宇宙ゴミ回収業者が拾った衛星の中に、まだ生きている猫がいた
## 第一章 軌道上のゴミ拾い
軌道上のゴミ拾い。それが俺たちの仕事だ。
デブリ回収船「カワセミ」。全長38メートル。アマツ重工製の第四世代回収船で、船体の半分はデブリを格納するカーゴベイだ。地球低軌道を10日周期で周回しながら、使い終わった衛星や壊れたソーラーパネルの破片を網とアームで集めて回る。
クルーは三人。船長の俺——タツヤ、32歳。エンジニアのリコ、28歳。新人パイロットのケンタ、22歳。全員宇宙開発庁所属の軌道清掃課。名刺を出すと「宇宙の清掃員ですか」と笑われる部署だ。
でも俺はこの仕事が好きだ。誰にも注目されないが、これをやらないと衛星軌道がゴミだらけになって、いずれ宇宙に出られなくなる。縁の下の力持ち。地味で、静かで、たまに地球が綺麗に見える。
2068年3月15日。今日の回収リストは12件。そのうち11件は所属と用途がはっきりしている通常案件だ。
問題は12件目。
「UNK-003」。所属不明。用途不明。1997年に打ち上げられたことだけが国際宇宙物体登録簿に記録されている。71年前の衛星。打ち上げ国は日本。それ以上の情報はない。
「これ何ですかね」ケンタがモニターを覗き込んだ。
「さあ。冷戦時代の秘密衛星かもしれんし、大学の実験衛星かもしれん。71年前だと記録が残ってないものも多い」
「冷戦って1997年まで続いてましたっけ?」
リコがセンサーデータを読み上げた。
「質量約180キロ。円筒形、全長2メートル。外装の劣化が激しいけど……おかしいな。一部のソーラーパネルがまだ発電してる」
「71年間発電し続けてるの?」
「パネルの変換効率は落ちてるけど、微弱に電力を供給してる何かがある。内部で何かが動いてるってこと」
通常なら気にしない。古い衛星のバッテリーが残っていることはたまにある。でも71年は長すぎる。
接近してアームで掴んだ。注意深くカーゴベイに引き入れ、与圧区画に移動させた。
## 第二章 ソラ
ハッチを開けた瞬間、リコが悲鳴を上げた。
「ッ——!?」
猫がいた。
白い猫。中くらいの体格。毛並みは驚くほど綺麗で、緑色の目がこちらをじっと見ている。
宇宙空間に71年いた衛星の中にいる生物の姿ではなかった。
「にゃあ」
猫は普通に鳴いた。
三人とも固まった。10秒くらい誰も動けなかった。
「えっ、ウソでしょ」ケンタが最初に声を出した。
「触るな!」ケンタの手を叩いた。「未知の生物かもしれない。検疫が——」
「猫ですよ。どう見ても猫」
「宇宙空間に71年いた猫なんているわけないでしょ!」
俺は落ち着いて検疫スキャナーを持ってきた。バイタルチェック。体温38.5度——猫の平常値。呼吸数28回/分——正常。心拍140——正常。体表に外傷なし。寄生虫なし。病原体の検出なし。
完全に健康な猫だ。
「推定年齢は?」リコが尋ねた。
「……測定不能。テロメアの長さから推定するんだけど、この猫のテロメア、短縮してない。細胞レベルで老化の痕跡がない」
「つまり?」
「年を取ってない」
衛星内部を詳しく調べた。猫の生存に必要な最低限の装置が組み込まれていた。小型の酸素循環装置。尿を水に再生するフィルター。壁面に埋め込まれた苔状の植物が、光合成でCO2を吸収し、同時に猫の餌——小さな実をつける植物——を生産している。
完璧に自己完結した生態系。71年間、猫一匹を生かし続けるために設計された、精密なゆりかご。
そして壁面に、手書きの文字があった。日本語だった。
『この子を頼みます。この子が目を覚ますまで、衛星を回収しないでください。——K.S 1997.3.15』
1997年3月15日。ちょうど71年前の今日だ。
## 第三章 科学者K.S
データチップが見つかった。衛星の内壁に埋め込まれた、1990年代の古い記録媒体。リコが変換アダプタを作って再生した。
音声が流れた。少し緊張した、若い男の声。
『1997年4月3日。録音テスト。……これを聞いている方へ。私の名前は……いえ、名前は伏せます。日本の某研究機関に所属する遺伝子工学の研究者です。イニシャルはK.Sとだけ記録します。
この衛星には、一匹の猫を載せています。名前はソラ。
ソラは世界で最初の——正確には世界で唯一の——不老クローン猫です。ドリーが生まれた年に、私は別のことに成功しました。テロメアの短縮を停止する遺伝子改変です。理論上、この猫は老化しません。
地上で実験を続ければ、倫理委員会に止められます。もし成功が知られれば、ソラは研究機関をたらい回しにされ、一生実験台にされるでしょう。私はそれが耐えられなかった。
だから宇宙に逃がしました。
この衛星は私費で打ち上げました。貯金の全額です。内部の生態系は最低100年は持つよう設計しました。ソラ、ごめんな。狭いけど、ここなら誰にも見つからない。
いつか、この技術が正しく使われる時代が来たら——人間が不老を恐れずに受け入れられる時代が来たら——誰かがソラを見つけてくれるでしょう。
見つけてくれた方へ。どうかソラをよろしくお願いします。この子は……ただの猫です。不老であること以外は。撫でると喉を鳴らします。高いところが好きです。爪とぎが大好きです。普通の猫です。
普通の猫として、愛してやってください。
——K.S』
録音が終わった。
三人とも黙っていた。ソラは俺の足元に来て、すねに頭をこすりつけた。71年間ひとりぼっちだった猫は、人間の体温が恋しかったのかもしれない。
俺はソラを抱き上げた。軽い。でも温かい。喉がごろごろと鳴り始めた。
## 第四章 ゴミ拾いたちの選択
報告書を書かなければならない。宇宙開発庁・軌道清掃課への定時報告。回収物リストにUNK-003の詳細を記載する義務がある。
だが——報告すれば何が起きるか、三人ともわかっていた。
「不老の猫が見つかった」というニュースは世界を駆け巡る。各国の研究機関が争奪戦を始める。軍事利用を目論む国も出てくる。ソラは保護の名のもとに研究施設に送られ、採血され、組織を採取され、一生ガラスケースの中で過ごすことになる。
K.Sが一番恐れていたことが、71年遅れで現実になる。
「報告します?」ケンタが聞いた。
「バカなの」リコが即答した。「報告したらこの子、一生実験室だよ。K.Sさんが全財産使って宇宙に逃がしたのに、意味なくなるでしょ」
「でも、不老の秘密ですよ? 人類にとって——」
「人類にとって大事なことと、この猫にとって大事なことは違う」
リコはソラの頭を撫でた。ソラは目を細めてリコの手に頬を預けた。
俺は決めた。
「回収リストの報告は、『UNK-003、外装の著しい劣化により安全な回収が困難。軌道上で解体処分済み』にする」
「了解」リコが頷いた。
「了解です」ケンタも頷いた。少し迷った顔をしていたが、ソラを見て笑った。「四人目のクルーですね」
ソラは船長室の一番高い棚——無重力だから「高い」も何もないのだが——に陣取り、そこを自分の場所に決めた。
K.Sの録音通り、爪とぎが大好きで、俺たちの作業用手袋をボロボロにした。撫でると喉を鳴らす。寝るときは必ず誰かの膝の上に来る。普通の猫だ。不老であること以外は。
報告書には載らない。論文にもならない。不老の秘密は、宇宙のゴミ拾いたちの膝の上で、ごろごろと喉を鳴らしている。
それでいい。
科学の最大の発見は、たまに猫の形をしている。そして最大の発見が最大の秘密のまま守られることも、たまには——あっていい。




