春の影 3
ご覧いただき、ありがとうございます。
本職のかたわら、ぼちぼち書きためていた作品です。これから少しずつ、書き足していきます。
また、個人サイトFeel the Blue (http://feeltheblue.com/)には、作品の設定などを載せています。ご興味がございましたら、ご覧ください。
少しでも多くの皆様に楽しんでいただけると幸いです。
※少しずつ直しながら書き進めているので、言葉遣いや固有名詞が変わることがあります。
ユウマはスティンプの元を去ると、寄宿舎には戻らず、食堂に向かった。
食堂に着くと、扉が開け放たれていて、厨房の男が中から切り残した野菜や肉が入った鉄の樽を運び出していた。中では給仕の女たちが食卓を拭いたり、水光石のランプを消しながら、忙しく立ち働いていた。
その中に今朝、食卓にこぼれた蜂蜜を拭いてくれた女の姿を見つけると、ユウマは話しかけた。
「あの」
女は振り返った。ユウマの姿を扉の側に認めると、不機嫌そうに眉をひそめた。
「なんだい?」
「トポル夫人がいる書類管理の部屋はどこですか?」
女は手を止めてユウマをじっと見ていたが、食卓に向き直ると手を動かしながら言った。
「もう授業が始まる時間だよ。教室に行きな、お嬢さん」
ユウマは背中を見せている女にもう一度、話しかけた。
「あの…でも、どうしてもトポル夫人に用があるんです」
「あんた、新しく入ってきた学生かい?」
女はめんどうくさそうにユウマを振り返った。そして食堂の扉の右を指さした。
「右の突き当たりの壁にこの建物の案内図が張ってあるから、それを見な」
それだけ言うと、女は再びユウマに背を向けて食卓を拭き始めた。それ以上は何も答えてくれなさそうだった。
「ありがとうございます」
女に礼を言うと、ユウマは足早に食堂を後にした。
食堂の扉を出て右に進むと、女が言ったとおり壁に大きな案内図がかかっていた。案内図の中にエルウィンが言っていた書物管理室があるのをすぐに見つけると、ユウマは近くの階段を駆け下りていった。
食堂の下の階は一階だった。廊下の窓から差す光は上階より少なく、空気はさらに冷えていた。記憶の中の案内図通りに廊下を歩いていくと、古いドアとカウンターが見えてきた。
ユウマはカウンターの側まで行くと、中をのぞき込んだ。薄暗いカウンターの中には水光石のランプがいくつか灯されていた。初老の女が書類の山の中から紙の束を取り出して、水光石の明かりで一つ一つ確認しながら棚に納めている。女は髪をきれいに結い上げ、上品な生地のドレスを着ていた。胸元にはスカーフを巻き、赤い石の入ったブローチで止めていた。
「あの、すみません」
ユウマが話しかける、女は顔を上げて眼鏡を外した。ユウマの姿を見て襟元に何もないことに気づくと、目を細めて首を傾げた。
「あら、こんな時間にどうしたの、お嬢さん?もう授業が始まる時間よ」
「あの、ここにトポル夫人はいらっしゃいますか?」
「私がトポルよ。何かご用?」
トポルは眉を上げると、にこりともせずに答えた。ユウマはためらいもせず、用件を言った。
「クランの入籍申し込みをしたいんです」
「クランの入籍申し込み?」
「はい。ここでできるって聞いてきたんです」
トポルは眉をひそめた。首にかけた眼鏡を触りながら、腰に手を当て、じっとユウマの顔を見ている。
「確かにクランの入籍申し込みはここでできるけど、もうすぐ午前の授業が始まる時間よ。早くに教室に行った方がいいんじゃなくって?」
「そうなんですけど、先に入籍届けを出したいと思って。申込書をいただけますか?」
「あなた、新入生なの?」
「はい」
自分の注意を気にせず、屈託なく答えるユウマに、トポルはいら立ちを感じながら答えた。
「クランの入籍申し込みなら後でもできるわよ。それに、新入生がクランに入るなら、まずそのことを司教様や先生と相談しなくてはね」
トポルは再び眼鏡をかけた。
「まずは遅刻せずに授業に出なさい。学生の務めよ」
そう言うと、トポルは再び書類の山に向き直って、紙の束を一つ一つ確認し始めた。
ユウマは何も言えず、トポルの背中を見てしばらく立ち尽くしていた。トポルはユウマを振り返らずに、ランプの明かりで紙の束を確認しては棚にしまうという作業を黙々と繰り返していた。
「あの」
ユウマがもう一度話しかけると、トポルは不機嫌な顔を隠さずに顔をあげた。
「あの、すみません。ノートとペンを忘れてしまったんです。もう取りに戻る時間がないので、何か紙とペンを貸していただけませんか?」
「紙とペン?」
トポルはあきれた顔をした。そして、手元の机の引き出しを開けると何枚かのざらざらとした紙と使い古したペンを取り出した。
「仕方ない新入生ね。さあ、これで授業に行けるでしょ?」
「はい、ありがとうございます」
「結構。じゃあ、教室に急ぎなさい」
ユウマは紙とペンをトポルから受け取ると、礼を言った。トポルは再び書類の山に向かった。
ところが、ユウマはカウンターの台の上で紙に何かを書き付け始めた。トポルはユウマが立ち去らないことを背後に感じると、いら立たしげに振り返って、口を開きかけた。ユウマはトポルが話し始める前に、紙を差し出した。
「トポル夫人、これをマキアフェーベ司祭様に渡してください。」
トポルは紙を受け取り、そこに書かれている文字を読むと、驚いた顔でユウマを見た。