慌てるな、まだ早い
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土曜日の朝を迎えた。
婚約者のリズがやってくる土曜日である。予定では、お昼前にリズが訪ねてくる。
一日の流れとしては、出迎えの挨拶、歓談。そして、屋敷に呼んだ四重奏団の演奏会を聴く。終わった後は、遅い昼食に、デザートつきのお茶会。そのあと、リズが屋敷を去るまでが自由時間で、その際に告白しろとの屋敷の使用人一同からお達しである。
本日は公爵令嬢お一人のご訪問。ご令嬢が、日が暮れきる前にご帰宅できるよう、土壇場で決心を鈍らせないでください、とも言われた。親同伴なら夜が遅くなったり、泊まりの訪問でも良いけれども、今日はリズ一人であるし。もっとも、首都にあるコーンローズ公爵邸は、僕の今の住まいであるヘメロカリス公爵邸と、馬車で一〇分と掛からない距離であるけれども。
兎に角、お膳立ては周りの人間がしてくれた。有無を言わさず押し付けられたとも言えるけど。ありがたいが、若干の気恥ずかしさと情けなさがある。
遅い朝食を摂った後に、ちょっとそのことが気になったので、屋敷の家政婦長に質問してみた。
上流の貴族や王族の子女って、告白ひとつするのに、皆お膳立てしてもらうのか? って。
すると、家政婦長はちょっと困った顔をしながらも、答えてくれた。
相手を見ずに、当方が気の急いた場合は、お諌めしてまずは手紙からと薦める。相手が急いているのに、当方がのんびりしている場合も、まめにお手紙でも、と薦める。
それとなく、婚姻にかかわる両家が、お互いの好みや趣味などの情報を交換しつつ、うまくいきそうなら特に殿方を後押しする、とのこと。
いろいろ考えられているんだなあ、と思いつつも、僕については後押しっていう限度を越えていないか、って思うんだけど。
僕の納得のいっていない表情を見てか、家政婦長が口を開いてくれた。
殿下とご令嬢に対しては、後押しではなく、私たちの心からの祝福です、という。
「祝福かあ。それは、うん、皆の気持ちはわかる。そしてありがたいと思う。けど、こうにも場をきっちり整えられるとね」
他人の褌で相撲をとる上に、八百長まで仕組んだ勝ち相撲みたいなのですよ。相撲のない世界なので、うまく家政婦長には伝えられないけれども。
すると、勘違いをしてはなりませんよ、と家政婦長は言う。
お客様のおもてなしなど、最高の場を整えるのが私たちの仕事なのですから。ただ私たちの仕事は、殿下のお心があってこそです。殿下のお心が無ければ、最高の場があっても、ご令嬢をなびかせることは出来ませんよ、だってさ。
ごもっとも。うまく言いくるめられてしまった。
そして、気合いを入れなおす言葉でもあった。ここまで舞台を用意してもらっておいて、告白できなかったらそれこそ、立つ瀬がなくなるというものである。後ろめたい気持ちなんか忘れて、そう、僕の気持ちは全て、今はリズに向けよう。
そんなこんなで、迷いがなくなったところで、身だしなみを整えたり、四重奏団の奏者の人たちが来てくれたので挨拶してみたり、服を着替えたりしたところで、リズが家に着いたとの報告を受けた。
玄関まで出迎えないと。
心がうきうきとしていて、足取りが軽い軽い。
玄関に続く扉を開け、リズを目に入れる。
すぐに目を引いたのが髪型。長い髪を編みこんでシニヨンにしていた。首筋からうなじが綺麗に見える、その白さは吸い込まれそう。
切れ長の目が、一際大きく見える。一見冷たくも見える美しい目に、どうしてだろう、表情の動きが可愛らしく映し出される。
そして、瑞々しい唇。唇に紅をさしているのか、さしていないのか、いつもよりうっすら明るく見える。なによりも、水に包まれているようで、ぷるん、としていて、本当に瑞々しく思える。
いつもは、すっと整った顔に気の強さも相まって、冷血にも見られるリズであるが、今目の前にいるリズは、美しい。美しいだけでなく、少女らしい可愛さも見える。
見蕩れた。リズから目を離せずに見蕩れていた。そのことに気付いたのは、リズが声をかけてくれたからだ。
「あの、殿下?」
おずおずと、窺うように。僕ははっとする。
「ああ、挨拶もせず、すまない。言葉も出ないほどに見蕩れてしまってね」
僕の言葉に、少し驚いたのか、リズはその可愛らしい目を大きく開く。
「そんな、お戯れを」
「そんなことない。いつも綺麗だと思っていたけど、今日は特に大人びていて美しいし、可愛らしく思える」
リズの頬がほんのり赤く染まる。
「お世辞じゃない、僕の、正直な気持ちだよ」
「殿下」
リズと、ゆっくり見つめあう。
リズの侍女が咳払いをした。
「あっ」
自分でも、間抜けだと思う声が漏れてしまった。最初からクライマックスを迎えようとしたら、そりゃ止められる止められる。
リズも恥ずかしかったのか、顔を下に向けて照れている。
「あー、遅くなったけどエリザベス嬢」
「はい」
「今日はよく来てくれたね」
「いえ、お招きありがとうございます」
いつもと変わらない言葉を交わす。礼をしたリズと目が合った。頬は赤いままだけれども、なんだか肩の力が抜けたように見える。たぶん、僕も同じだ。
少しおかしくて、お互いに、ふふっ、と笑みをこぼした。
「さあ、サロンへようこそ」
「はい」
そして、僕はリズの手を取る。触れ合ったときに、リズの手は、びくっ、とした。リズの目を見ると、驚きました、と言わんばかり。でも、微笑んで、手を僕に委ねてくれる。
初めて手をつないだ。初めてなのに、昔からこうするのが自然であるように思えた。




