小鳥たちの食卓 4
ご覧いただき、ありがとうございます。
本職のかたわら、ぼちぼち書きためていた作品です。これから少しずつ、書き足していきます。
また、個人サイトFeel the Blue (http://feeltheblue.com/)には、作品の設定などを載せています。ご興味がございましたら、ご覧ください。
少しでも多くの皆様に楽しんでいただけると幸いです。
※少しずつ直しながら書き進めているので、言葉遣いや固有名詞が変わることがあります。
ハイデは食堂の入り口に一番近い席に、一人腰を下ろして朝食をとっていた。
平民出の学生の席は食堂の入り口の近くと決まっていた。ここは暖炉に火が入り、高窓から朝の光も射し込む貴族の席と違って、一年を通して朝も昼も薄暗く、冷たい空気がこもっていた。席には常に水光石のランプが灯されていた。
水光石は遙か北の海で採られる石で、北国の人々の貴重な収入源であった。そして、水光石はハイデに故郷を思い出させるものでもあった。
ハイデの父親は北の海で水光石を採る漁師だった。冬には、海に押し寄せる流氷の上に小さな小屋を建て、仲間とともに、流氷の中から水光石を削り取っていた。
しかし、この漁は大きな危険も伴うものだった。天候や潮の満ち引きで潮流が変わると、突然流氷が陸地から離れて、永遠に海の上を漂うことになる。また、流氷には目に見えない裂け目があり、そこに足を踏み入れて二度と浮き上がることはできなかった。水光石は貴族や平民の生活に欠かせず、北国の貧しい人々に安定した収入をもたらしたが、変わりに多くの北国の漁師が命を落とした。そして、ハイデの父親も同じく水光石のために命を落とした一人だった。
ある吹雪の日、父親が氷の海で姿を消すと、ハイデの一家は金を得る手段を失った。一家にはハイデと母親の他に、二人の弟と一人の妹、そして父親の母親がいた。二人の弟は幼く、とても水光石漁に出ることができなかった。
その時、ハイデの母親は村のはずれの教会で、神学校に行かせる学生を募っていることを知ったのだった。
ハイデの村は教養や知識とは無縁の土地で、教会に行く者もほとんどなく、村はずれの岬にある教会はがらんとして潮風にさびれていた。村人の多くは教会の痩せた神父が語る神の言葉よりも、空と海の機嫌をうかがっていた。ハイデも教会には一度も行ったことがなく、家族のだれも神父の言葉に関心を持たなかった。
母親がハイデを神学校に行かせることを決めたのは、神学校で毎日食事が出されることを知ったからだった。冷たい海に面した村に似合わない黒衣を着た神父は、ハイデの母親の申し出を受けると満面の笑みで喜んだ。それとは裏腹に断られることを期待していたハイデは、言いようのない悲しみに打ちひしがれた。
ハイデが村を離れるとき、母親が綿と麻の糸で織った薄手のスカーフをハイデに贈った。それは母親が漁の手伝いの合間に作ったもので、村の山で春に咲く薄紅色の花と同じ色をしていた。
寒風が吹きすさぶ北の村で、女ができる仕事は男たちの漁の手伝いくらいであった。一日中、男たちに混じって網を引き、魚を干してもわずかな金しか手に入らなかったが、他に金を得る方法はなかった。母親はハイデの入学が決まると、毎日、浜で働きづめ、食事もきりつめて金を貯めていった。そして、少し金がまとまると、村に一つだけあった織物を商う店に行き、たくさんの生地の中から、一番見た目の良い生地の切れ端をもらってきた。母親はその生地の切れ端を、山で採った草木を煮出して染め上げた。
そうしてできあがったスカーフには、教養とは無縁のハイデが他の学生に少しでも暖かく受け入れてもらえるようにとの願いと、二度と会えなくなるかもしれない娘に対する心からの詫びが込められていた。
薄い綿と麻のスカーフは、絹で織られた貴族のものに比べると遙かに見劣りしたが、ハイデにとっては母親の温もりを感じることができる大切な宝物だった。
ハイデが水光石の明かりを見てぼんやり故郷と母親を思い出していると、だれかがトントンと机を叩く音がし、ふいに何かの花の匂いが優しく香った。
見上げると向かいの席の側に、背の高い華奢な体の少年が、食事の盆を持って立っていた。ハイデは少年の美しい姿に、彼が何者であるが認めると、びっくりして手を止めた。
「おはよう。ここ、空いてる?」
少年は鈴が鳴るようなきれいな声でハイデにたずね、ハイデの向かいの席を指さした。
ハイデの周りには平民の学生がそれぞれのクラン同士で食卓を囲んでいたが、ハイデの周りにはだれもおらず、いくつもの席が空いていた。
「…どうぞ」
小さな声で言うと、ハイデは少年に席を勧めた。
「ありがとう」
少年はにっこりハイデに微笑んだ。
その笑顔に、ハイデは思わず目を吸い寄せられた。それは故郷で春にほころぶ薄紅色の花を思わせた。そして、つかの間、少年の姿に見入った。
透き通った白い肌にわずかに紅が差している。白く浮き上がった髪にはうっすらと金色がかかっており、伏せられたまぶたの先にのまつ毛は長かった。そのまつ毛の奥には、故郷の空と同じ青色をした瞳が見えている。顔立ちは一分の隙なく美しく象られ、すらりと細い体には不思議な色があった。
平民の学生の席は聖堂でも、扉の近くの一番後ろにある。ハイデは今朝のミサの途中で少年が入って来たことに気づいていたが、祈りに夢中で、離れた席の少年を見ることはなかった。そして、祭壇はハイデの席からはあまりに遠く、リヘイル司教の隣に立った少年の姿ははっきりと見えなかった。
食堂に向かう途中で、行き交う貴族の学生たちが少年のことを話していても、ハイデは自分にとって無縁のことだと思い、興味を示さなかった。しかし、こうして少年を間近に見ると、貴族の学生が口々に彼の話をしている理由がよくわかる気がした。
少年は手に持っていた盆を食卓に置くと、ハイデの向かいの席に座り、毛織りのマントを肩からかけた。そして、パンを千切るとスープに浸し、口に入れる前にハイデに話しかけた。
「僕はユウマ・キリル。マインセム王国から来たんだ。君は?」
ユウマが青い瞳でハイデを見つめた。ハイデは顔が赤くなるのを感じ、ユウマの瞳を見返すことができなかった。
「私は…ハイデ・アーミッシュ…です」
ハイデの様子を気にすることなくユウマが続けた。
「そう、よろしく。どこからきたの?」
「たぶん、ユウマ様が知らないところです」
「知らないところって?」
「…言っても、わからない小さな村です…」
「そう…」
ユウマは少し首を傾げると、パンを口に入れた。
「うん、おいしい」
そう言うと、ユウマは華奢な体に似合わず、次々にパンやスープを口に運んだ。ハイデが意外な顔でその様子を見ているのに気づくと、ユウマはにっこりして問いを重ねた。
「ねえ、君はどこのクランに入ってるの?」
ハイデが動きを止めて、表情を硬くした。
「…“小夜鳴き鳥”です」
ユウマが明るく微笑んだ。
「へえ、いい名前だね」
ハイデはそれに答えず、食事を急いだ。
「じゃあ、僕も入れてくれる?」
ハイデは驚いて顔を上げた。そしてユウマの言葉の意味を考え、険しい目つきでユウマを見つめた。
「ユウマ様、あなた“約束された者”でしょ?」
「そうだよ」
ユウマは屈託なく答えた。
ハイデには、その答え方が気に入らなかった。胸の中にいらつきを感じると、ハイデはうつむいて黙り込んでしまった。