序章ー③
「汚ねえ格好だな」
そう言ってデカ伍長が渡してくれたのは、黒い軍服。それに国民服の片側の肩掛けと薄茶けた色のベレー帽。一般的なパンジール・ウルケーの服装だった。
「こ、これを着てもいいのかい?」
途端に殴られる。
目がチカチカした。
「よう、ノラ・シアン二等兵。お前はもう誓約書にサインした。そして、ここはもう地獄の軍隊生活だ。一つでも星のある奴に媚び諂うんだよ。だから……」
さらに腹にゲソパンを喰らって、胃液を吐き出す。
「……舐めた口を利かずに、敬語を使え。分かったか?」
「は、はひ……」
「それと、これは先輩からの忠告だ」
「……」
「希望なんて一切持つんじゃねえ。生きていて良かったなんて思うんじゃあねえぞ」
肩章を震える手でさすった。軽い、薄っぺらい星が一つだけ存在感を出している。二等兵の証。
騙された?
いや、この世界で騙し騙されなんて日常茶飯事じゃないか。だったら一刻も早く順応して、巻き返しを図るんだ。それこそが負け犬が生き残れる条件。あのカッファレンギー母さんにそう教わって来たじゃないか。
「ベシ先任曹長、これでなんとか人数は集まりました」
ノラ・シアンが現状を呑みこんでいる間に、さっきとは違って勢いの良い発声で、太った男へとデカ伍長が声を張り上げた。
「ふん……間に合わせにしても、コレは酷くないか、伍長?」
ガマガエルの様な濁声で太った男が答える。…ガマガエルがどんな声かは、音声図鑑でしか見聞きしたことはないけど。
「は、卑賎民でも構わないとの事でしたので、質は推して図るべきです!」
「バカヤロウ!」
いきなりガマガエルがデカの頬を張った。デカは微動だにしない。
「こいつ等が使えるかどうかは、オレの出世に響くんだよ。分かってるのか?」
『…だからだよ』
声には出ていない。だが…確かにデカ伍長の口元がそう動いた。とはいえ肝心のデカは虚空を一点に睨んでいて、表情は分からない。
「…まあ、良い」
ガマガエルがスキットルを煽った。酒臭さがプンと匂う。今流行りのイエニ・ラク(焼酎)だ。オレと母さんも扱っていた安物の造成酒で、あんまり呑むと声が潰れる。嗚呼、だからコイツの声はガマガエルみたいなのか。
「オレ等はアクサライ港の高射砲で敵の部隊を追い払う対空砲部隊だ。近々敵がこの地域に攻めてくるという話である。それまでに高射砲の扱い方を習っておきな」
そういうと、ガマガエルはクルッと寝返りを打って屁をこいて寝てしまった。
「よ、よろしくな、シアン。オレはビル上等兵だ」
見るからにオドオドした中年が握手を求めてくる。目が妙にギョロッとしている。
「オレはイキ一等兵だ。お前よりも2時間早く兵隊になった。お前と言う後輩が出来たお蔭で一階級上がれたんだ。礼を言うぜ」
小ぶりで陽気な男が握手というより叩くような感じで挨拶を交わした。
「拙者、ウチュ上等兵である」
黙想をした男が言葉少なに頤だけを僅かに動かした。
「わわわ…ワタクシ、ドルト一等兵であります。よよよ、宜しくであります!」
小太りで、ずり落ちるメガネを何度も修正する巨漢も挨拶を交わす。
「…とまあ、この7人でこの高射砲を扱う、独立小隊だ。理解出来たか、シアン二等兵?」
「は、はあ……」
気が付けばもう宵闇である。胃液を吐いたせいか、腹も減ってきた。
「まあ、今日は二人も入隊したんだ。祝いも兼ねて、大盤振る舞いだ…食え!」
ゴロリと転がったのは缶詰。既に入隊している組はうんざりした顔をしたが、シアンにとっては御馳走である。慌てて2~3箇確保して、缶切りで蓋を開けた。
「おいおい、レーションをありがたるなんて、いつの時代の欠食児童だよ!」
先任組の野次なんて知ったこっちゃない。何せマトモな飯にありつけるのが4日ぶりなのだ。そりゃなんだって旨く感じるさ。
そんなシアンを見たデカ伍長が優しい顔を覗かせて言った。
「ソイツが最後の飯になっても後悔無い様に一刻一秒を愉しんで生きるんだな」