転移
長いトンネルの中でウォータースライダーをしているようだった。右や左に体を振られた後、小さな光が見えてきた。
その光は瞬く間に大きくなり、出口が近づいているのが分かる。
もちろん減速はしてくれない、何かに掴もうとするが何も掴むものが無い。
「うわぁぁぁ!」
その勢いのまま飛び出る。地上からはかなり高い位置からだった、その高さに目を瞑る。
グシャリ......
鈍い音がして、俺は何かに尻からぶつかって目を開いた。
先程の男が何故か俺の尻の下にいる。
落ちた衝撃を和らげたのはよかったのだが、うつ伏せ状態の彼はピクリとも動かない。
「あっ、すいません!」
すぐさま立ち上がるが、倒れている彼は立ち上がらない。
「あの、大丈夫っスか? あの、あの!」
肩を揺らして様子を伺う。
「おい! おい!」
死んでいるのではないのか? そんなことが頭の中を過ぎる、俺の声は焦りを通り越して軽くパニック状態になっていた。無理もない、人が目の前で死んでいる所など見たことがないのだから。
「おいっ!!」
大きく肩を揺らすと、男はぐったりと身体中に力が入っていない。糸の切れた操り人形のように首が傾くと、その首筋に模様のような痣が見えた。
「し、死んでる......」
その場に居るのが気持ち悪くなり、逃げるように走った。
赤黒く染まっている空に、渦巻く黒雲、荒れ果てた大地は色を無くし、まさにこの世の終わりだと思わせる景色が広がる。
「なっ、なんだよ、この世界......てか、誰だよあいつ、お、俺じゃないから、俺悪くないからな!」
転移した異世界、今置かれている場所がその場所だということは分かっていた。
俺が殺してしまったのか? いや、元から死んでいたのだ。外傷で死ぬならばそれなりの血が出る筈、だが血は出ていなかった。彼の上に落ちたのは心臓麻痺か何かで命を落とした後だったのだろうと、無理矢理自分に言い聞かせる。
「ケホッ......助......けて」
声! そうだ声の主はどこだ? 耳というよりも直接脳に聞こえる声。助けるとは、何をどうすればいいのか?
「ブォオオオオオォォォーー」
突然腹をえぐられるような地響きと唸り声で鼓膜が破られそうになる。膝はそのまま折れて尻餅をついた。目の前にある黒い山だと思っていた塊は、よく見れば大きなティラノサウルスのようだった、赤い目を開き、身体中から角のような物が生えている。
「ファハハ、バカな奴だ......それでこの魔王バルアリに勝とうと思うたか」
喋った......恐竜が喋った、やはりここは異世界だ、そして今は危機的状況下にあることも分かった。
絶体絶命、誰が見てもそう思うだろう。そして自称魔王と名乗る恐竜の目線の先には、血塗れで倒れる金髪の女子がいる、俺を呼び寄せたのはあの子だと感じた。そしてしきりに助けを求める声の主も。
恐竜魔王は足を踏み出すと、その足の形に地面が抉れると、地震のように地面が揺れる。
「......さて、その愚かさを感じながら、死ね」
で? 助けるって......この状況をー?!
「無理無理無理無理、絶対無理、助けてほしいのはこっちだし、いきなりこんな所に連れて来られて、スーツも汚れちゃてるし、そもそも俺、何も悪いことしてないし」
走って近づけば、すぐ側に行ける距離にいる彼女をもう一度見る。彼女は俺を見つけるや否や、その緊張した表情から安堵の表情へと移り変わった。
「たす......かった......」
「いやいや、無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無......」
頭の中には逃げることしか無い、筈だった――
「お姉さん、大丈夫ですか」
彼女に駆け寄ると、うつ伏せで顔だけをこちらに向けている。透き通るような青くて綺麗で大きな目が、俺の目の中に映る。年齢は二十三の俺より少し下だろうか、頭から血が流れ、白い張りのある肌は土埃や擦り傷で汚れている。綺麗であろう金髪はボサボサに荒れているが、どこか気品のある感じが漂っていた。
逃げる筈だったんだ――
散乱している破壊された鎧の欠片が目に飛び込むまでは......
よく考えれば、今更逃げたとしてもあの恐竜の一歩で追いつかれて終わりだ。どうせ死ぬのなら、一度は触ってみたかったから――
その、女子の胸というものに。あわよくば、顔を埋めて......
「んん? 誰だ」
腹の中に直接響くような低い声、転移していきなり死ぬとかお決まりのパターンではないが、ここは男らしく腹をくくるしかない。まあ死ぬまでにやりたい事の一つは叶えられそうだし――
血塗れの女子の肩を抱き上げ、仰向けにする......
上半身の鎧は砕け、残っていた欠片も抱き上げた時に体から落ちる、体には擦り傷が目立つが、そんなに血が付いていなかった、恐らくは鎧のおかげだろう。インナーである黒いキャミソールが破れていて、大きく盛り上がった胸の先だけを隠している。
そんな少年漫画のサービスシーンのような演出が腹立たしかった。
「このお方は、伝説の勇者様! あんたなんか一撃で倒せるんだから!」
「えっ?」
彼女は若干頬が赤らんだ恥ずかしさと安堵の混ざった表情を変え、目を見開き魔王を睨みつけると、ゲホゲホと血を吐いて子供のように俺の胸に顔を埋めた。もちろん俺にそんな力があるわけがない。
「勇者だぁ? 笑わせるな、そんな華奢な男、勇者な訳がなかろう一緒に死ね」
魔王の口の中に炎が湧いて出る、火を吐く準備だということは分かる、首を後ろに大きく振る。
「ええぃ、どうせ死ぬなら!」
生では見たことが無い、完全なる女子の裸を! せめて上半身だけでも! 顔を埋める彼女を引き離し、残ったキャミソールの切れ端を掴み、ちぎり取ろうとした瞬間、大きなガスバーナーが噴射したような音がする。
「焼け死ねぇぇえー」
「悪く思うなよ」
インナーを引きちぎった瞬間、豊満な胸はたぷんと揺れてそのままの姿を現した。初めての感動を目の当たりにするのと同時に、自分は何とゲスな事をしてしまったのだと、後悔の念の方が大きく感じた。
最低だ。俺は、最低だ......
衝撃と共に肩を竦め目を瞑る、次に目を開いた時には映るもの全てが真っ赤になる、炎を浴びたのだと分かった。
しかし全くと言っていいほど熱くない、ただ、周りが赤とオレンジが混ざった色をしている。
痛くも痒くもない。もしやこれは、俺の特性というものではないだろうか。
転移したスキルは無敵?
だとすれば、これはお決まりの、俺TUEeee的なやつではないか!
「よっしゃー!」
そんなアプリゲームのガチャでスーパー激レアを引いたような雄叫びを上げる。
そうと分かれば、話は早い。この魔王とやらを倒してカッコイイ所を彼女に見せるのだ。
そして彼女を惚れさせる、そうすれば堂々と胸を観ることも揉むことも可能だ!
目を堅く瞑り、全身に力が入っている彼女をゆっくりと寝かせると、露わになった胸にジャケットを掛けた。
俺は振り向き魔王を見上げた。
「おい、魔王とやら......そんな攻撃、この伝説の勇者には――」
ドヤ顔が頂点に達した時、彼女の胸の谷間から出る眩い光が辺りを一瞬にして包んだ。
眩し過ぎるその光は目を開けていられない。体が軽くなってくるのが分かる。
「うっわ、なんだよ急に」
いい所と言えばいい所だった、これから反撃のチャンスだったのに、何が起きたというのだ。