可能。追記…なるべく敵軍を引き付けよ。こちら側に向かわせぬように。繰り返す〜〜』
頭が真っ白になった。
あと5日間、死守しろだって?
しかも、敵をここに繋ぎ止めておけだって!?
「チキショーメ……」
デカが言ったのかと思ってハッとする。自分の顎が動いていたからだ。堪えていた悪態がついにノラの口からこぼれた。




