【 The raising of the curtain of the carnival 】
【 Changes in doubt from the dream 】の続きになります。
【 The raising of the curtain of the carnival 】
攸貴達が部屋に着いた時には、既に太陽は真上に位置していた。荷物をまとめながら、これからの時間配分を考えながら幹は、任務開始時間を思い浮かべて憂鬱になった。
「あーあ。このままだと向こうに着くのは日没手前ってところかしらね」
「え? うそ」
「本当よ。これじゃぁ任務開始時間は【ワイバーン】との連携確認も含めて夜中になるかしら。夜行性の【ミディアン】を片づけるには真昼間が一番良いってのに」
かと言って任務開始時間を昼まで伸ばせば、包囲網から【ミディアン】が逃げ出す可能性がある。それは最も避けなければいけないことだった。
「夜中に、なるのか?」
「そうよー。本当にやんなっちゃうわ。あ、そうだ。あんたそう言えば夜の任務って初めてだったかしら」
「え、あ、ああ」
「じゃぁ、先にこれ渡しとくわ」
「わわっ……なんだ、これ」
投げ渡されたのは、コンタクトケースだった。どこにでもあるようなコンタクトが中に入っているが、そのケースがあまりにも厳めしく、ただのコンタクトレンズではないことを物語っている。
「暗視機能と温感反応を取り入れた、アヤセ渾身の出来のコンタクトよ。操作は遠隔。耳にケースの中に入ってるインカムをつけて、そのダイヤルを回すことで出来るわ。試作品だから、感想が聞きたいんですって」
少し浮かれた声の幹が、手の中にある攸貴と同じケースをひらひらとさせた。
「ご機嫌だな」
「そりゃぁね。アヤセ率いる科学特班の作る機械は、丈夫だしなによりも機能が良いわ。試作品、っていうのがちょっと玉に傷だけど」
「なんか試作品で失敗したことでもあんのか?」
「研究所が一つ無くなったわねー。爆発で」
「……は?」
さらりと言われた言葉に、思わず攸貴は幹を二度見する。幹は苦笑した。
「アヤセが効率の良い爆弾を作っててさぁ。そんときにルーディも一緒に居たのよね。ほら、あいつ爆弾魔だし。そしたら試し打ちをしたいとかで研究所ん中でぶっぱなしたのよねー。おかげでアイツだけじゃなくて第零大部隊全員が研究所に出禁くらっちゃったわ」
「へー……」
「なんだったかしら……高圧電流を一か所に急激に溜めることによって起こす爆発だったかしら。確か今は実用化されて、【ワイバーン】の連中が使ってるわ」
あんな物騒なモノ、よくもまぁ使う気になれるわよね。幹は完全にあきれ顔であった。
話をしながらも、荷造りの手は休まることはない。すっかり一週間の遠征分の支度が出来てしまった。
「さ、行くわよ」
「お、おう」
「……なんか、あんたヤケに今日は大人しいわね、気持ち悪い」
何時もならば憎まれ口の一つや二つをつく攸貴の口が、大人しく噤められていることにいよいよ大きな違和感を覚えたのだろう。幹はジトっとした目で攸貴を睨んだ。
攸貴は思わず幹から視線をそらす。
「き、気のせいだろ。幹、ほら行くぞ」
「……ええ、そうね。じゃぁ行きましょうか」
「なぁ、そう言えばどこに行くんだ?」
攸貴の言葉に、幹はクスリと笑った。
「ギリナ方面。特に被害の多いルーチサンスって村よ」
「……なんか、噛みそうな名前だな」
「そうかしらね」
ギリナ方面へと向かう交通路へと手続きをすませに部屋を出る。
「じゃ、行くわよ木偶」
「攸貴だって言ってんだろ。いい加減名前覚えろよ」
‡
攸貴は完全に頭を抱えていた。目の前には、子供とその兄らしき人物が手を繋いで仲良く歩いている。自分は視点を浮遊させながらその二人の後ろをついていた。
――意味わかんねぇ。
自分が今置かれている状況すら分からないが、なによりも目の前の出来事の方がよほど衝撃的だった(タイムトリップまでしたのだからもう幽体離脱くらいでは驚かない)。
仲良く手を繋いでいる16、7歳の青年……の、弟らしき少年は、攸貴が先ほどまで個体を持って存在していた時、最後に目にしたアスクリアにそっくりだったのだ。
――あの後どうなったんだよ俺。意識無くなっちまったから覚えてねーけど……。
たしか、あの時この少年に似たアスクリアは、自分に手を伸ばしていた様な気がする。その時に痛みを感じなかった辺り、自分はあのアスクリアに寄生されてしまったということだろうか(既に死んでいるという考えは持っていない。だって怖い)。
――じゃぁ、この映像はあのアスクリアの記憶か? でもなんで、アスクリアが人間の形をしてんだ、おかしくねぇか?
アスクリアについて「人間を襲う正体不明の化物」程度の認識しかない攸貴には、現状を把握しきるのは困難と言えた。事実、彼は今頭を悩ませている。それはそれは痛いほどに悩ませている。
――他人の空似か? それとも、人間に完璧に化けてんのか?
そう思考を働かせながら、前者はありえないと断定した。他人の空似程度の奴が、アスクリアの記憶に出てくるわけがない。
では人間に完璧に化けているのだろうか。それも違うと攸貴は思った。以前寄生型アスクリアと戦った時、その多くは、形を変えられないからこそ物体に寄生するのだと教わった。
目の前の少年にこれからアスクリアが寄生するのだろうかと攸貴は更に思考を働かせるが、寄生型アスクリアは、一つの宿主に寄生しながら別の宿主に移ることはできないルールを思い出した。そういえば、自分に寄生する以前に第四の隊員にあの姿のままで寄生していたのだ。
攸貴の頭は混乱する。一体全体、何がどうなっているのだろうかと。あのアスクリアは一体何なのだろうかと。
――おいおい。本当に他人の空似だってのかよ。
自分の回転力が低すぎる頭が嫌になってくる。いや、今頭はないのだが。気分的な問題で。
「母ちゃん、父ちゃん! 兄ちゃん連れてきたよ!」
「おお、帰ってきたか」
「お帰りなさい」
「ただいま、父さん、母さん」
陰鬱としている中、兄弟達が一つの家に賑やかさをひきつれて入っていくのが見えた。ここでウジウジしていても仕方がないと、二人のあとについて行った。
家の中は、閑散としていた。そこまで豊かではないらしい。外観は日本家屋と似ているが、中は大体がフローリングと絨毯で、畳は敷かれていなかった。
優しそうな顔をした父と思われる男と、母と思われる女が、にこにこと笑いながら二人を出迎えた。どこにでもある家庭、というつい最近までなじみ深かったにもかかわらず今ではすっかり無縁になってしまったものが、そこにはあった。
『あらお帰りなさい攸貴。早かったのねぇ。今すぐご飯作るわ。待っててね』
『ちょっと攸貴。なんで――ちゃんをホテルに連れ込まなかったの! ラブホテルなんて受け付けないのが大半なんだから大丈夫よ! ――ちゃんちのお母さんだって納得してるし! え、――ちゃんのお父さん? 既成事実作ってから押しかければ良いじゃない』
『攸貴! 喧嘩売られたら買いなさい! ――ちゃんに良いとこ見せなきゃだめでしょ!』
『攸貴』
『攸貴』
頭の奥で、自分を一人で育ててくれた母が笑っている。彼女は今、元気に暮らしているだろうか。自分は心配をかけているのではないだろうか。
――あれ?
また、なにか引っかかる感覚がした。母に掛けられた言葉の大半に含まれていた、一人の名前が出て来ない。
『攸貴。ねぇ、攸貴』
ドクン。
頭の中に心臓が出来てしまったのではないかと思うくらい明確に音が鳴った。
今、頭の中でよみがえった声は母の声なんかではなかった。軽やかなアルトボイス。しかし、未だ若さを保っている若干幼い声。この世界に来てからずっと頭の中に住んでいる、南街幹にそっくりの顔をした少女がこちらを見て笑っている。
はにかむような笑顔が、攸貴の眼前に迫る。手に取れてしまいそうな気軽さに、若干の躊躇が産まれた。彼女は見えない自分の手を取り、悲しそうに笑った。
『なんで、忘れちゃったの?』
ドクン、ドクン、ドクン。心臓が早鐘を打つ。脳が沸騰する。彼女がありもしない脳の中で笑うたびに、自分が追い込まれていくような感覚がする。
――っ、……。…っ。
何度も口をパクパクと動かし、どうにか彼女の名前をひねり出そうとするが、それは声にならなかった。
「ねぇねぇ母ちゃん! お客さんが来てるって本当!?」
「ええ、本当よ」
少年の無邪気な声で急に意識が現実に戻ってくる。水を浴びせられたように思考が冷静さを取り戻した。
――あれ、今……俺……?
何か、重要なことを思っていたような気がするが、しかし体にはなんの影響もなく、自分の思考そのものが無くなってしまっているようだった。頭の中に居る女の子は、相変わらず実体をもたないでふわふわとしている。
――なんか、掴めると思ったんだけどな……。
思考が途切れてしまっては、文句は言えなかったし、何故か自分自身どうでもいいことのように思えた。
そんなことよりも、今はこちらの方が先だと自分自身を納得させて声のした方に目をやる。
「こんな田舎に珍しい。蒼姫様だって身捨てちまったこの土地にねぇ」
「ちょっとお兄ちゃん。そんなことお客様の前で言わないで頂戴」
「ごめんごめん。でも母さん、本当にその人お客さんなのか? なんかあやしくないか、ここには名物も祭もないんだぜ」
「どうやらルジタに行くバスと間違えたみたいでねぇ……」
母らしき女の言った言葉に、青年は呆れた様子だった。
「ああ、中央街にあるバス停だと、ルジタとギリナは同じバス停から違う時間帯で出るらしいからね。まぁ、間違えても仕方ないか。それにしても、こんな田舎とあんな都会を間違えるなんて可哀想に」
「そうよ、可哀想でしょ?だから父さんも母さんも、この子を泊めてあげたくって……」
「はいはい、分かったよ。分かったから泣き真似やめろ」
「クジ兄ちゃん母ちゃんのコト泣かしたー!」
「ちょ、カジ……!」
「あはは。ごめんねぇクジ」
悪びれた様子の無い母親に、苦笑を零す兄。本当に、どこにでもある過程の姿だ。
「おいお前達、早くしなさい。お客様を待たせ過ぎだぞ」
「あらあなたごめんなさい。ついはしゃいでしまって。、クジ、カジ。この人がお客さまよ」
そう言って母が上座に座っている一人の人物を示す。
――あれ?
「こんにちは、カジ君、クジ君。今日一日泊らせてもらいます、よろしくね」
目の前に、居るはずだった。この国ではさして珍しくもない蒼の髪をツインテールにした女性。悪戯っぽい猫目がニコリと笑っている。自分はまぎれもなくその女性を認識している。そのはずなのに。
――顔が、見えない?
女性は笑っていた。それなのに、どこかその顔自体を認識できていない自分がいる。
自分自身の顔のように、笑っているように表情筋を動かしながらも、それを確認する術がないような、奇妙な感覚だった。
思いもよらない美人に、クジと言われた青年が鼻の下を伸ばす。その顔はだらしのないものだった。
「こ、こちらこそよろしく。俺は長男のクジ。こっちは弟のカジです」
「よろしくお姉ちゃん!」
カジが笑って女性に抱きつく。彼女はにこにこわらったままだった。クジが、申し訳なさそうにカジを引き離す。
「すんません、こいつまだガキで……」
「気にしてないわ。こんな可愛い子だもん、別に良いわよ」
「そ、そっか? へへ……」
自分が褒められたわけでもないのにニヤニヤと笑うクジに、カジや家族が冷たい目で見る。バツの悪そうな表情をしたクジは、改めて女性に向き直った。
「ようこそルーチサンスへ。田舎なんで不便なことがあると思いますが、どうぞおくつろぎください」
「いえいえ。お気遣いなく。どうせ、明日の朝には出るから」
「え、そうなんですか。でもバスは明日の昼にならないとありませんよ」
疑問の声の母親に、女性はニコリと笑った。どこからどう見ても完璧に映るように設定された笑みだ。
「朝に仲間が迎えに来るの。この村とお別れするのはちょっとさびしいけど、直ぐに出ないと怒られちゃうから。みんな心配性で」
「そうなんですか」
「ねーねーお姉ちゃん、お名前なんて言うの?」
「おいこらカジ……!」
残念そうな声を出すクジを尻目に、カジが再び女性に抱きつく。子供は不平等に敏感だ。彼女が名乗っていないことを気付いていたのだ。当然、クジも気付いていただろうし、攸貴も分かっていた。しかし、さして気にすることでもないと言うのが大人達の言い分だ。母親と父親は名前も知らない人を泊めるほどお人よしではないだろうから、事前に聞いていたのだろうし。
しかし、カジが抱きつくと女性は一層笑みを濃くして向き直った。
――なんだ、この感じ。
女性の笑みどころか、顔すらも未だに見えない。しかし攸貴は、言い知れない不安を感じていた。
「東井よ。よろしくね、カジ君」
ドロドロとした不安が渦巻くのを、止められなかった。
The raising of the curtain of the carnival
【カーニヴァルの開演】