転移6
貴様には何の能力も無い――
マリジューレの冷酷な目線が痛い。
王の計らいで旅立ちは明日の朝になり、今宵は食事の席が用意された。目の前に並ぶ豪華な食事はどれも美味い。少し先で俺を突き刺すような目で睨むマリジューレと隣には椅子くっつけて並ぶエリザ。あの威圧感たっぷりの目に睨まれると、なんとか誤解を説かなければならないと思わされる。
意を決して俺は口を開く。
「あの......エリザ、俺、言っておかなければならない事があるんだ」
「はい、何でしょう」
「もし俺が、その、伝説の勇者じゃなく、何の取り柄もないただの人間だった......とか言ったら、どうする?」
......
............
返事までの時間が長い。
ジワリと額に汗が浮かぶ。
「アハハハハ、嫌ですわエージ様。そんな事ある訳ないじゃないですか」
俺の肩に手を当て、軽く体重がのしかかる、無邪気に笑う彼女の姿が俺の胸を貫く、上司に連れられ一度だけ行ったキャバクラを思い出した。こういう事に免疫のない俺、このまま言わなくてもいいのではと思わされるほどだった。
「そうですね、でもそれが本当だとすれば......」
「だとすれば?」
「極刑ですわ」
エリザは笑顔のまま首を傾げた。
「この世界では力や能力が基準とされてますの、剣術や魔法、はたまた特殊能力を幼き頃より学び、努力して習得するのです」
その言葉を聞いて浮かれた気分が、少し落ち着いた。俺の居た世界とあまり変わらない。勉強が剣術や特技に変わっているだけだ。
「一人前の称号を貰うまで、それを努力して習得します。よって何の取り柄もないただの人、という部類に当てはまる人は、産まれてから何も努力せずに、流されるまま生きて来たということになりますわ」
まさに自分のことを見透かされているように言われてしまった。
「そんな人は王族と口を聞くことは愚か、この城に入る事自体が罪。よって即死刑ですわ」
「そ、即?」
「ハイ、この場で。王族にはそれが許されてますの」
唾を飲む俺の姿を見てマリジューレは肩を竦めて「プッ」と、笑うと、奥の部屋に消えた。
「何をバカな事を申しておる、勇者殿がそんな訳無いではないか、ハハハ」
言える訳がない、俺が勇者ではない事を言った瞬間に処刑される。絶対に言えない――
王の笑い声でその場が笑いに包まれる中、血の気が引く俺はどんな顔色をしていたのだろう。
腕を組み直し、ドレスから上半分がはみ出ている豊満な胸を俺の腕に押し付けるエリザ。
俺は引きつる顔を全力で隠しながら笑った。
「おまたせ致しました」
ビールの入ったジョッキが目の前に置かれた。持って来たのは俺を半殺しにしたマリジューレだった。
「早く言え......」
ジョッキを置いた引き際に俺の耳元でボソッと言うマリジューレ。俺の作り笑いが限界に達する。
「おおマリジューレ、ありがとう」
エリザが言うと、彼女の表情は真顔から笑顔に変わる。
助かった。なんとか話題を変えなければと、乏しい知識を絞り出す。
「そういえばエリザって何歳?」
「えっ?」
突然の質問に困惑するエリザ。マリジューレの冷酷な目が光る。「話題を変えるな」と言わんばかりだ。
そんな俺が気にくわないのか、それともただの下民がお姫様と口を聞くことが気にくわないのか、こちらを見ながら持ち場に戻る彼女は、奥歯を噛み締めている。
「歳?」
エリザはその言葉を初めて聞いたのかと思えるような不思議な表情を浮かべる。
「歳というのは産まれてから何年か、と言うことだ。エリザ」
王の言う言葉を聞いてエリザはハッと、目を見開き手を打つ。
「そう言う意味ですか、ならば十七年でございます」
「じ、十七ぁ!?」
「はい」
何がおかしいのかと言わんばかりの顔つきだった、十七歳ということは未成年、酒は愚かそれ以外にも問題だらけだ。
「カンパーイ」
エリザの掛け声でジョッキが同時に当たる。俺もその言葉に反応してジョッキを合わせてしまうが、口に当てる事が出来なかった。隣で喉を鳴らしながら貫禄たっぷりの飲みっぷりを見せるのはエリザだった。
「っぷはぁー!」
一気に半分を飲み干したエリザは満足そうな笑みを浮かべる。
「いや、エリザ! お前未成年だろ!?」
「みせいねん......?」
「そうだよ、未成年。酒、飲んじゃダメだろ」
「ははは」と、笑うのは前に座る王。
「それは、勇者殿の国での話であろう? 我が国ではそんな歳などという決まりのようなものは無い」
そうかと気がつく、ここは異世界。俺の居た日本とは違うのだ、勿論法律も。
「そ、そうか、なら大丈夫なんだな?」
「いやですわエージ様、私の体を心配なさって下さったのですね」
「い、いやそんな訳じゃないんだが」
「強いだけではなく、お優しいのですね」
エリザが倒れるように抱きついてくる。
「ちょっ、ちょっと止めろって」
ほのかに香る女子のいい匂いと温もり、娘が目の前でイチャつく王を前にそう言うしかない。とはいえこれは堪能せざるを得ない。目を閉じて油断すると理性が飛んでしまいそうだった。
「いい加減になさい、エリザ!」
王妃の言葉でエリザは口を尖らせる。
「エリザの無礼をお許しください、勇者殿」
「あ、いや、無礼では......」
「さて、今後の事なのだが、勇者殿にはそれなりの装備が必要と思い、こちらで用意させて頂いた」
王が手を叩くと奥から兵士達は鎧と剣を持って来た。重量感のあるグレーの鎧は兵士達と同じだが、剣は豪華な装飾が施されている洋刀、ストラップで肩に掛けられるようになっている。
「鎧は我が城のものだが、剣は私が昔使っていた王の剣を使うがよい」
王は手に取ると、豪華な装飾の鞘から鉄の擦れる音と共に剣を抜くと、斬れ味抜群と言わんばかりに光を反射させる刃が眩しかった。
それを掲げてどこか懐かしそうに頷く王。
「あ、ありがとうこざいます」
***
いい感じに酔いが回ってくると、明日の旅立ちの為、お開きとなった。
ただ、やはり未成年は未成年だと思える光景がそこには広がっていた。
部屋に案内される途中、前を歩くエリザがドレスの裾を何度も踏んでは転びそうになるのをマリジューレが支えながら歩く。そんな姿を見て笑いが込み上げてくる。
「エリザ、お前最初の一杯だけしか飲んでないよな?」
「んー?」
突然エリザの足が止まる。振り返り俺を見たかと思うと、ドンドンと足音を立ててこちらに歩いて来る。
が......
思いっきり踏み出した足は裾を踏む、しかも今回はマリジューレが隣に居ない、
「あっ」
マリジューレは飛びつくようにエリザの元へ急ぐが、間に合わない。
ブンブンと両手を回しながら俺の目の前で倒れていく。
バタン!
顔面からもろに落ちる。
手を伸ばしたまま驚きの表情で固まるマリジューレ。
「だ、大丈夫、か?」
うつ伏せのまま動かないエリザに向かいしゃがみこみ顔を覗く。
「うう」
上げた顔は額が少し赤くなっているだけで、あの時にやられていた傷からしてみればどうという事はなさそうだ。見開いた目が合うと、その大きな目は半分くらいにとじられ、ぼーっと俺を見つめてくる。
「んエージ! 今宵はわらくしの部屋に来ぉい」
トロリとした目に赤く火照った頬、女子の匂いとは程遠い酒の匂いが漂っている。かなりの泥酔のようで呂律も回っていない。
「んだからぁ、わーらーくーしーろぉ」
「――姫様!」
マリジューレが子供を叱りつけるような怖い顔でエリザを睨むと脇を抱えて立ち上がらせる。
「んもう、やめよやめよ!」
「姫様、明日も早い故、お早くお休みになられねば」
体を捩り振り解こうとするエリザに手を焼きながら、引きずるように奥へと消えていくマリジューレ。
「ああ、あんたの部屋はその先の突き当たりだから」
吐き捨てるようにマリジューレが言うと、エリザは俺に対する言葉遣いが悪いなど喚く、それを聞き流しながら相手をする二人が漫才を見ているようだった。
なんだか飲み会の後の光景を見ているようだった。
「フゥ、手が焼ける姫様だな」