【 Nightmare like ringing in the ears 】
【 It begins and begins 】の続きになります。よかったらそちらからご覧ください
【 Nightmare like ringing in the ears 】
蒼い風が凶器となって駆けまわる。漆黒の闇が覆いつくすように塗りつぶす。この光景を見慣れるまでに、一体どれほどの訓練を重ねたか、秋房攸貴はもう覚えていない。
風が、ただ周りで地団駄を踏んでいるような動作から、明確な殺気を孕んで突進してくる動きに変化する。それは微細な動きではあったが、同じ失敗を何十回と繰り返した彼が感じ取れないはずがなかった。
「ふっ!」
短い呼気を吐き、風の進行方向から僅かに逸れる。風が髪を揺らす。しかし、彼は一筋の切り傷すら負っていない。
風が、止んだ。
「……随分と上達したじゃない」
「あんだけやられればな。つうか、お前結構本気で来たろ」
「正確には3945回目ね。一日100回近くやってれば、まぁ上達もするかしら。というか、あたしは今まであんたが上達してなかったことに苛立ちを覚えるわ。この段階に来るまでにどんだけ時間を使わせる気よ」
「…………悪かったよ」
カチリと音がして、電気がついた。動きを止めたと思った風は、ただ動きが速すぎた人物であった。
風の正体は、軽やかなアルトボイスを持つ、一人の女性だ。細身でありながら鍛え上げられた体、蒼い切れ長な瞳に同色の短髪は男性的ですらあったが、履いているモノがズボンではなくスカートのところをみると、彼女自身そのことを気にしているのだろう。
彼女の今に始まったことではない悪態を聞いていた攸貴は、苦々しくため息をついた。
反論できない、といった様子に若干機嫌が良くなった女性、南街幹は彼に簡易補給用の水分が入った給油瓶をよこした。中に入っている水分の重さに比例して軽くなるという特殊加工がされた瓶は、ふわりと浮いて攸貴の元へと収まった。
「しっかり水分とっときなさい。これ以上足引っ張られたら迷惑だわ」
「素直に『一緒の戦場に居たいの❤』って言えよ」
「潰すわよ」
「どこを」
「大事な息子さん」
「すみませんでした」
適度にユーモアを交えて返答するが、どうやら幹のお気に召さなかったらしい。死刑宣告をされた攸貴は両手をあげて降参のポーズをとった。
幹は、既に立ち上がって攸貴に背を向けていた。彼女の視線は、攸貴にではなく薄暗く光るポケットに向けられていることを、攸貴は知らなかった。
「どこ行くんだよ」
「トイレよ。女の子の外出を訊くなんてマナー違反じゃないかしら」
女の子なんて柄か?そう問えば攸貴の顔面に飲み干された給油瓶が投げ付けられた。実際の重さになったそれは酷く重い。顔面すれすれでどうにか受け止めれば、幹から舌打ちが聞こえた。
「手加減しろよ。俺、元とは言え一般人だったんだぜ?」
「ここに元一般人は山のように居るのよ。それに、あんたの身体能力、もう一般人なんかじゃないじゃない」
こともなげにそう言い放って、今度こそ訓練の施設を出ていく幹。その背中を、さびしそうに、悔しそうに攸貴は眺めていた。
「……うっせーよ」