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7 演者は胸の内を隠す

高校の面談室で、板垣は同意書を取り出して言った。

「父から、同意をもらいました。先生からの説明についても言ったんですけど。……その、『大学の先生なら大丈夫だろう』って言ってて。すぐにサインくれました」


六条は目を丸くして同意書を受け取った。走り書きのようなサインと、板垣の手元に残る綺麗なままの説明資料を一瞥する。

六条の顔が険しくなった。

「君の親御さんは、大事な娘が人体実験の対象になることを何とも思わないんだな」


板垣は息を吞み、六条を睨み返す。

「……父はそんな薄情な人じゃありません」

答えながら、胸が押し潰されたような苦しさを覚える。口から出た言葉は反論というよりも、喪失感から目を逸らすためのものだった。


「お母さんは?」

「……先日、離婚しました」

板垣の声は震えていた。

「他に頼れる人は?」

 六条からの問いに、板垣は俯いたまま肩を震わせる。


「なんか、ごめんね。それじゃあ、板垣さんは……守ってくれる人がいないわけか」

 六条の言葉に、板垣は何も言えなかった。

 だが、同時に胸の中から何かが込み上げる。


 ――寂しい。苦しい。嫌だ。投げだしたい。

つらい。なんで私ばかり。


動悸が激しくなり、呼吸が乱れる。


途端に世界の音が遠ざかる。

誰かが自分の心臓を掴んで、強く引きずり下ろしたようだった。

 

 板垣の瞳孔が開き、呻き声のような呼吸が漏れた。


「……板垣さん?」

 六条の声に焦りが滲む。


 板垣の視界がだんだんと眩みはじめ、心臓が押し出されそうになる。


その時、背中に温かい感触がした。


「ゆっくり息を吐いて。大丈夫だよ」

 柔らかい掛け声と背中をゆっくりさすられる感覚に、板垣は正気を取り戻したように息を吐き出す。

呼吸は震え、頬に涙が伝っていた。


「板垣さんは今まで、一人でよく頑張ってきたね」

 六条の優しい声に、板垣は小さな嗚咽を漏らした。今まで胸の中で張りつめていたものが、一度に溶け出すようだった。


「でも、板垣さんはもう一人じゃない。私がついているよ。これからは私のことを父親だと思ってくれればいい。板垣さんの味方だからね」

 板垣はシャツの裾で涙を拭い、ゆっくり頷いた。

 それからしばらくの間、板垣は泣き崩れていた。



 板垣は落ち着いた後、何度か深呼吸し、六条を見る。

「先生、ありがとうございました。急に取り乱しちゃって、すみませんでした」

「気にしないで。次に会うのは研究室かな」

 六条は穏やかに微笑みながら板垣を見た。


「調査の日程が決まったら、また改めて連絡するよ。これからよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 板垣は六条にぺこりと頭を下げる。顔を上げた後しばらく視線を泳がせ、板垣は恐る恐る口を開いた。


「あの」

 板垣は硬い声を上げ、六条を見上げる。


「さっき、あの時と同じ感覚がしたんです。……事件があった時と」




 板垣が面談室から出て教室へと向かうと、廊下の窓に寄りかかる早坂が目に入った。早坂はリュックを背負い、スマートフォンをぼんやりと見つめながら、誰かを待っているように見えた。

板垣がじっと早坂を見つめながら近づくと、早坂も板垣に気付いて目が合った。


「るみー」

 板垣が声を掛けた瞬間、早坂は表情を緩ませる。

 板垣はぱたぱたと早坂の元に駆け寄った。早坂は板垣の顔をしばらく覗き込み、少し怪訝な顔をする。

「あろまん、なんか、目、腫れてない?」

 板垣は「ほえ?!」と一瞬声を漏らすが、小さく首を横に振った。

「大丈夫!」

 板垣が口角を上げた瞬間、頬の筋肉がひりつくように痛んだ。


早坂はしばらく怪訝な顔で板垣を見つめる。

「……辛いことあったら、なんでも私に言ってよ」

「ありがと」

 板垣は口元を緩ませた。早坂もつられて表情を緩める。


「ところでさ。あろまん、さっきまで何の話してたの? 面談室で。てか、これ、聞いて大丈夫なやつ?」

 早坂は平たい声で尋ねる。

「大学の先生から、私の事件のこと調べたいから協力してほしい、って言われて……その話」

 早坂の表情が固まる。

「協力って、あろまんが?」

「うん」

 板垣の返事はどこか浮いたように軽く、早坂の眉間の皺が深くなる。

 早坂は口を結んでしばらく板垣を見つめていた。


「……よく分かんないけど、もしあろまんが傷つくようなことがあったら、すぐに逃げて」

 早坂の真剣な顔を見ながら、板垣はきょとんとしていた。

 早坂は口を半開きにしたまま板垣を見る。しばらく板垣を見つめた後、早坂はため息を吐いた。


「まあいいや。帰ろ」

「うん」

 早坂が歩き出し、板垣は足を速めて早坂の隣についた。


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