【 Changes in doubt from the dream 】
【 And poisonous rain falls 】の続きになります
【 Changes in doubt from the dream 】
けたたましい音と同時に扉があけ放たれた。
「木偶! 何があったの!?」
血相を変えてやってきたのは幹だ。青い色をした髪が極端に速い速度について行けずにバランスを崩している。
錬武場の中をのぞけば、そこには秋房攸貴が立っていた。
「あ……南街! お前おっせぇよ! マジ死ぬかと思ったんだからな!」
「そ、そう……ごめんなさいね」
いつも通りの反応を示した攸貴に、幹はほっと息をつく。
頭の中では、先ほどアヤセに言われた言葉が巡っていた。
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「木偶から救難信号が届いたわ。すぐに行く」
「待って、幹」
アヤセから言われたあまりに事実に混乱する頭を隅へと追いやり、現実に起こっている事件へと目を向ける。当人の秋房攸貴が死んでしまっては元も子もないのだ。
しかし、アヤセは冷静な声でそれを諌めた。
「なによアヤセ」
「罠の可能性がある」
「罠? 誰の」
「【毒の雨】のだよ」
きっぱりと言われた言葉に、幹は失笑を洩らそうかとも思ったが、戦場に置いて司令塔の言うことは絶対だ。体をアヤセへと向ける。
「どういうことかしら」
「普段ならば秋房攸貴本人が発した救難信号が届くよりも先に、ウチの優秀なチームが僕に異変を知らせるはずだ。『秋房攸貴、現在負傷中』みたいな感じでね。だけどそれがなかった。それどころか、異変の一つすらも感知できなかった。これがどういう意味だかわかるかい?」
「……あんた達が馬鹿やらかしたってことじゃないの?」
「そんなことを、この僕が許すとでも?第一大部隊隊長のこの僕が。きみだって、僕のプライドの高さは知っているはずだよ」
当然だ。幹はその言葉を飲み込んだ。
アヤセ・R・セイルの自尊心は天をつくほど高く、底が見えないほど深い。それはいつも戦闘で見せる手段を厭わない完璧主義からも分かることだ。幹だって、そのことを本気で言ったわけではなかった。
「【毒の雨】の生態の報告を、まだしていなかったことに気付いてね。おそらくそれが今回のことに大きく起因する」
アヤセが言う『今回の』とは、おそらく今起こっていることと、屍の部下が大量に殺されたことの両方を言っているのだろう。
「【毒の雨】が物体に寄生している間、その周囲では電波が一切通らない。詳しいことは分かっていないけれど、【毒の雨】自身が遠隔操作型の力をもったアスクリアであるというのが僕ら研究者の意見だ」
「……で? 今回の情報の遅延はその【毒の雨】のせいだとでも」
「そうだよ。雑音の入り方が一緒だった。ほぼ間違いはない。これで秋房攸貴の近くに楮隊員がいたらもうそれは確定事項だ」
楮の名前を出したとたん、屍の肩が揺れた。
「……とりあえず、了解したわ」
「もし、秋房攸貴に異常があったら……いや、秋房攸貴と接触したら僕に連絡をくれ。すぐにメインコンピュータと連携をはかって彼を拘束する」
「はいはい」
気長に返事をしたものの、幹は焦っていた。
もしも、攸貴が【毒の雨】に寄生されていた場合、彼女は攸貴を葬らなければいけないからだ。
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直ぐに幹が錬武場の中心で倒れている楮隊員を発見し、アヤセへと応援と救助を要請した。
錬武場にはおおくの斬撃の跡が残っている。攸貴の証言によれば自分を侵入者だと勘違いした楮隊員が攸貴を攻撃したが、攸貴に足元をとられて転倒、そのまま気絶したとのことだった。
平隊員ならばそういう体たらくもあり得るだろうと幹は自分を納得させる。現に、アヤセの検証の結果、攸貴の証言に矛盾点は見当たらなかったのだから。
楮隊員はただ気絶しているだけで、外傷はなかった。既に意識も回復しており、攸貴と同じ供述をしている。
電波が遮断されていた件についてアヤセは、おそらく楮隊員が【毒の雨】と接触した時に何らかの障害があって、それが恐ろしく精密な機械類のどれかに反応をもたらしたのだろうと渋々納得した。
攸貴が、メディカルチェックルームから出てくる。そこにはなんの異常も見られなかった。
幹を見るなり、攸貴は不貞腐れたように口を開いた。仲間外れにされた子供のようだ。
「それにしてもよ、なんだ? その、【毒の雨】って」
「新しいアスクリアの名前よ。あんたは気にしなくてもいいわ」
「この国でアスクリアに名前をつけるときは、すげぇ大事態だって言ったのはお前じゃないか」
「そうだけど、今回は首を突っ込んじゃいけないのよ」
攸貴が、何だそれ。と顔をしかめる。不満は分かるが、幹にだって言えない事情はある。
攸貴は、自分がアスクリアを生み出す親玉であり『蒼姫』を名乗る【東井】に狙われた事件を覚えていない。どうやら、【東井】本人が攸貴の記憶から自分の存在を消し去ったらしい。……しかし。
――東井の王子様! あたしの、一番愛しい王子様! やっと会えた! やっと会えたのよ!
【東井】が攸貴を初めて見た時、彼女はそう言って彼に抱きついた。そのことを思うと、幹は疑問を覚える。あれほどまでに喜んでいた【東井】が自ら攸貴の記憶を消すのだろうか。
幹は首を振った。そんな事はどうでもいいと。とにかく、攸貴は【東井】に狙われていたことを覚えていない。そして知らないにも関わらず、あの女のことを訊くのは軽率すぎる。アヤセが以前提示した、『秋房攸貴はアスクリア、もしくは大ボスである【東井】の手先ではないのか』という疑いすら残っているのだ。
「で? 俺達は今回どこに行けばいいんだよ」
「……随分従順ね」
「しゃーねーだろ。お前は駄々捏ねたって情報漏らしてくれるような軽いヤツじゃないんだからよ」
「そうだけど……」
「なんだよ。今日はやけに煮え切らないな」
らしくないぜ。そう言って攸貴は笑い、第一大部隊の待機所から出て行った。慌てて幹もあとを追う。
彼の背からほど近いところでぴたりとくっつきながら歩く。攸貴を守る時の体勢だ。
この時のことを幹はひどく後悔する。ここで、攸貴の瞳に気付いていればよかったのだ。ただ、攸貴の顔をのぞきこめば、それで良かったのだ。
人外の目をしている彼に、気付かなければいけなかったのだ。
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じりじりと太陽が大地を焼く音が聞こえる。今は冬のはずなのに、どうしてこんなにも真夏日よりなのだろうかと思ったところで、攸貴の思考は違和感へとチェンジした。
――どこだ、ここ。
攸貴は目を覚ます。そういえば、南街に電話は届いたのだろうか。あの大部隊隊員は無事だっただろうか。別に無事でなくてもいいのだが。
どうにか立ちあがろうとして、自分が今横たわっていたわけではないことに気付く。それどころか、立ってすらいないことも。
今この空間に、『秋房攸貴』という個体が居ないことに気付いたのだ。彼は今、真夏の風景の中に居ながら、体を持たないで存在した。
――おいおい、俺、死んだとかじゃねぇよな。
嫌な予感が冷や汗となって背中を伝う。攸貴は、辺りを見回した。
首を回した感覚はなかったが、半ばイメージの様なものなのだろう。辺りの風景を見ることに差支えはなかった。
――なんか、田舎っぽいなぁ……。
攸貴の感想はそれぐらいだった。生い茂る青、道の脇を流れる小川。木造で作られたと思われる家々は、日本に居たころにお邪魔した、友達のおばあちゃんの家を思い出させた。
――……あれ、誰の家に泊ったんだっけ?
思い出している途中に、そんな疑問が頭の中で口を挟む。確かに誰かの祖母の家に泊ったことは間違いないのだが、その人物が思い浮かばない。
――俺の記憶違いか? なんか気になるな……。
どれだけ頭をひねっても出て来ない友達の名前に、ありもしない神経がイライラと逆立ち始める。こうなったら意地でも思い出してやる、と腕を組んで胡坐をかいた(あくまでイメージ上の出来事である)。
「兄ちゃん!」
幼い少年の声が、自分の耳に届いた。攸貴は思考を中断させてそちらを見やる。同時に、瞳孔が開ききるのではないかと言うくらい目を見開いた。
――オイオイ待てよ、どうなってんだこれ。
攸貴は絶望に似た気持ちで目の前の光景を見ていた。眼前には、大人に近寄る少年。その少年は、あの時攸貴を襲った少年と、瓜二つだったのだ。
Changes in doubt from the dream
【疑惑は夢へと姿を変えた】