黒猫と弟子・アフターライフ
前作、黒猫と弟子はこちらから
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その名に盆地の街という意味のある、スタッドベーソン。
そんな街の一角、二つも煙突のついた家に一人の少女と猫が暮らしていた。
少女は大きな分厚い革張りの本を机の上に広げていた。
一方、真っ黒な毛に包まれた猫は机の上に飛び乗り、少女の横から本を覗きこむようにしていた。猫は口を動かし、
「……水は循環しているってことだ。海から空へ、雨となり山へ、そして雨が川となって再び海へと戻ってくる」
「海から空へって……水が空に上がってるの? 重力は?」
「それでさっきの蒸発だ。太陽の熱によって海の温度の上がって、水が気体になる。それが水蒸気。……私のゆうじ……魔術師仲間が言うには、空は高いところほど寒いらしい。だからその水蒸気が冷やされてまた水に戻る。それが雨だ」
訳が分からないという様に首を傾げる黒髪の少女。
「……教えるとは大変な物だな……」
少女とは対照的に疲れたような声音で言葉を吐き出す黒猫。
「師匠、最近そんな事ばっかり言ってない?」
「私も歳か……」
「もう、馬鹿なこと言ってないで勉強教えてよ、師匠」
マイナス思考な黒猫の言葉に怒る少女。黒猫がそんな少女を見て苦々しく笑い、勉強を再開しようとしたとき玄関のベルが鳴った。少女はその音に即座に反応して立ち上がると、黒猫を抱き上げて抱えながら玄関へと向かった。
気恥ずかしさのためかうめき声を上げながら軽く暴れる黒猫。だが、その少女の肌を傷つけたりしないように、暴れるのを押さえている所に少女に対する優しさが垣間見える。
少女は真っ黒なコートについたフードを被り、ガチャリとそのドアを開けた。玄関先に居たのは真っ白なローブ、もとい白衣を纏った男だった。顔は若いながら、精神的な負荷が多いのか髪の毛は灰とも銀とも取れる色をしていた。そんな男を見て会釈をする師弟の二人。
「こんにちは院長さん。今日はなんの御用です?」
「こんにちは大先生と先生。ちょっと傷薬が切れてしまいましてね……予備の分も含めて20人分ほどお願い出来ないでしょうか。あ、こちらがお金です」
「エルフィオは金の計算をしてくれ。258ペンスが20個だぞ」
「わかってるよ」
黒猫を床におろし、白髪の男が渡した大きな皮袋を背負って運ぶ少女。食卓の椅子に皮袋をおろすと紙を取り出して金額の計算を始めた。サラサラと流れるように書かれる数字と記号に教養の高さが伺える。
そんな少女をみつめる白衣の男と黒猫。何か感慨深いものを見たかのように、白衣の男が黒猫に話しかけた。
「凄いですね、先生は。女性なのに計算も出来ますし」
「まぁそこは私の教え方が良いからですね」
などと、先程までのマイナスな思考とは正反対なことを言う黒猫。そんな黒猫に苦笑しつつ、
「それにしても……先生達が招待明かしてから3年ですか……先生はもお綺麗になって……恋人とかがいてもおかしくないのでは?」
「な!?馬鹿な!エルフィオに恋人?ま、まだまだ子どもですよ」
「いや……十分、大人だと思いますが……」
計算を終え、余った金なのか銅貨数枚を持った少女は、計算に集中して聞いていなかった二人の会話に首を傾げた。
「えっと……7ペンス多かったです。それで、なんの話をしていたんですか?」
「いえ。先生はお美しいのに、何故お付き合いしている男性もいらっしゃないのだろうと思いましてね」
そう呟きながら少女を見る男。
腰辺りまで伸びた黒い髪、幼い可愛さがありながらも大人へと変わっていく最中の美しい顔立ちに、爛々とした輝きを湛える宝石のような赤色をした瞳。
「たしか最近は……大工のオーリンさんの家の長男坊が告白して、玉砕されたとか噂で聞きましたが」
「なっ……本当なのか、エルフィオ!」
白衣の男が何気なく言った噂話に、大仰驚く黒猫。そんな反応にキョトンとしながら頷く少女。
「え? う、うん。そうだけど……断ったよ? 面識もあんまりないし、あんまりそういうの興味無いし。師匠といる方が楽しいし」
「う、うむ……何故だか複雑だな……」
「大先生って、本当に親バカですよね」
「そうですか!? そ、そうなのか……?」
「えぇ。まぁとりあえず傷薬20人分、お願いしますね」
そう言って立ち去る白衣の男。そんな男にお辞儀をして二人は見送り、また勉強を開始……ではなく仕事を始めた。天秤やすり鉢などを魔術を使ってすぐさま用意し、使う材料までも取り出しやすいように壁際に設置していた。
紙にメモしていた傷薬のレシピを確認しながら、考え込む少女を見た黒猫は少し意地悪なことを思いついた。
「エルフィオ、俺はちょっと疲れてるから指示出し始めた出来ない……だからお前は5人分作ってくれ。俺は残りを作る」
「え!? 私一人で!? む、難しいってば」
「知っている、だから5人分と言っているんだ……なんだ? 俺の弟子はその程度も作れないのか?」
黒猫のわかりやすい挑発。だが、だからこそ少女にも効いたようで、顔をむくらせながら反論した
「べ、別に私でも作れるし! わかったよやるもん!」
「そうだそうだ頑張れ。出来れば半人前くらいには認めてやる」
「うぅ……む、むかつく……」
黒猫の皮肉を込めた言葉に不満の声を漏らす言葉。が、そのすぐ後に即座に驚いた表情になり黒猫に詰め寄った。
「は、半人前!? で、出来れば認めてくれるの!?」
反応の遅い弟子の言葉に少々呆れながらも黒猫は頷いた
「何度もそう言っているだろう。……これは試験だ。6人分を俺より先に作れ、それが条件だ」
「え、えっと……私がそれに合格すれば、魔術師総会本部に見習いから半人前にする、推薦状を送ってくれる……ってことだよね?」
自分の置かれた境遇を理解するために、自らの知っている意味を言葉にする少女。黒猫は内心でそんな少女の様子を微笑ましく見ながらも、呆れたような言葉にを吐き出した。
「それ以外に何がある?」
「う、うぅ……やった! 師匠ありがとーー!!」
「うぐぉ!!?」
感極まった少女に飛びかかられ、即座に抱きしめられる黒猫。強い力で拘束されているためか、苦しそうなうめき声が吐き出されるのに気づいた少女は慌てて手放した。
「ご、ごめん師匠……」
「い、良い加減、その感情が昂ぶったら抱きしめる癖を直しなさい……げほっ」
「ぜ、善処しますお師匠」
「まぁ良い。試験を始めよう」
少女はその言葉を聞き、レシピを一通り見たあとすぐさま製作を開始した。床に降ろされた引き出しの方へと歩き、右手を天秤へ、左手を重しの入った小物入れへと向けていた。複雑な紋章が掘りこまれた天秤と小物入れは宙に浮き、少女の後を追いかけるように移動を始めた。
黒猫はまだ何もはじめず、呑気にあくびなどをしていた。挙句の果てには毛づくろいまで始めている。少女はぶつぶつと独り言を呟き、そんな黒猫の様子も目に入らないようであった。
「アミメの根が4.8グラム……クネリの種は潰して炒ってからすり鉢でペースト状に……」
「……ほう」
黙々と暗記した材料を量り続ける少女の様子を見ていた黒猫は、感嘆の声を漏らした。かつての自分に重なる所があったためである。黒猫は毛繕いを止めると、背後に天秤や小物入れといった少女が使っているもの、それらと似たものを引き連れながら引き出しの山の下へ向かう。
「……お前も成長しているんだな。まぁ当たり前だろうが……俺も全力で作らねばなるまい」
ぼそりと黒猫が呟いた言葉に少女は何を言ったのかと振り向く。そこにあったのは長年の薬づくりによって培われた経験と、同時に物をいくつも動かす魔術師としての力の差がそこにはあった。少女はそんな黒猫の姿を見ながら。焦りと、黒猫の弟子であるという誇りを感じた。わずかに頬が綻ぶ。
が、それも一瞬のことで少女はすぐさま製作を再開した。
空を舞う匙
火の点いたマッチ
風を送り続けるふいご
舞い踊る食器
一点を見つめる瞳
切り刻まれる花びら
二本の煙突から煙の漏れ出る家の中では、物が舞い、人が歩き、猫が駆けていた。
慌ただしくも整然とした不思議な空気が流れる……
「出来た!!」
「なんだと……?」
先に声をあげたのは少女の方だった。竃から鍋を離し、食卓上の鍋敷きの上に置くと扇で扇いで冷ましていた。自身の鍋を近くの棚の上から覗いていた黒猫は、そんな少女の言葉に驚いて視線を向けた。
自信満々な様子で黒猫を見る少女。が、あまり竃からは目を離すことは出来ないためすぐにまた視線を鍋へと戻した。
「……俺ももう出来る。これが出来たら判定してやる」
「うん、わかった」
まだ自身の魔術では扇ぐという行動まで出来ない為に、自ら扇いで鍋を冷ます少女。
やがて、少女の腕が痛くなってきた頃に黒猫が魔術で鍋を運んできた。少女は自身の座る隣の椅子に扇を置くと、ズズイと体を乗り上げて黒猫に迫る。黒猫はそんな少女の顔を邪魔そうに尻尾で押しのけると、少女の作った傷薬の臭いを嗅いだ。
「……」
「ど、どう?」
黒猫は嘆息した。その姿をみた少女は見るからに落ち込む。目を瞑っていてそんな少女を見ていない黒猫は、目を閉じたままで結論を口にした。
「……合格だ」
「え……?」
「俺の負けだ。試験は合格、半人前だよお前は」
予想外の言葉に涙を流して喜ぶ少女。
目を開けてみるとそこに広がっていた予想外な少女の仕草にギョッとする黒猫。そしてせまってくろ少女の胸。つまりは、抱きしめられた。
「ぐえっ……お、落ち着け……」
「だってだって、やっと師匠に近づけたんだもん! 無理だよ!」
より一層力強く抱きしめられる黒猫。更にその口から苦しそうな吐息が漏れる。
黒猫が解放されたのはその半刻後のことだった
◆◇◆◇
黒猫達が住む国の首都、スロッシュスタッド。
繁華街から外れた路地裏にその建物はあった。周りにある建物よりも遥かに大きな建物で、その建物の入り口には誰も居ないがその入り口の傍に看板の様な物があった。
『魔術師総会本部』
ただ、雑然とその看板にはそう書かれていた。そんな建物へと入っていく人影があった。ショルダーバックを背負った男。建物の中は薄暗く、場所によっては真っ暗で何も見えない。
「こんにちはー、郵便でーす! どなたかいらっしゃいませんか―?」
「なんじゃい……やかましい。ポストマンか……そこに置いといてくれ」
男はギョッとして声のした場所を見た。声の主は、薄暗がりで寝ていた真っ白な髪をした老人であった。老人が指さしたのはうず高く積まれた紙の山。それをみたポストマンは困ったように眉を顰めた。
「あのう……急ぎ便なので出来れば今読んでいただきたいのですが……」
「何ぃ? ……わかったわかった。そら寄越せ」
老人はポストマンから手紙を荒々しく奪い取ると、封筒を雑に開けて中を読み始めた。ポストマンはそんな老人の行動に不快感を表したが、その興味も薄れたのか周りをキョロキョロと見回し始めた。
ふとポストマンの目に一人の少年とカラスが映った。カラスは静かに観葉植物の枝にとまり、眼鏡をかけた少年は巨大な本を読みふけっていた。
そんな光景を見ていると、老人が慌てて立ち上がった。老人とは思えない機敏な動きに驚くポストマン。老人は大声で叫びながら、建物の奥へと走っていった。
「おい! 黒猫からの弟子を半人前に認める推薦状が来た!!」
建物の奥へと消えた老人の言葉を皮切りに、静まりかえっていた建物の中がざわめき始めた。一階へと駆け下りてくる子供、老婆、青年に太った女性。しまいには亀や蛇といったものまでポストマンの目に飛び込んできた。
あっけにとられているポストマン。そんな彼をの視界から外れた場所で、少年が本を畳んで鴉の方へと顔を向けていた。鴉はボソリと呟いた。
「黒猫の野郎……あいつが弟子だと……?」
鴉の声帯から出たとは思えない低いはっきりとした人間の声。少年は鴉を肩にのせると、老人達を追うように建物の奥へと向かっていった。
「あっ、手紙……どうしろってんだ…………」
少年が歩いて行くのを見送ったポストマンは、ぽつねんとして独りで玄関に立っていた。
◆◇◆◇
黒猫が推薦状を送ってから一週間後。黒猫と少女は緊急の薬の制作依頼を終え、遅めの朝食をとっていた。少女のメニューは依頼した家族の奥さんにもらったサンドイッチ。一方黒猫は養豚農家から買った豚の肉。
バクバクと食らいつく黒猫の前を一匹の虫が横切った。食べるのを急停止し、黒猫はその虫をジッと目で追った。食卓に降り立ったその虫を見て完全に肉を口から離す。そして、
「にゃっ!」
「ちょっ、師匠またなの!?」
本能にはあらがえず、虫を捕まえようと暴れまわる黒猫。少女はそれにすぐさま反応しサンドイッチと豚肉が入った皿両方を持ち上げた。黒猫が跳んで揺れる食卓。少女はそんな黒猫の様子に呆れつつ食卓に皿を戻して食事を再開……しようとした。
玄関のベルが鳴る。少女は二度も食事が邪魔されたことに苛立ちながらも、そんな感情を表に出さずに玄関へと向かう。
「はっ! 俺は一体何を……」
少女の視界の端で黒猫が虫を追いかけるのを止める姿が映った。少女が玄関に歩いて行くのを見た黒猫が慌てて玄関へと走ってくる。少女が玄関のドアを開けた。
金髪の眼鏡をかけた、少女と同年代であろう少年と、その脇に少年や少女から逃げようともせず、ちょこんと立っているカラスがそこにいた。少年を見つめたのち、カラスへと視線が移り、不可解な状況に少女が立ちすくんだ。
「……こんにちはエルフィオさん、僕はオーディル・シナローフス」
「魔術師教会からの「フシャー!!」カーー!!」
少女の影から顔出した黒猫はカラスを見た瞬間、ソレめがけて思い切り飛びかかった。カラスは間一髪で飛び上がってその攻撃を避けると、大声で鳴いて威嚇した。そんなカラスの甲高い声に驚き、なんだなんだと人々が集まってくる。少年と少女は目を丸くしたまま固まり、黒猫はカラスを睨んでカラスは柵につかまって黒猫を睨みながら言った。
「黒猫ぉ……お前、何のつもりだぁ? 今まで弟子なんてとらなかったお前が……この娘か?」
「俺の弟子に近づくな鴉」
剣呑な雰囲気が流れている事に気が付いた少女と少年は、周りの目を気にしてそれぞれの師匠を抱え上げた。そんな中でもなお睨みあう黒猫とカラス。弟子二人は多少顔を赤くして恥ずかしがりながら家の中へと入った。視線を遮断するために閉じられるドア。
「「もう! 急にどうしたんですか師匠!!」」
同時に発せられる弟子たちの抗議の声。一字一句変わらずに重なった事に驚き、顔を見合わせたあと顔を赤くして視線を外した。そんな二人のやり取りに睨みあっていたためにまったく気づいていない師匠達。やがて睨みあうのを止め、そっぽをむくようにそれぞれの弟子を見上げた。抱っこされる形のまま、黒猫が語る
「この野郎は鴉。クズだ」
「この野郎は黒猫って言ってな、クソみたいなやつなんだ」
「……」「……」
「カーーーー!!」「フシャーーー!!」
黒猫の独り言のような貶し言葉に、同じく独り言のような悪口で返す鴉。そして再び毛や羽毛を逆立てて喧嘩する獣と鳥。弟子二人はまた大きな声を出さないように師匠の口を塞ぐと、冷静に会話を始めた。
「えっと……お、おーでぃおさん?」
「……オーディルです。それで、あなたの師匠と喧嘩しているのが僕の師匠、鴉。なんか、ごめんねうちの師匠が……」
頭を鷲掴みにされ、中指と人差し指でその嘴をしっかり押さえられているカラス。そこまで拘束されながらもなお黒猫と睨みあっている。そんな様子に弟子二人は再び嘆息しつつ会話を再開した。
「えっと、要件としては魔術師総会からの書状を届ける為に“賢者”黒猫殿と、“半人前”エルフィオさんの下へと参りました。こちらが書状です」
「やった! 半人前!!」
少女の声に驚き、やっと我に返る師匠二人。少女は黒猫を床に降ろすと、少年から手紙を受け取って中に入っていた紙を見た。
『魔術師総会本部所属の賢者15名中12名の賛成により、
“賢者”黒猫の弟子、エルフィオ を“半人前”に認める。
尚、使節“賢者”鴉 へ証書と同封されし本人確認状に刻印を押したものを渡すこと。
それをもって半人前として本部名簿録に登録される。必ず渡されたし』
「えっと……刻印?」
「魔術を使うのに物に施す彫刻があるだろう。それのことだ。そこのタンスの一番上の引き出しの奥に印章があるはずだ」
黒猫の言うとおりに少女がタンスの中を調べると、細かな彫刻が施された印章が眠っていた。柄の部分には渦を思わせる二本の螺旋の彫刻が施されており、少女の手に自然に馴染んでいった。少女は朱肉をつけて印を本人確認証に押す。
少年は満足そうにうなずくと少女から本人確認状を受け取り鞄に入れる。そして鴉を肩に乗せて提案をした。
「それじゃあ、宿に戻りますか師匠」
「いや……待て。黒猫、お前に聞きたいことがある」
提案を首を左右に振って一蹴した後、鴉は黒猫を見下ろしながら言った。
「なぜお前が弟子を取ったんだ? 孤高の賢者黒猫様がよ」
「……お前には関係ないだろう。逆に聞くがお前はいつ帰ってきていたんだ」
「それこそ答える義務はねぇ」
再び睨み合う黒猫と鴉。両者に緊張が走る。
ズドッ!
両者の間の床に突きたてられたのは刃渡り五センチ程の柄に彫刻の施されたナイフだった。黒猫から見て柄が奥の方に見えるそれは、少年が魔術を使って高速で射出したもの。賢者たちは恐る恐る少年の方を見ると、
「……いい加減にしましょうね? 師匠も黒猫殿も」
「「は、はい」」
口角が上がり、口元だけは笑っているもののその瞳は全く笑っていなかった。少年の問いにうわずった声で賢者達は答える。普段から黒猫にべったりである少女も流石に擁護せず、しゃがんで黒猫の首を掴み、暴れないようにリラックスさせた。
「…………」
「間抜け(ズドッ!)はい、すいませっ!」
再度威嚇した少年はナイフを手元に引き戻し、黒猫に怒る少女に話かける。
「えっと……じゃあ、僕らはこれで。あと2、3日はサンセットガストースっていう宿屋に居ますので何かあったら」
「は、はい」
師匠である鴉を雑に掴みあげながら少女にニコリと笑いかけて出ていく少年。そんな少年を少女はぽけっと眺め続けていた。一方の黒猫はリラックスした様子でずっと首を掴まれていた。
◆◇◆◇
「あれが黒猫の弟子か……あれで一人前の力量と技術を持っているだと……? 黒猫め……あの試験内容ならば“一人前”に選ばれてもおかしくない、という事ぐらいわかっているはずだぞ……本当なのかあんな娘が……」
宿屋サンセットガストース。その一室で鴉と少年は語らっていた。話題の中心は勿論黒猫とその弟子である少女のこと。
「たしか見習いが……“師匠(賢者)の監督や手伝いなどがあって作られた薬ならば販売してよい。屋外での魔術使用禁止。薬の材料の買い付け、採取も禁ずる”で、」
「半人前は、“屋外・人前での魔術使用と薬の材料の魔術師総会公認商会のみでの買い付け解禁。ただし、採集は厳禁とする”だな。半年前のお前だ」
少年は鴉の言葉に少々複雑そうな表情を見せた。鴉はそんな少年を睨んだあと、呆れたように言った。
「妬んでも仕方がないだろう、これが才能の差だ」
「……わかってますけど……師匠が黒猫殿と前に会ったのは何年前でしたか?」
「確かあれは……産業革命に対する緊急集会だったか……となると、七年前だな。その時には弟子はいなかった」
「……となると少なくとも七年であれですか……僕だって努力してきたのに……」
鴉は悔しそうに俯く少年をまっすぐ見つめた。そして、怒鳴る。
「悔しがるな! そんなことをしていても才能の差が埋まるわけじゃない! 黒猫の弟子は確かに天才かもしれねぇ……それに比べたらお前は秀才なだけの凡人だ」
「…………」
「だがお前はあの娘より、五年も長く努力している! 経験の数と、旅によって得た知識がある! だったらそれを昇華させて対抗しろ!! 凡人は努力しないと天才には勝てないんだ!」
「………………師匠、ごめん。俺寝るよ……ははっ、なんか疲れちゃってさ……」
「おい、オーディル……ッ……わかった。……もう休め、俺は水でも浴びてくる」
頷いてベットへと潜りこむ少年。鴉は黙って開けられた窓からでて行こうとした。一度振り向き、少年を見た。少年がくるまっている毛布は震えていた。
鴉はそんな少年から目を背けるように、空高く飛び上がっていった。
泣きつかれてしまい、かなり早い時間に寝てしまった少年は、その夜の日付が変わるような頃に目が覚めた。少年からメガネが外されており、傍にあったその眼鏡をかけて辺りを見回した。少し離れたタンスの上で眠る鴉。少年は自分の鞄からタオルを取り出すと、鴉の背にかけてから部屋の外へと歩いていった。
(……外を歩きたい気分だ)
少年は宿屋の外壁に会ったカンテラを拝借して田舎町の路を歩いた。首都にある歓楽街や遊郭街のような騒がしさはどこにもなく、朝日と共に起き日が沈む時に眠るような生活を送っている田舎では、どこの家の寝静まっていた。
トコトコトコトコ
少年が歩く音以外の音が少年の耳に聞こえてきた。音の下は少年の歩く道を行った一つ目の曲がり角。少年は立ちどまってその向かってきた人影にカンテラの光を当てた。
「うっ……だ、誰?」
「……エルフィオ、さん? なんでこんな時間に……」
「この声って……オーディルさん? わ、私はなんだか眠れなくて……」
「そ、そうなんだ……奇遇だね……黒猫殿は寝ているのかい?」
少々気まずそうな言葉が発せられる。が、少年の顔を逆光の為に窺うことが出来ない少女はそんな事には気づかずにお誘いをする。
「そうです。喧嘩したら疲れたって言ってて……オーディルさんはこれから宿に帰るんですか?」
「いや……どこいこうかなって思ってたところ」
「それじゃあ、一緒に行きませんか?」
「どこに……?」
「私の、お気に入りの場所。です」
◆◇◆◇
少年と少女が訪れたのは町はずれ小さな丘の上だった。
肌寒い夜風が吹き付けるその丘は、満天の星空が広がり、半月の月光が明るく照らしていた。少女の先で空を見上げていた少年は軽く目を見開き、率直な感想を少女に伝える。
「これが……? 星空なんて別に珍しくもなんともないじゃないか」
そんな少年の言葉に反論もせず、こくりと頷く少女。辺り一帯の暗闇に黒く長い髪が溶け込み、その赤い双眸が怪しく瞬く。少年の傍に少女は歩くと、少年の左の方へ指を向けた。
「ほら。そこに私達の住んでる町がありますよね」
「……そうだね。でも、そこらじゅうに灯が灯ってて綺麗ってわけでも無いのに……」
「そうですね……ただ、私は。この町が大好きなんです。見てくれは良くないかもしれないけれど……町の人たちがあったかいことは知っているから。この丘に来ればそんな街を一望できるからお気に入りなんです」
饒舌に語る少女。少年はそんな少女を妬むような視線で見ていた。少女はジッと夜景を見ていたが、やがて夜風で体が冷えたのか可愛らしくくしゃみをした。少年は来ていたコートを左半分だけ脱ぐと、少女と肩を寄せて羽織らせた。起きた事態を理解し、途端に顔を真っ赤にする少女。
「な、なななな…………」
「い、いやほら……さ、寒いんだろうなって思ってさ……って、ていうか僕も恥ずかしいから、あんまり反応しないでくれよ」
「ご、ごめんなさい」
双方顔を赤くしつつ、すぐ近くにちょうど二人で座れるくらいの大きさの岩があったため、肩を寄せて互いに温まりつつ星空や街を眺めた。
数分の時が流れ、少女が口を開いた。
「鴉さんて、どんな方なんですか?」
「ん……? 優しい人だよ。僕らは旅をしながら薬を売っていてね。出来るだけ安く売れるようにしてるんだ。傷薬なら一個230ペンスかな」
「へー……私達も出来るだけ安くするけど258ペンスはするよ?」
「まぁ僕らは山の中で採集したりもしてるしね」
少しばかり誇り高そうに話す少年。そんな少年の言葉に首を傾げる少女。
「え? じゃあ、オーディルさんって“一人前”なんですか?」
「うん。半年前に認められたよ…………君ももう、……」
少年が最後に呟いた独り言はとても小さな声で、すぐ隣にいた少女の耳にも聞こえてくることは無かった。
少女が会話を続ける。
「なんで、師匠と鴉さんってあんなに仲が悪いんだろ……」
何気ない少女の言葉。が、嫉妬に囚われた少年の心に火がつくには十分なものだった。
「……才能の差だよ」
「え?」
「才能の差さ! 黒猫殿は才能に溢れてたんだよ! 君みたいに!! 鴉師匠や僕みたいな秀才どまりのことなんか君みたいな天才には理解出来ないんだろうな!!」
突然の怒鳴り声。小高い丘の上では周りに大したものも無く、ただ音が虚しく消えていくだけだった。少女は涙を流しながら言った
「ごめんなさ……だって……そんな、つもりじゃ……ひっく……」
少女の泣き声を聞いてハッと我に返る少年。子どもの様に泣きじゃくる少女の姿を見た少年は、その胸が、ギュッと締め付けられるように痛んだ。そして……何様だと言われるかもしれないにせよ、少年は少女を慰める為に知らぬ間に抱きしめていた。
少年の服は少女の涙によって濡れる。そしてそれぞれの口から出続ける「ごめん」「ごめんなさい」と言う言葉。輪唱のように重なって唱えられるそれらは淡い月明かりにかき消されていく。
半刻程のち。少女の嗚咽が止まり、それぞれの体が離れた。
気まずさからか、少年はコートを少女に預け、互いに背を向けて二人は座った。顔を見ないまま、少年が小さく深呼吸をして言葉を紡ぐ
「僕は、さ。没落した貴族の三男坊でね。必要の無い子、だったんだ。家庭にも居場所が無くて貴族社会にも馴染めず、平民とも仲良くなることが出来なかった。それで、一人で遊んでいたところに、鴉師匠と出会った。僕の話を聞いた鴉師匠は、僕を弟子に引き取ってくれたんだ。五歳くらいの頃かな……そして、鴉師匠と一緒にいろんなところに行っていろんな人と触れ合った。今の僕が居るのは鴉師匠のおかげなんだ」
少女は少年の話を空を見上げながら聞いていた。歌の続きを歌うように、次は少女が自分の過去を離した。
母親が病気で早くに亡くなったこと。黒髪赤目なために、気味悪がられて奴隷のように扱われていたこと。そして人間不信の中で黒猫に救われたこと。
少年は絶句した。そしてすぐに自身への怒りがこみ上げてきた。謝らなければと思った。この少女に自分勝手な思い込みからしでかしたことを、謝らねばと。
だが、心の整理がついておらず少年にはすぐに謝ることが出来なかった。
「ごめんね……オーディルさんも辛いのに……ごめんなさい……私、帰るね」
少女はコートを脱いで少年に渡した。その眦には光るものが。
「エルフィオさん!」
少年は思わず呼び止めたが、少女は振り向かずに丘を駆け下りていった。ポツンと独り残された少年はそんな少女を見送り、自分の不甲斐なさに悔いて頭を思い切り岩にぶつけた。
◆◇◆◇
翌日の朝。黒猫と少女は朝食をとっていた。
いつもは黒猫と少女の談笑が繰り広げられる場だが、少女は心ここにあらずといった様子で、もくもくと食事をしていた。
「……エルフィオ、どうしたんだ? なんか変だぞ」
「ねぇ……師匠」
神妙な様子の少女の言葉に居住まいを正す黒猫。少女はそんな黒猫に一瞥すると、続く言葉を言った。
「なんだか……ある人のことを考えると胸がズキズキする」
「……なあッ!?」
突然奇声を上げる黒猫。それに驚く少女。その拍子にどこかふわふわとしていた少女の意識が戻ってきた。
「び、びっくりしたぁ……何さ」
「む、胸がズキズキって……なんだ、その相手は男か!!」
「うん。……あ、これって恋なのかな……」
「い、いや断じて違うだろう。ズキズキだからき、嫌いなんだろうその相手が」
自身の感情に気付いた少女の言葉に、見るからに焦った様子の黒猫。「そうかなぁ……」と、少女が首を傾げているとふと外から何か音が聞こえてきた。
「くーーーーろーーーーーねーーーーーーこーーーーーー!!!」
ガチャリとドアを開けて入って来たのは鴉だった。声は怒りに満ちているものの、玄関のドアを開けて家に入るところに生真面目さが窺えた。鴉は律儀に玄関のドアを閉めると、ギロリと黒猫と少女を睨んだ。
「うちの弟子が夜中の間に頭に怪我をしたようだ。誰の仕業だ……? お前の仕業か黒猫ぉ?」
「え? オーディルさんが頭に怪我!? ぶ、無事なんですか!!?」
「お、おう、そうだが? い、いや……無事ではないが……」
少女の反応に慌てて答える鴉。少女の様子に一羽の賢者は首を傾げ、一匹の賢者はとある事実を察しこれは夢だという様に一心不乱に現実逃避を始めた。白い目をしてブツブツと独り言を言い続ける黒猫を見た鴉は、そこから異様なものを感じて問い詰めた。
「黒猫……テメェかこの野郎、俺の大事な弟子を傷つけた奴は……ぶっ殺すぞ」
「…………」
そんな鴉の物騒な言葉にやっと反応した黒猫は、鴉を見て普段の口調とは似つかない荒々しい口調で反論した
「やかましいわこのクソ鳥がぁ!! お前が来たせいで…………フシャーーーー!!」
「カーーーーーー!!」
そして始まる取っ組み合いの喧嘩。その喧嘩の根本的な原因の片割れでもある少女はどうしたらよいのかわからずにおろおろとし始めた。そして
バン!
という音が室内に響いた。音源は玄関。そこに立っていたのは金髪の眼鏡をかけた少年だった。途端に顔を逸らす少女。黒猫は少年を威嚇し、鴉は大丈夫かという様に棚の上に止まって少年を見た。走って来たのか少年は肩で息をしながら、
「はぁはぁ……は、速いですよ……別に……誰かにやられたわけじゃないって、言ってるじゃないですか……」
「じゃあ、誰だと言うんだ! 答えて見ろ!!」
すると、少年は
「エルフィオさん」
息を整えたあと、少女の方を向いた。鴉は即座に少女を睨み、黒猫は殺意を持って少年を睨み、少年の動向を少し振り向いて見ていた少女は、絶望したかのように涙を流した。少年はそんな少女の様子をまっすぐに見たあと、
「……ごめんなさい!!」
「……え?」
少年は誠心誠意をもって頭を下げて謝った。少年以外の室内に居た人物がキョトンとした表情になる。頬に涙の後がある少女を少年は背後から抱きしめて言った。ピキリという擬音が似合いそうなほど弟子たちを見て凍りつくふたりの賢者。
「ごめん……僕はあなたの事を理解しようともせずに、勝手に思い込んで傷つけてしまった……死んでも許されないかもしれない」
「…………」
少年の謝罪の言葉。少女は再び涙を流したあとに笑い声を出した。一般的に泣き笑いと呼ばれる表情になり、
「大丈夫、です。もう……重いですよ、そんなに身構えなくても……とっくに許してますから……」
少女はそういうと、自身にまわされた少年の腕を手に取って愛おしそうにした。その一見絵画や彫刻として存在しそうな構図。同時に息を吹き返した師匠達はそれぞれナイフを魔術で操って言った。
「「弟子から離れろやぁぁぁぁぁぁ!!!」」
飛来してくるナイフを少年が下敷きになる形で倒れて避けると、次は師匠達からのお小言。
「俺の弟子を誑かすんじゃねえぞこの女ぁ!」
「ヒトの弟子に手を出すとはいい度胸だなぁ……?」
その言葉、完全に親目線。
「……っというか、なんで一晩の間にこんなに関係が進展してんじゃお前らはぁぁぁぁぁぁ!!」
「えっとそれは……その……」
「やかましい!! エルフィオ、そもそも何故鴉の弟子なんだよりにもよって!!」
「オーディル、黒猫の弟子なんぞとの交際は絶対に認めんぞ! 破ったら破も……なんでもない!!」
鴉たちからの妨害によって離される弟子二人。そんな事態を見て、少女は昨日覚えた疑問を黒猫達に聞いた。
「……なんで、師匠達ってそんなに仲悪いの?」
「鴉は俺の兄弟子でな……こいつは……くそっ思い出すのも忌々しい……」
「な、なに……?」
黒猫の続く言葉を神妙な面持ちで待つ弟子二人。鴉は不機嫌そうな顔で黒猫を睨む。
「ヒトがやっとのことで仕留めた動物を、自分が仕留めたなどといって妨害し、その後両成敗といって俺の師匠に殴られた挙句、その夜の晩飯が抜きになる……って事が多々あったんだよ」
「「……え?」」
少年と少女は黒猫の言葉に耳を疑った。
「あぁん? あれは確実に俺だって言ってるだろ。自分の実力不足もわからねぇのか」
「うるさい。俺より才能あるからといって調子に乗っているお前が原因だろう」
ギャーギャーと繰り広げられる黒猫と鴉の口喧嘩。そんな様子を見た弟子達が思ったのは共通し、
(うわぁ……くだらな……)
などといったものであった。至極真っ当である。そして、少年は黒猫のある言葉を思い出して気まずそうな声をあげた
「さ、才能って……え? か、鴉師匠の方があったわけ……?」
「聞いて無いのか。こいつは五年程で“一人前”になった化物だぞ」
「……師匠?」
「…………真実を語らない方がお前も励みになると思ってな……」
少年は恐る恐る少女を振り返り見た。その顔に浮かんでいるのは微笑。
「うわわわわ! ご、ごめんなさい!! し、知らなかったんだ!!」
「…………」
「しーしょーおーー!!!」
慌てて家の外へと出ていく鴉。少年はナイフを何本も手に持つと、外に駆け出して鴉を追いかけ始めた。黒猫と少女がゆっくりと外へ出てみると、少年はナイフを操って鴉を落とそうと高速で射出している所だった。幸い通りにはあまり人がおらず怪我人が出そうな事態はなさそうであった。
そんな少年と鴉の様子を見ながら、黒猫とその弟子は大きく溜息をついた。
◆◇◆◇
「……なんか、申しわけありませんでした……」
「まぁ良いが……交際は認めんぞ」
鴉をどこからか借りてきたゲージの中に押し込み、ぺこぺこと頭を下げて謝る少年。少女はそんな黒猫に嘆息しつつ、提案をした。
「なら、師匠と鴉さん仲直りしてよ」
「は?」
「だって不公平だよ、私達だけ駄目駄目ダメダメって……」
「そう……だね。ズルいよ鴉師匠」
実際は主従関係である為になんら問題ないことだが、師匠二人は弟子を溺愛するあまり何故か頷いてしまった。
「……す、すまんな鴉……俺が悪かった」
「そうだな……お前が悪いよ……」
「おい、そこはお前も謝るところだろうが!!」
「知らねぇよ、なんで俺が悪くないのに謝らないといけないんだ!!」
弟子二人はここ三日間で何度目かもわからない溜息をついた。そんな弟子二人には気付かず、柵越しに頭をぶつけながら口論を繰り広げる賢者達。
少年と少女はそんな師匠達の様子を見たあと、お互いに顔み見合わせてクスリと笑った。
「……それじゃあ、僕らは本部に戻りますね」
「うん……また、旅に出るの?」
「そうだね。いつまたこの国に戻ってくるかわからないけれど……手紙を出すよ」
「わかった……」
少年と少女は抱き合った。やっと賢者たちは弟子達の行動に気付き、魔術を使ってそれぞれ威嚇をする。
「「だからやめろって言ってるだろうが!!」」
「……息ピッタリだね」
「「やかましい!!」」
賢者達の重なった怒号。一羽と一匹はそれぞれ顔を見合わせた。そしてまた喧嘩。
二人の弟子は飽きもせず喧嘩をする師匠を見て、手をつなぎながら苦笑していた。
少女と少年が紆余曲折がありながらも、やがて結婚するのはまた別のお話。
黒猫と弟子から三年後のお話です。
エルフィオ17歳、オーディルも17歳。
え?いつの間に好き合ったのかって?…本人達に聞いてやってください