マルマラ沖海戦ー⑪
ユピタルヌス歴322年。10の月、14日早朝。
―戦闘は収着した。
パンジール・ウルケー島の周囲に、集団自決した鯨の群れの如く、累々と横たわる軍艦の残骸。そこからなんとも嫌な臭いの黒い煙を濛々と噴き上げている。
ふと気が付けば、あの妙に心に突き刺さる……いやさ、キンキンと耳障りな放送は掻き消えていた。
今まで戦闘が信じられないほどの、神々しいまでの暁に沈黙。木星が太陽代わりになっているが、宇宙圏にある輻射パネルも効果も大きい。地球圏に住む者にとっては弱々しい日の光かもしれないが、ユピタルの人間にとって全てを凍てつかす、渺漠たるユピタルの闇夜に比べたら、この陽はなによりの恩恵なのだ。
「敵艦隊、完全に沈黙! ヴ帝国艦隊の本隊は撤退行動を開始しています!」
目の下にクマを作ったレーダー官が睡魔を振り払うかのように、大声を出す。
「…勝ったのか……?」
オチかけていたサラディナ司令が、レーダー官の声に反応して立ち上がった。
「捕獲した敵艦、おおよそ100隻! 敵艦撃沈数……おおよそ300隻! これに対し居方の損害は飛行艇が7隻、強襲艦が5隻……これは!」
レーダー官の声が詰まる。
「我が軍の完全勝利です!!」
H.Q(指令室)に歓声が沸き起こる。
だが、扇子を手に持つフィデル参謀だけは浮かない顔をしていた。
「何時だ……」
「は?」
鬼才である参謀の問いの意味が分からず、レーダー官が訊き返した。
「あの“タブシャン”部隊の通信が途絶えたのは何時かって訊いてるのだ!」
「は…ハハッ! だ、大体今から1時間前…スタート地点の『アクサライ基地』の近くですね」
「…行こう。そこで戦勝の式典を祝おう!」
サラディナ司令の声に過剰に反応するフィデル参謀。
「…な、なんでだ!?」
「君は“英雄”を作りたかったんだろう? 英雄ってのは死んでこそ英雄になれるのさ。釈迦に説法だったかい?」
無言で頷きながら、心情はどこか別の回答を欲していた。果たして、彼等は英雄と言えるものに相応しいのか?
幾万と読んだ本の中には、奴の様な見苦しい英雄は居なかった。それは…英雄足りえるのか? 我らの進む先を照らす道標でなければいけないのに、これで良いのか?
本は何も教えてくれない。英雄譚は数多くあれど、英雄作成に腐心した人物の物語は無いからだ。
だが「英雄の死」は尊い。それだけでこの国はあと数年、戦える。
英雄は死ぬべきだ。
―汗と泥に塗れた将兵共が歓声を挙げる。
陽の光で黄金に満ちた大地へと足を踏み入れた。
流石、サラディナ司令。王家の血筋に相応しい、堂々たる応答をこなしている。それに比べて私なぞ……後ろめたくて扇子で顔を隠すのが精いっぱいだ。
だからこういう表舞台に立つのは嫌なんだ。
その時、陣営の後ろで異変が起こった。幕僚達が慌てている。
「何があった?」
ややあって、取り乱した髪を撫でつけながら、制服姿の官僚が耳打ちした。
「は。全滅したと思われた“タブシャン”部隊に生き残りが確認されました…!」
英雄は死ぬべきだ……