オウミ商国⑫
「あいやー、それじゃ私達破産するアルよ~!」
大柄な女性の叫び声が木霊した。言わずもがな、テラリアンのホアメイ女史である。正確な名前はリー・ホアメイ(李華美)というらしい。
目が細いが美人の性質であるが、今はそんな事は関係ない。こっちの給料がかかってるんだ。ノラの後ろでは会計を握っているドブロクが、じっとりノラの背中を睨んでいる。
「コッチだってそんな金額じゃあ手が出せませんよ…あなた方が初めに築くべきは信頼と実績、そうなんじゃないですかぁ?」
敢えて挑発するような口調。それにホワメイはまんまと乗ってきた。
『隊長、このクソガキ…見た目と違って中々のタフネゴシエイターですよ?』
後ろのサングラスを掛けたオカッパパッツン黒髪が、ボソボソとホアメイに指示を出す。ていうか、直接やり取りすればいいのに。
この上司と思われるのがホワン・リンユー(黄凛玉)らしい。さっき名刺をもらった。
『落ち着けホアメイ。もっと最新兵器感を出していけ、きっと咽喉から手が出るほど欲しがっている筈だ』
この2人。隠し事の様にヒソヒソ話をしているが、表情から何を考えているのか駄々洩れで、よく分かる。なので虎の子のアイシェ少佐から貰った資料をばさりと提示する事にする。
「―因みに、我が軍が開発した電磁加速砲のスペック表なんですけど…見ますぅ?」
「………!!」
「こ、コレは…!」
大柄なホアメイが涙目で後ろを振り返った。
『ヤバいヤバイ、ホワン隊長。このスペック通りでしたら、ウチの商品はガラクタ…っていうか、もう完全にポンコツってバレてますやん!』
一見落ち着いて見えるホワンの呂律も怪しい。
『おおお、おちけつ…いや落ち着けホアメイ。こんなのはハッタリだ、堂々としていれば押し通せる!』
ここはちょっと引いてやるか。
「いや…それでもそちらの兵器の利便性の高さは評価しているつもりですよ?」
「そ、そうでしょう? 言っておくけどこのスペック表は希望値です。それに対してこのLOSATは実測値ですからね」
「いえ、ウチのも実測値ですだで」
ドブロクが冷徹にピシャリと言い換えた。「ヒャン」とホアメイが小さく泣いて縮こまる。ホワンも「グッ」と唸るのみだ。
だが肝心な事は言っていない。ユピタルは重力と気圧が地球よりも低い。そりゃあ加速力だって慣性エネルギーだって、地球よりも少しの力で同等かそれ以上になるのだ。幸い、この2人はそこにまで聞き及んでいない様子。
「それでも買うっていうんですから、それ相応の値引きは妥当だと思うんですけどぉ?」
「……」
勝った。ぐうの音も出ないらしい。
交渉とはどれだけ下調べをするか。そして時間を変え、場所を変え、出来れば人も変えれば、交渉の場はチャラどころか逆転も可能なのだと今回の事で思い知ったノラである。
そこで今回の商談の芯の部分を出すことにする。
「ま。今後ウチと独占契約を結んで頂き、コチラの希望するモノを仕入れてくれるのでしたら、値引きは控えめにさせて頂きますよぉ」
「あいやー! そういう条件なら乗ったアル!」
ニヤリと笑うドブロク。勿論彼女は慈悲の女神ではない。値引きは『控えめ』だが、向こうの希望価格ではない。つまりは、そう言う事だ。
勿論この2人とて、独占契約と言いつつ闇で横流しするに決まっている。だが一定の抑止力になればそれでいい、そんなもんだ。
念書をキッチリ書かせるドブロク軍曹にあとは任し、商工会議所の一室を後にした。
「首尾は上々の様じゃないか、フィデル参謀が目にかける事のだけはある」
さっき消えたと思ったアイシェが、またもや後ろから声を掛けてきた。
「資料助かったです」
得体が知れないので距離を置こうと、礼を失するギリギリの素っ気なさで謝意を述べた。
が、突如後ろに凭れかかったモノがある。耳元で囁くのは間違いなくアイシェ。
「ツレないなぁ…私は君に興味があるんだけどなあ?」
「いえ、オレは無いですよ」
「君、参謀本部の情報部に来たまえ!」
不意に両肩をバンと叩かれてビックリし、思わずアイシェの方を見てしまった。
屈託のない満面の笑みで、アイシェが勧誘している。
「参謀本部なら前線に出て戦う事もしないから、生還率はダントツだぞ。それにあの嫌味なドンドルマ団は君に手が出せなくなる」
「いや……」
言いよどむノラにさらに攻勢をかけようと、アイシェが集めた情報の中でノラ・シアン最大の懸念である核心を披露する。
「給料だって今よりもずっと高待遇になろう。いや、それどころか今までの借金も特務機関の費用として、経費で落とせるぞ!」
うつむいて黙ったノラを見て、ほくそ笑む。こんな面白いオモチャだったとは…フィデル参謀が構いたくなるのも分かる。手元に置いてちょくちょく嬲りたくなってくる…要は被虐心を煽るのだ、この男。
「……貴女、前にウチの…イズミル市に火をかけましたね?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「思い出したんですよ。イズミルであり得ない場所から出火した時、一人遊女が消えた事を」
「!!」
アイシェの身体が硬直する。コイツ…馬鹿かと思っていたら意外と記憶力高いぞ。
「貴女の言う通り、情報部なら戦死する確率はグッと減るでしょう。でも、任務とはいえ町に放火して、一般市民を巻き込むようなやり方は絶対に認めない」
淡々と話すノラの口調が、逆に静かな怒りを表している。アイシェもさっきまでとうって変わって、凄みのある笑みに変えた。
「…フフン、言うじゃないか。私が参謀本部に君を讒言して、君を獄死に追い込む事も出来るんだぞ?」
「そんな威し、怖くなどない」
そうだった。コイツは厳寒のハミディイェ刑務所に入っていた事もあったんだ。獄舎に入れても後悔などしないだろう。
ならば、と降参のポーズをしながら軽薄な笑みに表情を変える。
「…そうだったな。では何を望むのかね? 私の謝罪か? 言っておくが……」
「分かってます。貴女も任務だった。だけど、戦争の虚実を見極めるためにもオレは前線に立ち続けます」
コイツ…戦争の中心に居ながら汚れてないな。
「言っておくが、今度の聖都攻防戦は総力戦になるぞ。死ぬ可能性だってとても高い」
コレは事実。アトゥンの火も残る力の全てを聖都へと向けている。どちらにも大きな犠牲が出るだろう。
「…仲間が死んでいく中、自分だけ生き残ろうとは思わないです」
そんな脅しで揺らぐべくもない事は分かって居た筈なのに。そしてアイシェは唐突に理解した。
嗚呼、コイツ。自分らみたいな権謀術数を巡らす後ろめたい人間にとって、眩しいんだな。だから汚したくなる。
多分、フィデル参謀もそうなんだろう。
なんだかバカバカしくなってきて、そして妙に腑に落ちた自分が可笑しくなって、笑った。
「ハハハ! さっきまでのは戯言だ。忘れてくれ給え」
そうして踵を返し、空港へと歩を進める。
「…どちらへ行くんですか?」
「機密だ。……いや、教えよう。南オセチア共和国だ」
南オセチア共和国。社会主義国の南端に位置する、小さな国家。社会主義連邦に組み込まれようとしているが、武力蜂起をして抵抗を続けている紛争地だ。
ノラはそこまで考えて、身震いする。きっとアイシェは南オセチアと組んで社会主義国を分断させようとしているのだ。危険な任務に違いない。
ダーティで、それでいて表舞台に立たないのに危険な任務の参謀情報部。そこにも矜持はあるのかもしれない。
「ご無事で!」
「君もな、ノラ・シアン。また会おう!」
一度も振り返る事無く、片手を振ってからアイシェは空港ゲートへと消えた。
随分永らくお待たせしました。なんか引越しが断続的に続いていて…一週間で3回も引越ししましたよ。頭オカシクなりそう。まあ、何とか落ち着きつつありますが。
次の仕事が決まるまでどうなるか分かりません。次の章も普通に考えましたら1~2か月後に出せるかと思いますが、今は何とも言えない所です。
それでも待っていただけると嬉しいです。
それではこれを読んでくれている皆様のご多幸と健康を祈念しつつ、失礼します。本当にコロナにはお気を付けくださいませ。
追伸。今場所の大相撲…なんかイマイチだったわよね。




