アレッポ高原にて⑩
ズンズンズン。ズンズンズンズン。
大股でヘクマティアルの司令部を突っ切るノラ。後ろからヘクマティアルそっくりの白い軍服を着た近衛兵が、制止の為に慌てて追いかけてくるのもまるで無視。
「誰か、闖入者だ。止めろ!」
「待て、それ以上進むと発砲するぞ!?」
やってみろよ、こっちは丸腰だ。
「イズミル隊隊長、ココから先はヘクマティアル様のプライベートな空間です。幾ら貴方でも無礼ですぞ!」
「うるさい! ソコを通せ!!」
立ち塞ぐ白い近衛兵をブン投げ、腰や足に纏わりつくのも構わずに引き吊りながら扉へと近づく。
「…卑賎民上りは躾が為っていないのか。無粋の極みだな」
扉を押し明けると、優雅なお茶の時間だったのか、葉巻の臭いと音楽の鳴る調度品ばかりの設えの光景が目に飛び込んできた。蔑んだ目でこちらを見据える将軍にも物怖じせず、睨み返す。
ティーカップを置くと、目線を合わせずにヘクマティアル将軍が顎で指して話を促した。
「…ライラ王女の侍女に、アヘンを渡したのはお前だな!」
「ライラ王女がどうかしたのかね?」
「ふざけるな! 質問を質問で返すな!」
「…私は貴重なプライベートの時間を、押し掛けた君だとしても寛容に対応してあげてるのだよ。ライラ王女は国の宝、容態くらいは知っておきたいのだがね?」
「クッ…王女は昏睡状態だ。だが…スグに気づいたので、一時的なものだ」
変な沈黙。ややあって「ふむ」と一人合点した将軍。
「それはお大事に。で、ソレが私と何の関係があるのかね?」
「アンタがアヘンを栽培して、闇取引しているのはもう既に調べてある。そして侍女はこの建物内で白い制服から貰ったと言っていた!」
「それだけで私が犯人かね? フフフ……」
肩を震わせ、机の上に腕を組んで顎を載せた。
「司令部は民間人だって出入りするし、私を快く思わない輩が罪を擦り付けるために偽装したとかは考えられないのかね?」
…しらばっくれるだろうとは思っていたが、こうも白々しいと呆れる。それを何か勘違いしたのか、居丈高に付け入る将軍。
「怒りに任せて猪突猛進しても失うモノばかりだよ。もう少し、冷静さと礼節を身につけ給え」
「…アヘンの闇取引についてはどう申し開きするつもりだ?」
「アヘンが栽培されていた事自体、初耳だね。まあ、ソレがあったとして…それが私のモノである証拠はあるのかね? 戦争とアヘン…なんて分かり易いファンタジーじゃないか、笑えて来るよ」
「…あくまでアンタは関係ないというんだな?」
「早く戻った方が良いのではないのかね、姫を守る騎士殿。こうしている間にも姫を狙う刺客はチャンスを窺っているかもしれないよ?」
…扇子男はもっとしたたかになれと言った。腹芸も覚えろと。王女もそんな事を言ってたな……
「だが、こちとら部落上がりの野良犬だ。噛み付ける時には遠慮なく喉笛噛み千切ってやる!」
ギンと一睨みし、ノラは踵を返して駆け戻っていった。
「狂犬め…駆除されるのはどっちか今に見ているがいい!」
そう忌々しそうに吐き捨て、ヘクマティアルが葉巻を荒く吸い始めた―
「ええいっ、今度は何だ!」
ヘクマティアル司令部から戻ったら、ナザーウ・ボンジュー内でも大騒ぎ勃発だった。
「大変でさぁ、隊長! オンが、ユズを……」
人込みからデカが現れ、そういうが早いか腕を掴んで駆け出した。
「ユズが、どうした?」
「姫の警護が出来なかったと言って、自決するってんでオンが介錯しようとしてんでさぁ!」
「…なんじゃそらあ!?」
どいつもこいつも馬鹿にいさぎよ過ぎだろうが!
寧ろデカを引っ張る勢いで現場に到着。医務室だった。
「あ、隊長。ウチの妹がサーセンっした。ネンブツを唱えてやって下しぁ」
「ぅわーん、隊長さーん。ごめんなの!」
拳銃を口に咥えるユズと、その後ろに立った、変に神妙な面持ちのオンがマチェーテを構えて立っている。
「……デカ、お前か?」
「は? なにがでさ?」
そうさ、こんなの茶番だ。馬鹿げている。デカが筋書きしてるとでも思わなければ、納得がいかない。そうして大きく息を吸い込み、怒鳴る。
「…軽々しく、死ぬだのなんだの言うんじゃない! 特にユズ。お前等の年齢期は『死ぬ』だとか簡単に言ってしまう。だけど、本当に簡単に死んじゃおうと出来ちゃえる時期でもあるんだから、そんな事言うんじゃない!」
そしてツカツカと近寄って、呆気にとられたユズからいとも簡単に拳銃を奪った。
そのままオンに向かい、マチェーテを叩き落とす。
「思春期の『死ぬ死ぬ』に、大人が付き合うな! それは考えているようで、何も考えてないのと一緒だ!」
距離を保ってそのまま歩み続け、壁に近づくとくるりと振り返ったノラ。
「よく考えろ。この件、ココに居る者…誰も悪くない!」
そうしてユズの方を向く。
「オブラートに包んだ敵意は一見すると優しい。ユズ、お前はアヘンについて無知だった。だから今回の事で学んだな。王女を守るためにこれからもどんどん学べ。以上!」
「ひゃ、ひゃい!」
「オン、お前は医学薬学をもっと妹に教えろ。知識と経験が、敵地で自分と仲間を救う。お前が引き込んだんだ、妹を一流に仕立てろ。以上!」
「マジ、パねえ…!」
「デカ。こういう性質の悪い冗談は二度と通用しないと思え。以上!」
「いや…本当に…オレ知らない……」
「復唱―ッ!」
「…は! 性質の悪い冗談は二度といたしません!」
「よし!」
全員、毒気を抜かれ、ポカンとした状態になり、やがて「なんだかな~」という感じで自然と解散になった。
「…ちきしょーめ、隊長、ヒデエや! オレが絵を描いた感じになっちまったじゃないですか」
後ろでブチブチ文句言うデカに手刀切ってスマンと合図するノラ。
「スマン。こうでもしないと収まりがつかなくて。まあ、今度一杯奢るよ」
すると今度は別の所で怒号が飛び交っている騒音が聞こえた。
「なんなんだ、今日は一体!?」
深く溜息を付いて頭をポリポリ掻くと、その騒ぎの元へとノラは駆けだした。
一瞬、目を疑った。
バーサーカーの如き勢いで暴れているのが、シヴァス隊のユルドゥス中尉だったからだ。
それを、見事なステップでグェン軍曹が捌いている。
「い、一体何事だ!」
「話している…余裕はない!」
確かに。グェンが捌いているとは言っても、紙一重でなんとか躱しているのが分かる。デカと一瞬のうちに目配せし、スライディングでノラが足首を取ってバランスが崩れた所を、デカがユルドゥスの背後に圧し掛かって関節を極めた。
だが、それでも力任せに振りほどこうとする所を、グェンが頸動脈を絞め上げる。
1秒、2秒、3秒……
6秒程度で力が抜け、クタッとしたユルドゥスをグェンが抱きかかえた。
「…事情は聴かせてもらえるのだろうね?」
肩で息を切らせながらノラが静かに訊く。それには黙ってユルドゥスを自室のベッドに寝かせ、扉を閉めた後に、グェンが初めて頷いた。
「彼女と私は、元・少年兵だった―」
戦場で子供はあまりに非力だ。人質ならば未だ救いのある方で、大概の子供は兵の慰み者にされる。
気晴らしで射撃の的になるか、レイプされて殺されるか…だ。
そういった戦場での“お決まり”を経て、尚も生き残った者に性奴隷になるか、少年兵になるかの二択が迫られる。だがここでも、子供に決定権は無い。
グェンは可愛気が無かったので、結果として“幸運にも”少年兵となれた。
一方ユルドゥスは可愛らしかったので、さんざレイプされた。その後に性奴隷となる予定だった。その恐怖と痛みは分かち合えるものではない。想像に絶する。
だが、性奴隷と少年兵では自由度が断然に違う。子供心にそこまで計算したのか知らないが、ガラスの破片を持って兵隊に斬り付け、“戦う姿勢”を見せた。
そこの隊長次第だが、その時のアトゥンの火の隊長はそれを好意的に受け取り、そうして二人は晴れて少年兵に“なれた”。
だがそこからは地獄の始まり。日々の戦闘訓練に加えて、満足に与えられない食事。そして疲労や痛みはひたすら”アヘン”を吸って誤魔化すのだ。
しかも、そのアヘンも数日前から与えられず、皆が禁断症状に苦しむ頃、「敵を倒せばまたアヘンを与えるぞ」と言われるのだ。
村の襲撃。それが自分の生まれ育った場所だと知っていても…苦しみからの解放の為、幼馴染や親戚を殺し回る。
そしてアヘン。戦闘とアヘンの連続。
何度目かの戦闘で、シヴァス隊に遭遇した。
キュベレイ隊長はそんな二人を不憫に思い、回収して厚生させた……
「だが、あの子は未だ…アヘンの臭いを嗅ぐと封印していた過去が甦って、昔の様に狂暴化してしまうのだ」
そういったグェンの顔も疲れ切ってゲッソリしている。彼女も多少はアヘンの誘惑にぐらついているのかもしれない。時期は一緒なのだから、無理もない。体格の大小の差が踏み止まれるかの境界線なのだろう。
しかし……ノラは溜息を付いた。キュベレイ中佐も意地が悪い。ある程度、こうなる事を見越してこの2人を寄越したのではないかという邪推すら出来る。いや………
この2人をダシにして王女が死ねば、キュベレイ中佐は有無を言わせずヘクマティアル司令を殺す口実になるかもしれない。
キュベレイ率いるペシュメルガ=シヴァス隊は独立独歩の部隊だ。誰も信用していない故に誰の束縛をも受け入れないという事なら…応援に来た部隊の司令も、同僚部隊の司令も殺す事はあり得るかもしれない。
それにしても。
黙って部屋を後にしたノラはムカついていた。
誰も彼も全てを簡単に己をスグ見限る。諦めが良すぎる。そんなのは生の放棄だ。死ねば良いとか、殺せば終わりとか、簡単に考えすぎる。
どこまで行っても、この世は生き地獄なのか? 違う。そうじゃなくしてやる。
そのまま鼻息荒くナザーウ・ボンジュー内の管制室にドカドカ押し掛け、乱暴にドアを開けると、「キャッ!」と驚くヤスミンを押しのけ、艦内一斉放送のボタンを押した。
「聞け、ココに居るお前等!」
そうして息を思いっきり吸う。
「オレは、お前らの事を絶対に離さん! どんなにクソッタレでどんなに失敗しても、見捨ててやらんからな! だから…カッコ悪くて惨めでも食らいつけ! 元々オレ等、大したプライド持ってねえってこと忘れるな!」
キーーーーーン。ハウリングが艦内を木霊する。
だが、艦内は水を打ったかのように静まり返っていた。皆がノラの二の句を待っていた。
枕を涙で濡らす者。うちひしがれた者。全てだ。全てに届け。
ユズ。オン。ライラ。ドクズ。セキズ。それにユルドゥスとグェン。
「だが、藁をも掴んでいるのは今だ。今がその時だ。泣いた後はオレの差し出した手を握れ。オレの手がお前らの新たな一歩を踏み出すための杖となる。それを忘れるな! 言っとくがこの杖は………」
そうしてまたハウリング覚悟で大きく息を吸った。
「ビクともしねえからなああああああああ!!!!」
…下手すれば、ヘクマティアルに司令部にまで聞こえてしまったかもしれない。
長いハウリング。耳が痺れている。
どれだけ時間が経っただろう。
やがてどこからともなく艦内を歓声が渦巻いた。皆の足踏みが地震かと間違える程に、ナザーウ・ボンジューが揺れ出す。叫びにも似た合唱が聞こえて来た。
「カーラマン! カーラマン!」
もう何だっていい、皆が少しでも前向きになれるならなんだって利用してやるさ。
「…はぁ~、全く着任早々煩いですねえ~」
聞き慣れない声が背後でしたので、驚いて振り向く。
ソコに居たのは、髪を撫でつけるギリム・スダック少尉と呼ばれた事での喜色満面なドブロク軍曹。そしてメメット中尉だった。イズミルから到着したのだ。
彼女等を見たノラはニヤリと笑い、呟いた。
反撃の時間だ!
イズミル隊が色々ツラい目に遭うので、不肖ながら書いてるこっちもダメージ受けてしまいましたw。