小鳥たちの食卓 3
ご覧いただき、ありがとうございます。
本職のかたわら、ぼちぼち書きためていた作品です。これから少しずつ、書き足していきます。
また、個人サイトFeel the Blue (http://feeltheblue.com/)には、作品の設定などを載せています。ご興味がございましたら、ご覧ください。
少しでも多くの皆様に楽しんでいただけると幸いです。
アクルクスの食堂が最も活気にあふれる時間を迎えた。
朝のミサの間、空腹に耐えていた学生が次々にやってくる。食堂は学生の話し声と食器の音の喧噪に湧き、食事を作る蒸気でむせかえっていた。
アクルクスの食事は質素である。ポーセリア名産の黒麦を混ぜたパンと小さなバターとチーズの固まり、そしてハムと市場で安く買い上げられた野菜のスープ。食事の内容は毎日同じで、身分を問わず同じ食事をとる決まりであった。貴族の出の学生はこの食事に慣れず辞めていく者も多かった。それでも司祭たちは、この質素な食事の規則を頑なに守っていた。
「エッセルテームでまたハドネレスと小競り合いがあったらしいなあ」
食堂の大きな暖炉の前の席に座っている体格の良い青年が、新聞から目も上げずにつぶやいた。
「エッセルテーム?」
隣の青年がスープの湯気でくもった眼鏡をナプキンで拭きながら問い返した。
「うん。トゥミラン神国の奴らがイラ川を越えて、ケセレージュ平原に入って来たらしい。サン=アルマン騎士団が押し返したみたいだが、村が一つ焼け出されたらしいぞ」
「こちら側の村ですか?」
「いや、トゥミラン神国の方だな。防衛線を張るために、騎士団が国境付近の焼け出された村に宿営しているらしい」
「あの辺は、まだ国境線があいまいなままですからね。サン=アルマン騎士団は早く、国境整備の話し合いの席に着くべきですよ」
そう言うと、隣の青年は眼鏡をかけ直し、神経質に手で眼鏡を軽く押し上げた。
「もう、ディラン様、食事中に新聞を読むのはお止めください。ああ、はしたない」
向かいに座っている長い金色の巻き毛の女性が新聞を読んでいる青年を睨むと、忌々しそうに首を振った。
「うーん」
ディランと呼ばれた青年は頷きとも否定とも取れない返事をし、新聞を目の前にかざしたまま、左手で短い髪の毛をかきむしった。その様子を見て、金髪の女性がため息をつくと、隣の緑の瞳をした女性が苦笑した。まっすぐな茶色の髪を後ろで束ねている。
「ディラン様の悪い癖はとうとう、最後まで直りませんでしたね」
女性はそう言って苦笑した。すると、別の青年が話しに割って入ってきた。ディランよりも細い体格で、その表情には危うい純真さが色濃く残っていた。
「話し合いの席に着く必要はないですよ。このままトゥミラン神国に入って、水晶の塔の賢者を信じるような野蛮な考えを改めさせればいいんだ」
「セシル」
眼鏡をかけた青年がスプーンを持っていた手を置いて、強い視線で振り返った。二人の青年の視線がぶつかり合った。
そのとき、涼やかな声が二人の間に入ってきた。
「リオス様、水をお持ちしました」
褐色の髪の青年が、グラスおいた盆と水の入った壷を持っている。襟には眼鏡をかけた青年と同じ、茶色の生地に銀糸で鷹の刺繍が入った絹製のネクタイを着けている。
青年はにっこり微笑むと、グラスに水を注ぐと、眼鏡をかけた青年に差し出した。
「ありがとう、サラン」
リオスが差し出されたグラスを受け取りセシルから視線を離すと、サランは隣のセシルにも水の入ったグラスを差し出した。
「ありがとう」
セシルがふてくされた顔でグラスを受け取ると、サランは周りの学生たちにもグラスを配った。ディランはようやく新聞をテーブルに置き、サランからグラスを受け取ると、品や埋とした水で口を湿した。
ポーセリアの春は寒い。
すでに木々は新緑を芽吹かせているが、くもりの朝は太陽のぬくもりが届かず、かまどの火が盛んにたかれている食堂も暖炉の火が欠かせなかった。
それでも、清貧を尊ぶアクルクスの司祭たちは食堂にある六つの暖炉うち、二つの暖炉にしか火を入れることを許さなかった。
食堂の大きな扉が開いて、学生の集団が入ってきた。大柄な青年が二十人くらいの学生を率いて、大きな歩幅で狭い食卓の間を通り過ぎていく。その姿を見た他の学生が、無言で道を譲った。
広い食堂を横切って、ディランたちの席の向かいに、火が入ったもう一つの暖炉がある。その前のテーブルには数人の学生が食卓の皿や水の瓶の位置を整えていた。学生たちの集団は、まっすぐにその席に向かった。彼らが近づくと、食卓の支度を整えていた軽く頭を下げ、椅子を引いて迎えた。
食卓の中央には先頭に立っていた大柄な青年が座った。隣には銀髪の青年が座る。二人が席に着くと、共に来た学生が一斉に席に着き、食事の前の祈りを済ませるとパンやハムを食べ始めた。
ディランが食堂の端から彼らの様子を眺めていると、中央の席の大柄な青年と視線がかちりと合った。
青年は金髪の髪を短く刈っていて、肌は日に焼け、いかにも武術を心得た者らしい。しかし、離れた場所からも見える大きな身振り手振りには、武術で身につけた礼儀のかけらも感じられず、隣に座る銀髪の青年の物静かさ対照的であった。青年は無遠慮にディランの視線を受け止め、ふてぶてしくにやりと笑った。
ディランは胸に湧いた不快な思いに、かすかに眉をひそめた。アクルクスで最も格式の高いクランの一つ“白い羽根”の席長であるこの青年が、ディランはどうしても苦手であった。
「ジョーゼット様、タイが曲がっていますよ」
サランが言って、ディランの斜め迎えの席に座る赤毛の少女の水色のタイを、結び直した。年の頃はまだ十代前半で、その隣にはまったく同じ姿をした少女がチーズとハムをのせたパンをほおばっていた。隣の少女は桃色のタイを形よく襟に結んでいて、このタイの色でしか二人を見分けることができなかった。
「ベルベット様!バターがつきますよ!」
サランが慌てて、ジョーゼットの隣で腕を伸ばしている少女のそでをつまみ上げた。
すると、食卓の反対側の端の席に座っていた少年が、ここぞとばかりに声を上げた。少年は双子の少女とあまり変わらない年頃で、一緒に食卓を囲む青年たちに追いつけとばかりの勢いで話し始めた。
「ジョーゼットもベルベットも早く貴族のたしなみってやつを身につけろよ。サランに世話されているようじゃ、いつまでたってもキュリア様に代わって、ロスヴェータ様にお仕えできないだろ」
「すみません、シルヴァン様。気をつけます」
ジョーゼットが言うと、ベルベットも皿の位置を直し、ジョーゼットと同じ仕草で身を縮めた。
「シルヴァン、そう二人にきつく当たらないで。ねえ、キュリア?」
ロスヴェータがシルヴァンをたしなめて、長い金髪をふわりとさせ、隣の茶色の髪の女性を振り向いた。
「ええ、二人とも気にしないで。サランに教わって、少しずつできるようになればいいのよ。焦らなくてもいいわ」
「はい」
ジョーゼットとベルベットはまったく同じ顔で二人に微笑んだ。
サランはジョーゼットのタイを結び直すと、ようやく席に座り、自分の食事を始めた。
(我が“蒼天”は今日も平和だなあ…)
クランの仲間のやり取りに思わず顔を緩めると、ディランは“白い羽根”の席長の顔から視線を離した。
ディランが再び新聞を手に取ったとき、目の端に朝のミサで紹介された少年が食堂に入ってくるのが見えた。リオスも気づいてひたと彼を見ている。多くの学生に紛れていても、その美しさで、少年の姿は目立っていた。
“白い羽根”の一番端の席に座っていた少年が席を立った。その動きを“白い羽根”の席長の隣に座っている銀髪の青年もちらりと横目で追っていた。
「ブロニスラウ公の弟を行かせたか…」
そうつぶやくと、リオスは考え込む顔で、食事に目を戻した。