小鳥たちの食卓 2
ご覧いただき、ありがとうございます。
本職のかたわら、ぼちぼち書きためていた作品です。これから少しずつ、書き足していきます。
また、個人サイトFeel the Blue (http://feeltheblue.com/)には、作品の設定などを載せています。ご興味がございましたら、ご覧ください。
少しでも多くの皆様に楽しんでいただけると幸いです。
※少しずつ直しながら書き進めているので、言葉遣いや固有名詞が変わることがあります。
鐘楼の鐘が鳴り、朝のミサの始まりを告げた。
朝のミサの鐘が鳴ると、アクルクスの礼拝堂まって
きた。礼拝堂の扉の両側には当番の学生が立ち並び、礼拝堂に入る学生たちの身なりに注意を配っている。
礼拝堂の中は冷え冷えとしていた。学生たちの祈りのつぶやきが静かにこだましている。襟元のスカーフの形を軽く整え、エルウィンは静かに礼拝堂に入り、祭壇の左手にある前から三列目の席に滑りこんだ。手に持っていた礼拝堂と聖歌集を椅子の下にしつらえられた棚にしまうと、隣のレーオを目が合った。レーオはにやっと笑いかけてきた。
エルウィンは同じ“白い羽根”のクランに所属するレーオがどうしても好きになれなかった。レーオはエルウィンより一才年上の一四才で、かつて大司教を排出したことがある、イスタナ王国の貴族の出であった。彼は一三才にしてはまだ子どもの幼さが残り、体が小さいだけではなく、公国出身であるエルウィンをことあるごとに小馬鹿にしていた。
エルウィンはレーオの隣に座ったことを軽く呪って、通路を隔てた右側の前の席に目をやった。そこには十人足らずの学生の背中があった。
教皇領の中心都市ポーセリアにある神学校アクルクスには厳しい戒律がある。
その一つがクランであった。学生は身分と出身に基づいて、クランという学生の集団に所属する。クランへの所属には学校長の許しが必要で、学生たちはあらゆる時もクラン同士で行動する。そして、クランには厳格な格式があった。礼拝堂でも教室でも、前の席に座ることが許されているのは一部の格式高いクランの学生だけであった。
今、アクルクスで最も高い格式を誇るのは祭壇の左前列にエルウィンと共に席を占める“白い羽”、そいて通路を隔てて祭壇の右前列に席を占める“蒼天”であった。
(何とかして“蒼天”より先回りしないとな…)
エルウィンは兄の言葉を思い出しながら、“蒼天”の後ろ姿を眺めていた。
ミサの始まりが告げられた。
“蒼天”の席に座っていた青年が立ち上がり、祭壇の横の読み台に進み出た。青年の顔にはうっすらと少年の幼い面影が残っていたが、ひしと前を見据える視線には、学生に似つかわしくない風格があった。読み台の前に立つと、青年は神経質に右手で軽く眼鏡を押し上げ、静かに聖書の一節を読み上げ始めた。
その時、礼拝堂の入り口の扉が細く開き、司祭に招かれて少年が入ってきた。
礼拝堂の空気が一瞬こわばった。
アクルクスではミサの途中で礼拝堂に入ることは許されない。授業を受けなくても、ミサに遅刻せず出ることがこの神学校の最低限の規律だった。それは毎朝、神にこれから使えようとする者の最低限の義務であった。
ミサに遅れて入ることが許される事情を持った者。エルウィンは兄と話していた少年のことを否が応にでも思い出さざるを得なかった。
(彼だ。真に約束された“教皇の切り札”…)
司祭の小声と、少年が席に座る音がエルウィンの背後から聞こえた。空気が静かにざわつくのを感じる。胸の居心地の悪さを落ち着けようと身じろぎする、不自然な衣擦れの音が礼拝堂のに響いた。
その中で、読み台に立っている青年の表情は変わらなかった。朗々と聖書の言葉を読み上げる声には、礼拝堂に入ってきた少年への関心をかけらも感じられず、恐ろしいほどに落ち着いていた。青年の声は礼拝堂のすみずみにに染み渡り、泡だった空気を払っていった。
青年が聖書を読み終わり、クランの仲間たちの席に戻る頃には、礼拝堂にいつもの朝の静けさが戻っていた。
学長のリヘイル司教が満足した表情で壇上に上がると、ミサの言葉を続けた。学生たちと教師が司教の言葉に唱和する。美しいオルガンの調べが神を称える。滞りなく進むミサが礼拝堂に差し込む朝日と、穏やかに調和した。
「聖体拝領です。学生から一人ずつ前に来なさい」
エルウィンの胸を再び緊張が打った。少年は一番後ろの席に座っているはずだ。
「確実に彼は美少年だと言える。しかも教皇聖下お気に入りの青い目に金髪で、色白だ」
エルウィンは兄が手紙に書いて来た少年の容姿を思い出した。
レーオがエルウィンをせっついた。慌ててエルウィンは中央の通路に歩みでて、拝領の列に並んだ。司教にパンを口に入れてもらい、自分の席に戻る列に従い礼拝堂の後ろ向いたとき、後ろの席の片隅に髪の白い少年がうつむいているのが見えた。
(彼だろうか…)
遠目には金髪に見えなかった。美しい髪の毛だったが、兄や自分のような鮮やかな金髪ではなかった。
胸の緊張が疑問に変わり、エルウィンは席に戻ると目を閉じて、祈りに心を鎮めようとした。
前列の貴族の学生たちが通り過ぎると、後ろの席に座っていた平民出身の学生がエルウィンの横を通って行った。その時、一瞬エルウィンの鼻を花の香りがくすぐった。
エルウィンは顔を上げると、先ほど見えた白い髪の少年の後ろ姿が見えた。思っていたよりも背が高かった。エルウィンはすぐにうつむいて、もう一度、祈りに心を静めようとしたが、胸に広がる疑問と好奇心が邪魔をした。
聖体拝領が終わると、当番の教師が今日のお知らせを学生たちに告げた。
「本日の教室の鍵当番は“新緑”です。“新緑”の者はミサが終わったら、マキアフェーベ司祭のところに鍵を取りに来なさい」
教師は手のメモをめくると次の指示を伝え始めた。二時限目の講義が始まる前にレポートを出すこと、図書館の本をていねいに使うようにすること、そしてポーセリアの酒場でアクルクスの学生らしき者を見かける報告があったこと。
このときばかりは、学生たちは互いの顔を見、軽口をたたき笑った。
教師は一通り話し終わると、学長から知らせがあると告げた。学長のリヘイル司教が教師の言葉を引き継ぎ、祭壇前に立った。
「今日からアクルクスでみなさんと一緒に学ぶ方が入りました。ユウマ・キリル、前に来なさい」
学生たちが一斉に神経を研ぎ澄ませた。エルウィンも心を決めて、祭壇の前を見た。後ろでかたりと音がすると、少年が足音をほとんど立てずに席を回り込んで歩き、祭壇の横にいるリヘイル司教の横に立った。
少年を見て、エルウィンははっと息を飲んだ。
一分の隙なく美しく象られた顔が礼拝堂の窓から差し込む淡い朝日に白く浮かんでいた。
うっすらと微笑まれた瞳は空の深い青色をたたえ、白金の細い髪がやんわりと額に落ち掛かっていた。すらりと伸びた身体は十五才の少年にしては華奢すぎるように見える。
少年の出で立ちは、至上の存在に選ばれるに相応しかったが、そこはかとなく香り立つ色が少年の美しさに暗い影を落としていた。
もはや軽口をたたく者はなく、みな目にしている少年の姿に息をつめていた。リヘイル司教が続けた。
「マインセム王国から来たユウマ・キリル君です」
エルウィンの胸がきりりと締め付けられた。
「彼は平民の出身ですが、この度、天の御使いの啓示を受け、銃騎士になるべくアクルクスに入学することになりました。学校やこの街のことは知らないことが多いと思いますので、みなさん、進んで彼の学生生活を助けてあげてください」
学長が言い終わると、少年は小さく微笑んだ。
「みなさま、よろしくお願いいたします」
礼拝堂は静寂した。
礼拝堂中の学生が息をすることさえ忘れていた。
ふいに祭壇の右手前の席から拍手の音が聞こえた。ミサの最初に聖書を読んだ青年だった。穏やかな面もちで少年を見上げている。隣の青年も同じ面もちで拍手をしている。
その拍手に学生たちが少しずつ自分を取り戻し始めた。拍手の音が次第に広がっていく。エルウィンも拍手をした。
しかし、心は得体の知れない疑念と不安で重く沈んでいた。