【 And poisonous rain falls 】
【 Nightmare like ringing in the ears 】の続きです。そちらも合わせてお楽しみください。
【 And poisonous rain falls 】
遡ること数分前、南街幹はエレベータを出て廊下を歩いていた。各大部隊隊舎を繋ぐ通路のため、とても広い。視線の先には、白で統一された巨大な門があった。
アヤセ・R・セイルがいる研究室へと足を踏み入れるため声紋認証と光彩認証、能力判別を行って扉を開ける。その中には、数人の第一大部隊隊員。そして、第一大部隊隊長、アヤセ。……と、そのアヤセの前に立つ一人の紫。
「あら、人を呼び出しといて逢い引き中かしら?」
「冗談はやめてよ、幹」
可愛らしい顔が苦笑した。
大量の白の中に、ポツンといる紫。紫は大男だった。階級章をつけていないところを見ると平隊員だろうと幹は考える。
美少女と言える容姿を保つ少年のアヤセの前に立ちながら、彼は幹を警戒しているようだった。黒の服は見慣れないのだろう。
しかしそんな事は知らないと無遠慮にアヤセの前まで来ると、紫の大男は突然現れた青髪の黒服に驚いたが、アヤセの知り合いと分かると身を引いた。
「さて、南街幹。ちょっと君に頼みがあるんだ。わるいけど奥まで来てくれる?」
「……ここじゃ言えないのかしら?」
「そうだよ。さ、蒼姫様。おいでおいで」
「うざ」
妙にテンションの高いアヤセにうんざりしながらアヤセに連れられるままにアヤセの私室に入る。紫の男はしばらくたっていたが、第一隊員に退出を促されて渋々部屋を出た。
「アオ、ひ、め……なん、が、イ」
部屋の外で、呆然と男が言った言葉を、聞いた者はいない。
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いっそ呆れるくらい科学者らしい室内をしているアヤセの私室を、幹はいつも通りの歩調で歩いていた。
途中、何か変な液体が噴出した音が聞こえたが、「気にしないで」というアヤセの言葉を信じて大部隊隊長私室の奥に必ずあるディスカッションルームの扉を開けた。
「……あら、珍しいわね」
扉を開けた先に居たのは、良く知る人々だった。
第二大部隊隊長高柳聖。第三大部隊隊長ギルバ・アルノーワ。第四大部隊隊長屍。プレイヤーで音楽を聴いたり仏頂面で座っていたり、ルームに備え付けのポットで紅茶を勝手に飲んでいたりと、皆様々好き勝手なことをしている。
円を描く大部隊本部の中心にある巨大なディスカッションルームは、仕事終了後の定例会議か、もしくは緊急の任務の時に各隊隊長達が集まって言葉を交わす、閣下への定期報告とはまた違う用途で使われる。
現在は勤務時間中。なんの用もないのにこの部屋に来るほど大部隊隊長という稼業は暇ではない。ということは、だ。
「何か緊急事態でも起こったのかしら?」
「そのまさかさ。幹、とりあえず座って」
アヤセに促されるままに座る。聖が音楽プレイヤーから耳を離し、屍は紅茶をテーブルに置き、ギルバは相変わらず仏頂面のままだった。
アヤセが円状のテーブルの前に立つ。
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。【毒の雨】のことについてだ」
「いきなり本題に入ったね。せっかちな男は嫌われるよ?」
「聖うるさいよ、ちょっと黙ってて」
アヤセの澄んだ声に甘いテノールが茶々を入れる。その言葉に返す言葉はあまりにも辛辣だ。綺麗な花には棘があると言うが、棘と言うよりも気化性の毒を孕んでいるだろうと幹は推測する。
可愛らしいスカートをひらりと舞わせながら少年アヤセは一つの巨大電子ボードを出現させる。そこには、サラマンドラ王国の地図、そこにポツリポツリと赤い斑点が記されていた。
「……これが、現在までの【毒の雨】の被害件数だよ。寄生数は十三、被害は五十を超えてる。マスコミや民間を押さえられているのも時間の問題だ」
苦々しい表情で言うアヤセに、幹もついていた頬杖を解いて真剣に向き直った。
【毒の雨】とは、つい二カ月ほど前から確認されている寄生型アスクリアの一種。寄生した相手の身体機能を全て強奪し最終的にはアスクリアとして汚染された体を民間に放置して寄生を解く。汚染された人体はやがて機能を停止し、中途半端なアスクリア【ミディアン】として人々を襲い始める。【ミディアン】化した人体を元に戻すことは現在医療では不可能だ。
「しかも厄介なことにこのアスクリアは異能者にまで寄生ができる。そのせいで、屍には随分と苦労をかけた」
「いいえ……アヤセ様の待機命令を無視した、私の部下達の判断ミスですわ」
今回最も退治の難航を極めている理由はこれだ。通常のアスクリアは能力的に似通っていながらも、対極の存在に位置するため異能者に寄生することはできない。今回は異例中の異例と言える。
寄生された人間の解剖の結果、僅かながら体細胞の破壊の仕方がこれまでと異なったことを発見したアヤセが第四大部隊の先行隊に連絡を取った時にはもう遅かった。既に第四大部隊一小隊は壊滅。屍は部下を大量に失った。
光を映さない第四大部隊隊長の瞳に、揺らぎの様な炎が映っていた。
屍の震えている手を、幹は横目でちらりと見た。
「……だからこそ、今回無事に帰還した楮隊員には感謝しているよ。今までになかったデータもとれた。打開策は十分に練れる。体のスキャンをしたところ、楮隊員に異常はなかったし、言動も明確だった。第一大部隊はこれから逃げ出した【毒の雨】の絞り込みを始めるけれど、その上で君達大部隊隊員にはそれぞれ警備任務にあたってほしい」
「警備? 駆逐ではないのか?」
今まで口を閉ざしていたギルバが重い声でそう言うと、アヤセは微苦笑した。
「残念なことに、このアスクリアの寄生対象は予測しか済んで居なくてね。君達は寄生対象が暴走した際直ぐに行動、拘束ができるように一定の距離を置いて対象候補の村々を監視してほしいんだ」
「ふぅん。本当にそれだけかい、アヤセ?」
聖が笑いながら問いかける。確信を持った問いかけに、アヤセは降参と言うように両手をあげた。
「まったく。屍がかかると君は本当に勘が鋭くなるね」
「僕の可愛い婚約者だからね。また涙に濡れる夜を過ごさせる訳にもいかないだろう?」
「聖様っ」
この上なく臭い台詞に、思わず赤くなった屍が声を荒げる。おお、珍しい光景だなと幹は頬杖をつきながら思った。
アヤセが、ため息をついて一つの言葉を紡ぐ。
「今回の敵には、【東井】が関わっている恐れがある」
予測の語尾を使われた発言は、明確な意図を持ってその場に伝わった。
全員が硬直する中、視線を注がれたのは一人冷気を伴って殺気を放つ南街幹だ。
「なんですって……?」
「幹、落ち着いて。まだ決まったわけじゃない。ただ、その可能性がとても高いだけだ。だからこそ、今回の任務説明にも君を呼んだ」
「……あたしを、メンバーから外すためかしら?」
威圧感を持った言葉に、アヤセは臆することなく頷いた。この程度のことは予想済みだったのだろう。
「君は【東井】唯一の殺害対象だ。そして、秋房攸貴は【東井】唯一の捕獲対象だ。そんな二人が彼女の支配下に降った村に行ってみなよ。鴨がネギをしょって行くのと同じさ。かと言って、本部に居たままなのは上層部の目もあるから困る。君には別件の任務を頼むよ」
「……そう」
「おや、随分大人しいね、【蒼姫様】」
大人しく席に着いた幹に注がれたのは、悪意を持った聖の言葉だった。幹が彼に視線を注ぐと、ハートのタトゥとボディ用の小ストーンがあしらわれた顔がニコリと笑った。