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39 変わっていたのは

 板垣が帰宅すると、リビングのドアの曇りガラスから明かりが漏れていた。

「あれ……?」


 恐る恐るリビングのドアを開けると、父親がテレビを見ながらソファーで背筋を伸ばして座っていた。

 父親は板垣に気付き、曇った表情で振り返る。

「おかえり」


 板垣は父親の表情を見て、思わずリュックの肩紐を握りしめた。

「お父さん、今日帰るの早いんだね。……っていうか、最近、だんだん帰るの早くなってるね」


 部屋のテレビの音は小さく、父親は番組よりも他の何かを待っているようだった。

 父親はため息を吐き、板垣の目を見た。

「あろまの方がこそ、ここ最近帰りが遅くないか? 夜まで何してるんだ?」


 板垣は目を見開いて答える。

「大学の方に行ってるから。別にここ最近急に遅くなったわけじゃ……」

 言いかけて、板垣は口を閉ざした。板垣を見る父親の顔が、だんだんと険しくなっていた。


 テレビの電源が消え、部屋の温度が一瞬で下がる。

 父親は深いため息を吐いた。板垣はおろおろしながら父親の様子を見守り、何度か口を開きかけて言葉を飲み込んでいた。


 父親はソファーから立ち上がり、板垣の目の前まで歩く。

 板垣を見下ろしながら、父親は口を開いた。

「大学って、実験のやつ? あれ、ネットで騒ぎになってたけど、大丈夫なのか?」

 その声は震え、父親の目線も細かく揺れていた。

 板垣は一度喉を鳴らし、声を尖らせて答える。

「大丈夫だよ。大学の公式ホームページでも説明してあるし」


 父親は一瞬喉を鳴らしてスマートフォンを取り出した。親指を細かく震わせながら、ブラウザを開いて検索をする。指の動きが止まると、父親はしばらく無言でスマートフォンの画面を睨みつけていた。

 その父親の眉間のしわが、次第に深くなっていく。「んー?」と苛立った唸り声を上げながら、スマートフォンの画面を見続ける。


 板垣は不安げな顔で父親を見つめていた。

「お父さん、何か……?」

 掠れた声で尋ねると、父親はスマートフォンの画面を指して板垣に見せた。

「『保護者に説明済み』、『同意を得ている』……? どういうこと? 俺はあろまが何をされるかの説明なんて、聞いてないぞ」


 板垣の肩がびくりと揺れる。

 一瞬、周囲の音が消え、視界の端が歪んだような錯覚がした。


 板垣が口を開きかけると、父親が眉を寄せて冷たい声で言った。

「今すぐ止めなさい、大学の実験」


 板垣は俯き、肩を震わせた。ゆっくりと両手を握り、力を入れる。

 喉元から怒りが込み上げ、口から滑るように零れ出る。

「……は? 実験が始まる前に、お父さんに説明したいって言ったよね? でも説明なんて聞かなくても、大学の先生だから大丈夫って言って、何も聞かないで同意したのはお父さんの方だよ? ……あの時も、本当はちゃんと話したかったのに」


 板垣の声は震えながらも、棘が混じっていた。次第に板垣の視界が色を失い、息が荒くなってくる。

 板垣は肩を上下に揺らしながら、目の前の父親を睨みつけた。


 父親は目を鋭くしながら答える。

「父親として、あろまのことが心配なんだよ」


 板垣の手のひらに爪が食い込む。頭の中が熱くなり、喉が渇く。

 歯を食いしばり、板垣は怒鳴るように言った。

「今さら、何言ってるの!? 私を人体実験に送り込んだ薄情者のくせに!」


 一瞬父親の眉が上がり、やがて心配するような顔に変わった。

 板垣を見つめ、父親が言った。

「あろま、本当に大丈夫か? お前……そんな顔する子じゃなかっただろ?」


 板垣の顔から力が抜ける。

 喉を遡上しかけていた怒りや寂しさが、少しずつ胃の奥へと戻って行った。

 板垣は驚いたように父親を見つめる。


 父親は咳払いをして、板垣に言った。

「すぐに大学に説明を聞きに行くよ。それで、どうするか考える」

 板垣は不安混じりの顔で頷いた。

「でも、お父さんが心配するようなことは、されてないから……!」

 板垣が訴えるように言うと、父親は柔らかい表情で曖昧に頷いた。父親の目は、どこか遠くを見つめているようだった。


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