瘦せぎす女と吸血鬼の切実なる肥育事情 (卅と一夜の短篇 第13回)
「平野さん、良いわねぇ痩せてて。私なんかコレよ」
そう言うと、職場の先輩である古谷さんは自身の膨よかなお腹をポンと叩いた。
「いえ、私なんてただのガリガリです。見すぼらしいったらありゃしない。女らしい丸みがないんですもの」
私は無理やり笑顔を貼り付けた。
私、平野エミ、25歳。
身長162センチ、体重43キロ。
BMIは16 、体脂肪率は12%。
見まごう事ない、瘦せぎす女だ。
「ただのガリガリ、見すぼらしい」これは本音だ。私は自分のこの体型をどうにかしたい。
「そうねえ、あんまり貧相なのもいけないわね。平野さん、バスト何カップだっけ? 」
なんで今バストのサイズを持ち出すんデスカ。
「……A、ですけど」
「あら、やっぱり女はDぐらいなくちゃダメよね!」
ふふんと笑い、身体をひねる。もうアラフォーに突入しようかとしている古谷さんのムチっとした胸が自慢気にせり出された。
……なによなによ、その勝ち誇った顔。どうせ私は貧乳ですよ!
私の真っ平らな胸を見てご機嫌になったのか、気を良くした古谷さんがペラペラとしゃべりだした。テキトーに相槌を打ちつつ右から左へ受け流す。健康の為にアレをしているコレをしている、誰それは全然挨拶をしない、どこそこの部署の男の子が可愛い。もう、仕事に関係ない話だったら他所でしてよ。
「平野さん。太りたいんだったら、たくさん食べてゴロゴロしてれば3キロなんてすぐ太っちゃうわよ! 私、すぐそれでお肉ついちゃうんだから」
出たよ、最高にナゾなアドバイス。それって「痩せたいならご飯食べないで運動すりゃいいのよ」って言うのと同じくらい乱暴だってば。アドバイスくれるんだったらもっと具体的にお願いしたい。たまに「ごはんの代わりにお菓子食べれば」「ハンバーガーとポテト毎日食べれば。あとコーラ」と半笑いで言われる事がある。そんな食事してたらお肌と身体がボロボロになっちゃうでしょうが。
散々しゃべって帰っていった。
「痩せてるね」と良く言われる。時には「うわ、ほっそ!」とまるで可哀想な細長い妖怪を目撃したかのように言われる。年輩の方からは「食べてる? なんか病気?」やたらと心配される。私は自分のこの見すぼらしい体型が嫌いだ。だって痩せすぎだもの。スレンダーな体型ならもう少し自信が持てたかもしれないが、スレンダーとガリガリは違う。ガリガリは痩せすぎだ。私はもう少し太りたい。できれば健康的に。これをいうと「何言ってんの嫌味?」と思う人もいるかもしれない。でも自分の体型にコンプレックスがある点では、痩せたい人も太りたい人もと一緒なんだと分かってほしい。
せっかくだから「ガリガリネガティブキャンペーン」、略して「ガリキャン」をしよう。
ガリガリの真骨頂、それは服を脱いだ時だ。まず、ろっ骨が浮いている。浮いているというか、指を入れて掴める。ちょっとした骸骨の標本だ。女性らしい丸みは皆無で、うらやましいと思う人たちも、脱いだ姿を見ればドン引き間違いない。どこにもセクシーさなんて無く、むしろこの上なく悲惨。悲鳴が上がるレベル。公衆浴場には恥ずかしくて行けないし、絶対に水着も着たくない。骨盤だってせり出てるし、薄着で横たわった姿はミイラそのものだ。
前に、胸ポケットに何か硬いものが入っている気がして、調べたら自分のろっ骨だった事がある。仲の良い友人とハグすると大体相手から「硬い」と言われる。女性らしさである「柔らかさ」「丸み」がガリガリにはないんだ。
さらに貧乳。そりゃあ痩せてて胸が大きい人もいるけど、私に限って言えば貧乳。胸元の大きく開いたTシャツを着てかがんだら、胸通り越しておヘソ見える。それがワンピースならパンツまで見える。なんせ障害物がないのだ。谷間なんてものは無く、あって丘。ひどいと平野だ。寄せて上げるブラも意味がない。寄せて上げる肉がないのだから。周りの心ない人々に今まで散々貧乳だとバカにされた。特に職場の巨乳のお局サマから。「どっちが背中か分からないわね(せせら笑い)」「え、ブラジャーしてそれなの?(せせら笑い)」……その乳もぎ取って捨ててやろうか失礼な巨乳め!
痩せてるから、まあ腹の厚みは薄い。けど、胸も尻も薄いから結局寸胴。凹凸ナシ。ぼんきゅっぼん? ガリ・ガリ・ガリだ。いくら細くてもメリハリがないと意味がない。
そして貧血もち。もちろんそうで無い人もいるが、私は貧血。自分の血が足りないので献血もした事ない。申し訳ないが人様にあげられる分がない。勇気あるガリガリ仲間は献血しに行って断られたと言ってた。血が少ないから出来ませんとの事。きっと血だけじゃなくて身体の中のあらゆる成分が薄いに違いない。骨密度も心配だ。おばあちゃんになったら、クシャミをして骨折するかもしれない。うっかり転んで大腿骨骨折、以後寝たきりになる可能性も高い。……なんて恐ろしい老後だ。
貧血と関係あるのかは分からないが、年の割に白髪も多い。私のガリガリ仲間も、やはり若い頃から白髪が多かったと口を揃えて言う。きっと身体に栄養を回すので精いっぱいなんだ。髪にまで回す余裕がないに違いない。
外的要因で受ける影響といえば、寒さに異様に弱い。太めの人はダウンコートを余計着込んでるのと同じって聞くけど、それでいったらガリガリは人よりダウンコートが少ない。暖をとる為の費用が他の人より多くかかる。だけど寒いからって厚着したらモコモコになっておかしい。デートの時はオシャレ重視で寒さを我慢するか、引かれる覚悟で着込むかのどちらかでかなり迷う。冬場は本当にカイロとババシャツと股引が必要なんだ。
これでも脱ガリガリを掲げて努力を色々した。私は痩せの大食いというタイプではない。食欲が薄く、ごはんがたくさん食べれない。子供が食べる量くらいしか入らない。だから痩せている。なのでシンプルに「とにかくたくさん食べて、脂肪をつけよう作戦」を試みた。最初は順調だった。が、次第に胃が消化不良を起こし、食欲が失せ、結果ダメだった。「食べてすぐ寝たら太るぞ」とよく聞くので夜にそれも試してみたが、翌朝胃もたれがすごくて朝食が全然食べれなかった。餅の高カロリーを期待してたくさん食べようと試みたがこれもダメだった。その他諸々、試しては失敗している。結果、分かったことはどうも胃腸の消化吸収能力が人より劣っているという事。……おかゆを大量に食べれば良いんだろうか。
おかげでこの身体には脂肪や栄養といったストックが極端に少ない。日ごろの運動不足もたたって体力もない。私は水分多めの、動くミイラだ。
よく思う。突然、野生に放り投げられたらすぐ飢えと寒さで死んでしまうと。タイタニック沈没のように冷たい海水に放り込まれたら1番に沈むと。間違いない。吸血鬼だって私の血なんか飲まないだろう。見るからに美味しくなさそうだもの。
最近また食欲が失せてきた。定期的にくる食欲減退期だ。体重計に乗るのが怖い。
◇
定時で仕事を終わらせ、帰路に着いた。実家を離れ、独り暮らしをしている。最寄りの駅から少し歩くが、今借りているアパートはまあまあ気に入っている。広くはないけれども、日当たりは良く、静かで居心地が良い。唯一ワガママを言えば、トイレと一緒に押し込められたお風呂が狭いこと。お風呂は手足をゆっくり伸ばしたいのが日本人の性というものだ。
独り暮らしは気楽で良いぶん、管理もちゃんとしなくちゃいけない。炊事洗濯、掃除に買い物。人にはあまり共感してもらえないが、私は食べることが億劫だと感じる時がある。そんな時に食事の用意をするのはとても大変だ。どうしても疎かにしてしまう。"体重増加強化週間"と銘打っては挫折するのも、この辺りが原因だ。誰かが食事の世話をしてくれるのなら少しは変わるのかもしれない。考えとしては非現実的でかなり甘ったれているが。
バッグから部屋のキーを取り出し、ドアの鍵を解除した。ガチャリとドアノブを開けると、空腹の胃を喜ばせるようないい匂いが漂ってきた。
「…………」
パタパタと軽い足音が聞こえ、開けた玄関から見た目10歳くらいの男の子がひょこっと顔をのぞかせた。
「お帰りなさい、エミ」
さらさらの黒髪とクリッとした瞳。私に向かってニコっとほほ笑む顔は、そりゃあ可愛らしかった。女の子顔負けのキュートさ。白いシャツと半ズボン、靴下が似合いそう。口元かキラッとひかる八重歯すら可愛らしい。……こうすれば可愛いと分かってやっているんだ。あざとい奴。
「……ただいま、です」
さっき独り暮らしと言ったが、訂正がある。実はつい先日から、いわゆる"吸血鬼"と呼ばれる存在と暮らしを共にしている。もう一度言おう。"吸血鬼"だ。あのニンニクと十字架と日光が苦手そうで、ちゅーちゅーと人間の生き血を吸う、あの吸血鬼だ。押しかけ女房ならぬ押しかけヴァンパイア。突如私の前に現れたそいつは私に「血を頂きにきた」と告げた。彼が言うには「昔の約束」とやらで、私から血をもらう事になっているらしい。約束? そんなもん知らん。なかなかヘビーな事案だ。にわかには信じ難かった。しかしそいつは言った。
「もう少し太ったほうが良いですね。——お手伝いしましょうか?」
不躾すぎるその言葉に、私はものすごく惹かれてしまった。
吸血鬼の名は"スルマ"。見た目は幼い少年の姿をしているが、本性は数百年も生きている吸血鬼である。そんな彼がこの度、私を肥育する為に、わが家の炊事担当になった。自分でも驚きの展開だ。
「そういえば荷物が届いてましたよ」
どきりと心臓が跳ねる。しまった、今日届くんだった。書店で買うのが恥ずかしいからとネットで注文した数日前の自分が憎い。せめて商品名が配送伝票に書いてないこと祈ろう。バレませんように。
「またバストアップの本を買ったんですか? こりませんねぇ」
あきれた声を出したスルマが手に持っていた雑誌は、まさしくそれだった。パラパラとページをめくっている。なんで開封しちゃってるの!? まってまって、読まないで! やだ恥ずかしい!!
「いや、これは、あの……」
なんとかごまかせないかと頭を巡らせるが、身体中の熱が顔に集まってきて、うまく喋れない。あうあう、と言葉にならない声が漏れるだけだ。情けない。
乳が貧しいと書いて「貧乳」。バストのサイズを表すアルファベットはA。背水の陣だ。これがいやで、今までも少ないお小遣いからちょっとばかりバストアップ関係に費やしてきた。サプリメント、クリーム、ナイトブラ。エクササイズやマッサージの指南書。毎回、ちょっとだけ期待するけれど、結果は思わしくない。見事にコンプレックス産業の餌食になった感がある。貧乳の気持ちと財布を弄びやがって。やつらは「これをやれば簡単に胸が大きくなりますよ」と謳えば簡単に金を出すと思っているんだろう。ああ、出すさ。
「これはバストに回す脂肪がある人や、筋肉が付きやすい人向けの本ですよ」
雑誌をぱたりと閉じ、私に向けた視線と口調は、いたいけな子どものものではなかった。
「貴女の場合はその脂肪がない。筋肉もない。そもそもの土台がないんですよ。バストアップの前にボリュームアップ。まずは健康的な食事で全体の脂肪量を増やしてからです」
……おっしゃる通りでございます。なんにも言い返す事が出来なかった。がっくりうなだれる。
「もうご飯の支度出来ますから、部屋着にでも着替えてきてください」
さっきよりも柔らかい声音でそう言うと、スルマは白い猫に姿を変え、私の足にすり寄ってきた。身体が大きくて尻尾がフワフワのキュートな猫。喉をならしている。猫にも変身できるのかと感心してしまった。このモフモフ具合、なんてジャスティス。うっかり手を伸ばしそうになるがしかし、頭を撫でたい衝動を根性で抑えた。だって中身はあのスルマなのだから。
ひとまず自室でスーツを脱ぎ、部屋着に着替えた。ベッドの上には猫になったスルマがペロペロと毛づくろいしている。女性として、スルマにもっと警戒した方がいいとは分かっているのだけれども、猫の姿だとどうしても油断してしまう。少年の姿だってそうだ。これがホストみたいなイケメンや、艶やかなマッチョメンや、胡散臭いオッサンだったら、こうも簡単に受け入れられなかったと思う。……やっぱり見た目って大事だ。
そんな事をつらつら考えていると、背後から手を取られた。スルマだ。いつの間にか猫から少年の姿へ変化したようだった。私の手に指を絡ませ、ゆっくりと自身の口元に近づけた。
「ちょっとだけ……味見させてください」
スルマは頰を染め、恍惚の表情を浮かべている。はむっと柔らかな唇の感触が指に伝わり、少しだけ背筋がぞわりと泡だつ。そして一瞬だけ感じる痛み。指先から赤い血がぷつっと浮き出てきた。スルマの赤い舌先が、その血をペロリと舐めとる。
「——っ」
スルマはテイスティングさながらに目を閉じ、幸せそうな顔をしていた。が、しかし。だんだんと眉間にシワがより始めた。苦汁を舐めたかのように可愛らしい顔が歪む。
「……まっず」
——えっ?
「まずいというか、薄い。味がしない、香りもない。そのわりには粘っこい。今おいくつでしたっけ? 25とか26とかそんなもんでしょ? そんくらいだったら酸味とコクのバランスが絶妙で、10代の血とは違った柔らかな味があるのに。素材の無駄遣い。だめ、全然だめ! なんなの!? 吸血鬼なめてんのッ!? 」
ものすごい形相で睨まれた。手は握られたままで、すぐ近くにスルマの顔がある。私はなぜ責められているの。私がガリガリだから? だから血が美味しくないの? ……やっぱりそうなのね。
するとスルマがハッとして、表情をを柔らかくした。
「……失礼、取り乱しました」
「……」
「貴女のその体型から予想はできていたのですが、久しぶりの血に少々興奮してしまいました」
シュンとした顔で下から見上げてきた。黒い艶やかな瞳がウルウルしている。
「どうか気を悪くしないでほしい。大丈夫。私が貴女を肥育してみせます。そうすれば私は素晴らしい"糧"を、貴女は"健康美"を手に入れることができる。お互いにとって悪くない話でしょう?」
ふふっと笑うスルマの目は、先ほどと打って変わって妖しくきらめいていた。こいつは私が何を欲しているか分かっている。——その為に、私が何を差し出すのかも。
そうだ。これがwin-winの関係かどうかは分からないけれども、少なくとも私の願望を叶える為のサポートをスルマからしてもらえる。そしたら今より血の量だって増えるだろうし、スルマに少々あげるのは構わない。健康的なプロポーション、末端まで栄養が行き届いた艶髪、介護いらずの丈夫な身体。——欲しい。その為なら吸血鬼とだって組むわ。
「さあエミ、ひとまず夕飯にしましょう。今日はミネストローネを作ってみたんです。柔らかくなるまで煮込んでいるから、疲れた胃腸にも優しいんですよ」
健康的に美しく太りたい私。
健康的に美味しく太らせたい彼。
目的の一致した奇妙な共同生活は、こうやって始まっていった。