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28 壊れたサンプル、壊れていた観察者

 一晩明けた日の午後、西尾が講義室のドアを開けると、スーツ姿の二人組が入室した。西尾は二人をテーブルの前の席に促し、座らせる。


「本田さん、展示会の日以来っすね」

 西尾が低い声で軽く頭を下げると、本田は目を逸らして顔を曇らせた。本田の隣に座ったスーツの男性が苦笑いをして言った。


「本田さん、あの日せっかくいい講演をしたと思ったら、未成年の子を社用車に乗せてカーチェイスして、始末書だったんだよ。ドライブレコーダーにばっちし映ってて。事情はよく知らないけど、西尾くんたちを追い回したんでしょ? うちの部下がびっくりさせてごめんね」

「……課長」

 本田が沈んだ声で呟くと、課長と呼ばれた男性が咳払いをして背筋を伸ばした。

 西尾は顔を引き攣らせて本田を一瞥し、本田たちと向い合わせに座った。


 しばらくすると六条が講義室に駆け込んだ。

「遅れてすみません」

「いえいえ、こちらこそお忙しいところすみません。それじゃ、共同研究の件、状況報告と参りましょうか」


 G-Dテックと研究室の打ち合わせは和やかな雰囲気の中で進んでいた。


「センシングにつきましては、ノイズ除去アルゴリズムを適用することで、85%以上の精度で、専門機器と近似したHF-HRVの変動パターンをリアルタイムで得られるようになりました」

「順調だね。さすが西尾くん」

 G-Dテックの課長がにこやかに笑うと、西尾は腕を組みながら続けた。

「潜在的ストレス予測モデルの状況については、行動ログとを組み合わせた解析を行ったのですが、御社のデータと照合しますと確度78%という結果が得られております」


 G-Dテックの課長は目を丸くしてパソコンをタイピングした。

「78%って、かなりいいんじゃないの? 特許出願ってどうなってるっけ」

「この前明細の案文は固まったようなことを聞きましたが……。知財部に確認します」

 本田は答えた後、ゆっくりと深呼吸をして話を続ける。


「あと、次のステップの介入実証試験についてのご相談です。我々が提供できるプロトタイプデバイスには、高度な触覚フィードバック機構や特定周波数の機能が搭載できなくて……。シンプルなバイブレーションと画面表示、汎用スピーカーの音で再現可能な介入ロジックの再検討をお願いしたいんですが」


 本田の発言に、西尾は顔を引き攣らせて固まる。その隣で六条は嘲笑するように鼻を鳴らした。

 G-Dテックの課長は宥めるような視線を向ける。

「市場に出せるコストとサイズの制約上、ラボレベルの精密なアクチュエーターの搭載はまだ難しいんですよ。どうか汎用機能での再設計を検討していただけないでしょうか?」

「理解はしました。介入実証機構についてもこちらで可能か検討はしてみます」

 六条はにこりと笑って答え、その隣で西尾は頷きもせずに俯いていた。


 打ち合わせが終了した直後、G-Dテックの課長が腕時計を一瞥した。

「すみません、もうすぐ別件の打ち合わせが入ってて。ちょっとここで失礼します」


 課長がそそくさと部屋を出ると、西尾は深いため息を吐いた。

 六条は苦笑しながら西尾に声を掛けた。

「G-Dテックは全然ダメだな。コスト制約があるとは言え、流石に嘗め過ぎ。大企業だからもっとすんなり進むと思ってたのに。エレマジック社の方がやる気あるよね」


 西尾は青ざめた顔で囁く。

「先生、本田さんがまだそこにいますよ」

 六条が口を閉ざして恐る恐る西尾の指す方に顔を向けると、本田が睨みつけていた。

「……これから講義だから、私もここで失礼します」

 六条が小さく頭を下げて講義室を去る。



 無音になった室内で、西尾は気まずさのあまり俯いていた。

「本田さんは、これからどうされるんですか?」

「え、暇」

「は?」

 西尾は思わずノートパソコンの充電ケーブルを床に落とす。西尾はそれを慌ただしく拾い、束ねて机の上に置いた。


 突然本田のスマートフォンが震える。本田はスマートフォンの画面を見てぽつりと言った。

「あれ、早坂さんからメール? 急にどうした……?」


 本田の声に、西尾がぱっと振り返る。本田がスマートフォンの画面を見ていると、西尾がその様子を横目で見ながら尋ねた。

「その、早坂さんって、どんな子なんですか? なんで本田さんと知り合いなんですか?」


「板垣さんを助けたいって、早坂さんから直接相談されたんだよ。展示会の日に」

「……そうすか」

 西尾は返事に困り、首の後ろをさすった。


「あれから状況は変わった? ……まあ、変わってないか、悪化してるんでしょ」

 本田はスマートフォンの画面を睨みながら言うと、西尾が深くため息を吐いた。タバコの匂いが微かに広がり、本田は咳払いする。


「マジでグロい状況っすよ。怖いです、正直」

 西尾がぼそりと言うと、本田は瞼を落とした。


「……ねえ、西尾くん。君は板垣さんのこと、守れる側の人間? それとも、気付いたら六条に加担してた側の人間?」

「は?」

 西尾の心拍が一瞬で跳ね上がる。


「西尾くんを責めるつもりはないよ。でも、一番怖いのは、誰も止めないことなんだよ。分かってるよね?」

 本田はまっすぐ西尾を見つめて、低い声で続けた。


「あいつは昔から、研究のためなら人間を道具のように扱うやつだった。でも、それを止める人がいなかった。……まあ、私もその一人だったけど」

 本田の声は淡々としていたが、身体の横で握られた拳は震えていた。


 西尾は深いため息を吐き、本田に尋ねる。

「先生って昔から倫理観狂ってたんですか?」

「うん」

 本田が平然と即答し、西尾は黙り込んだ。


「暇だし、昔話でもするか」

 本田は近くのイスを引いて座る。

 西尾はごくりと唾を飲んだ。


「学生の時、瑠璃沢(るりさわ)っていう教授の研究室にいたんだよ。私と六条と、もう一人同期がいた」

「ああ。瑠璃沢先生って、権威じゃないすか」

 西尾が呟くと、本田は肩を竦めて首を横に振った。


「権威、ねえ。……あの教授は、アカハラもパワハラもし放題だった。教員の業務を学生に押し付けるし、成果は全部自分の手柄。夜中までの実験が強制、罵倒や人格否定は日常茶飯事。実験室の床には……」

「あの」

 西尾が顔を歪ませて口を挟むと、本田は喉を鳴らした。


「一言で言えば地獄だったよ。私は博士まで進みたかったけど、精神がもたなかった。それでも、修士まではなんとか耐えて研究成果は出した。まあ、全部教授の名前で発表されたけど」

 西尾は黙って耳を傾けていた。

「あの研究室はみんな病んでた。でも六条だけは、教授の罵倒も平然と受けて、淡々と成果出してた」

「ああ、その頃からやばかったんすね」

 西尾がぼそりと言うと、本田は睨むように視線を向けた。


「もう一人同期がいた、って言ったじゃん。その人が病み始めたときに、六条がその人を“観察サンプル”にして、身体反応データ取り始めたんだよ。『人間が壊れる過程を観察したい』って言ってた」

 本田の声に棘が混ざり、西尾が顔をしかめた。

 本田は息を吸い、言い放った。


「で、その同期、自殺したんだよ」


 講義室に本田の鋭い声が響いた。

 西尾は思わず息を殺した。

 凍り付いた空気の中を、本田の声の残響が漂っていた。


「自殺の一報を受けてから、私はしばらく実験も、論文講読も、授業のレポートさえも手に付かなかった。……さすがに六条もちょっとショックを受けてるように見えた」

 本田は目を鋭くして続ける。

「でも、あいつはこう言った。――『あんまりデータ取れなかったなあ、残念』。……それを聞いた日から、あいつとはまともに口利いてない」


 西尾の息が一瞬止まる。脳裏に板垣のことが浮かび、奥歯を鳴らしながら俯いた。

「……どうしましょう、板垣さんのこと」

 西尾は絶望を滲ませて笑い、肩を縮めた。直後、胃がキリキリと痛み出し、苦悶の表情に変わる。

 顔に冷や汗が伝い、手先が震えた。


 本田が心配そうに西尾の顔を覗き込む。

「西尾くん、具合悪いの?」

「ちょっと気分が悪くなりました。すみません」

「……そうか、お大事に」


 本田が西尾の様子を窺いながら講義室を出る。

 ドアが閉まった直後、講義室がしんと静まり返った。


 西尾は頭を抱え、テーブルに伏せた。

「別に、昔話聞いたからって、何か変わるわけじゃないのに。なんで……」

 胸の中を冷たいものが伝い、嫌な予感が埋めていた。


「どうすればいいんよ……」

 声がしばらく宙に漂い、静寂の中に消えた。


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