マルマラ沖海戦ー④
「ふうむ、良い質問だ。マーガレット少将」
御殿の如き調度品がドームを覆い尽くしている中では、彼の声が良く響く。
大聖堂の様だが、これでも帝国艦隊内の会議室なのだ。
ピシッとしたスーツにネクタイを小粋に着こなす。蝟集する各将軍も似た様な格好である。しかし、その声の主と将軍達の差…それは頭上に輝く王冠と深紅のマントであろう。
弁舌爽やか、身長も高く、ちょっぴりアクセントに癖があってでもそれが愛敬に包まれてて、口髭が御洒落度アップしているその人物こそ、ヴ帝国……正確にはヴ=リンバビリエ帝国皇帝、エミリオⅢ世その人である。
傅き、皇帝に謁見するやや面長な金髪の美女…マーガレット・フィンチレイ少将は微動だにしない。主の一言を聞くまで、きっと一生動かないであろう。
「知っての通り、このエウロパという衛星は海の衛星である。テラフォーミングの為に大部分が水に覆われた」
老将達はまたか…というウンザリとした顔を見せた。だが、若手の将軍達の目はどん欲に輝いている。
「大きく3つのブロックを考えてほしい。真ん中はかつての大エウロパ…現・アトゥンの火である。右側が我が国。そして左がユピタル社会主義国…通称JPTSRだ」
一同が一斉に頷くので空気全体が動いた気がした。
「この中で、地球とのパイプラインである宇宙港があるのは、我が国の首都:『スクエア・ガーデン』と、左の大陸と中央大陸の中間にあるオーミ商国の『アズチ』。そして……」
円卓に映し出されたユピタルの地図を指差して、皇帝が吠えた。
「ユピタルの始まりにして終わりの聖都『A→H』である!」
シーンと静まり返る聖堂の様な会議室。聖都の名前は、この星に生まれた者にとって、ただひたすら甘美なのである。
「マーガレット少将の言い分も尤もである。スクエア・ガーデンに於ける地球間のやりとりでも国力は充実出来る……しかし、この星の実力者だと内外が認めているのは、聖都を所有する国だけである!」
「故に、聖都の所有者である忌々しい“アトゥンの火”と提携を結んだのだ。『彼等の不倶戴天の敵であるパンジール・ウルケーを潰す代わり、宇宙港を99年間租借出来る』と!」
頭の良いマーガレットなら分かっている筈だ。中央大陸の大部分を有する数十万の狂信者・アトゥンの火を相手するより、中央大陸の北端に引っかかっている様な、二つの小島を有する、数千の兵力だけしかないパンジール・ウルケーを相手する方がどれだけ国力を削がないで済むかという事を。
「陛下。私めも発言させてもらえるでしょうか?」
金髪をオールバックにした青年こと、オニール・アジーン准将が会釈をした。
皇帝が許可するよりも早く、体格の良い、筋骨隆々でメガネをかけた黒人のJ・コリン・パウエル長官が「アジーン准将、答えよ」と、許可した。
叩き上げの軍人から成りあがったパウエルは、貴族派の軍人から嫌われているが、エミリオにとっては何よりの頼もしき盾である。
「皇帝の慧眼、恐れ入ります。ですが……パンジール・ウルケーには伝説の軍師“ソーズリュック”が居ると聞き及んでおります」
“ソーズリュック”……パンジール語で「辞書」を意味する。つまり‟生き字引”という事か。かつて、大規模攻勢を仕掛けた社会主義国を全滅に近いまでに追いやったという。
しかしそれは、社会主義国の兵装が旧態依然だったからだとも聞いている。つまり、実力以上の力を引き出せたのも、敵が思った以上に弱かったからに過ぎない…と、皇帝は考えている。
「オニール。貴公の心配、余は嬉しいぞ。だが、大丈夫だ。我々は万全の態勢を敷いて万に一つも敗戦など無いよう、布陣を牽いておる。如何に天才軍師と言えどこれを覆すのは不可能であろう」
オニールは尚も何か言いたそうだったが、パウエル長官のアイコンタクトを受けて、黙って引き下がった。
ヤレヤレ……父親の代で軍閥化した貴族軍人共を再編成する為に、パウエルと二人三脚でここまで若手を育ててきたのだが、皆鼻っ柱が強くて扱いに難ありだ。
其の為にも、そして軍閥を満足させるためにも……
「そこで、名誉ある先陣、強襲艦隊を率いるのはガルーダ・サベーリョ中将に任命する!」
受け口の困り八の字眉毛が「ヒェッ!」の喉を鳴らした。そう、軍閥共が一番に推す若きプリンス、それがガルーダである。紫の髪を撫でつけ、様式美だけは一流に恭しく
「喜んで慎み賜ります」
と礼をする。
分かっているぞ。こちらから見えない顔はきっと、紅潮して鼻息も荒い事であろう。
「後詰にオニール准将、そしてガルーダ先遣艦隊の補給艦隊護衛はマーガレット少将に任命する」
不満を隠せない目つきで、こっちを真っ直ぐ射すくめるマーガレット。ヤレヤレ……だから言いたくなかったんだ、パウエルよ。
(閣下。初陣に近い凡愚な将軍を補佐するのは、歴戦の勇将に限りますぞ。私が後で言い聞かせますので、堪えて下さい)
パウエルの目線でそれを感じ取り、射すくめるマーガレットの目線を敢えて無視し、会議室に向け声を張り上げた。
「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと云う。パンジール・ウルケーを恐れず、侮らず、完膚無きまでに叩き潰すのだ!」
直後に轟音が響いて、耳が痛くなった。
さあ、我が子飼いの将軍達よ。与えられた手駒で思う存分に采配するが良い。
超弩級戦艦であり、連合艦隊旗艦でもある『アガサ・クリスティ』の中で、皇帝は胸中で頷くのであった。
もう敵地まで、数百リーグ。連合艦隊はそろそろ停留する事になるだろう。