さわがしい子は好きじゃないの
明け方まで小説を読んでもやもやした。復讐をしたかったのか、お金が目的だったのか。ハイテクなのか、そうでないのか。正義の殺人がないように正義の誘拐だってないはずだ。人が死んでないからいいだろうなんてそんな言い訳はないんじゃない。すべてが終わって裁かれることのないその姿を青春じみて描くのには首をかしげるばかり。評価の高かったわりにわたしには引っかかることが多く、なんとも、もやもやした後味。そんな気持ちのまま会社に行って人と接してまたもやもやして。眠いからしかたないかとごまかして。でもやっぱり人に対してもやもやして。
今日のお昼は、ひとりでお蕎麦屋さん。隣のテーブルの話し声に聞き耳を立ててしまった。スーパーで買いものしたときにね、端数をポイントで支払うかなあって、でもいまどれくらいポイントあるかわからなくて、レジの店員さんにね、若い女の子だったんだけどさ、聞いてみたら「ん?」って聞き返されちゃって、あれ、この子わたしのお友だちかなんかだったかしら、って思ってその女の子のこと見てみるんだけどお友だちでもなんでもなかったのね。やけに自然に「ん?」なんてしてくるよね、最近の若い人ってさ。と呆れと感心の混じった感想をお蕎麦を食べながら話しちゃうなんて、もはやひとつのエンターテイメントとも言っていいんじゃない、なんてわたしとしても呆れと感心がごちゃ混ぜになっちゃって。その先も隣のテーブルのその女性の話は続いていった。でもそういうのさらっと流せるようになった自分を成長したよねってほめてあげられるくらい以前のわたしって心が狭かったの。小さなことでイラついてたし。親にはことあるごと言われたわけ。でも親にしてもねえ、自分たちのこと棚に上げて言ってくるわけよ。でも、それでも言わないわけにはいかないんじゃない、って理屈でこっちは言われまくるわけよ。恨んでるとかではないけど、子どもに対して何をそんなに期待してって、思うことはたまにあるのよねえ。とそこまで聞いた。
わたしは席を立ち、
「長いね」
と、隣のテーブルのもうひとりいた女性の声がわたしの背中にあたり、
「へ?」
と、つらつらしゃべっていた女性の声が短く応じ、
「短く話すクセつけたほうがいいよ」
もうひとりが辛辣になじった。
「あ… うん…」
その言葉のあと隣のテーブルのほうからは何も聞こえてこなくなった。そこまで言わなくてもいいのに。でも少し、スカッとしてる自分もいる。
依然としてもやもやは消えなかった。むしろ大きくなっていたかもしれない。街ですれ違いにタバコの匂いを嗅がされては気持ちが悪くなった。精神的な気持ちの悪さ。その男は悪いとも思っていない。でもそれは、あたり前のこと。それがタバコを吸ってる人というもの。そのことにも、やっぱり精神的な気持ちの悪さ。
仕事帰り、住宅街を歩いていると、どこからかシャンプーの香り。わたしも帰ったら、と思い、このもやもやを洗い流してしまいたいと気持ちがはやる。
家路を急ぐ人たちの会話の断片はミステリアス。
「自分たちで首を絞めることに」
「スイスにも猫はいるんだねえ」
「そんなのあた…」
「設定を盛り込みすぎてしまうとあとあとさ」
「なりかねんよねえ」
「設定って?」
「何が?」
「なんでも…」
意外にもカレーのにおいにめぐりあうことは少ないのだなあ。この前つくったカレーは牛乳がいい仕事をしてくれたみたい。
家に帰って、さっそくシャワーに… と思ったらチャイムが鳴って。
宅配かな。お届けものです。頼んでたっけ。ああ、頼んでたんだった。
―物語に男と女が出てきたら、それでもう恋愛小説が成立するわ
―ならよかった。俺はお前を女とは認識してないから、恋愛は成立しないな
―強がらなくていいのよ
―それに、これは物語でもなんでもない。ただの現実だ
―精神的にもやもやしてるようね。そういうときはタンパク質よ。でも魚とか大豆じゃなくって肉じゃないとダメよ。そう、肉、肉、肉
―肉を食べても何が劇的に変わるってものでもないんだぜ。おうおうにしてな
―それでもひとまずのもやもやは小さくなった気になるわよ。劇的ではないにしても
―ふっ。そもそも俺はいま肉を食べたい気持ちになってない
―かわりに私を食べてもいいのよ
―へっ。笑い話にもならないな
妄想が捗っても、わたしと宅配の男とのあいだに、そんな関係は成立しない。
袋を開けて、届いた推理小説を少しパラパラとやってみる。うん、さっそく今夜、読んでみよう。
シャワーから出ると外の風が強くなっている。さわがしい子は好きじゃないの。聞き分けよく、風がいくらか弱くなって―




