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27 進捗確認

 西尾は六条の居室のドアをノックし、乱暴に開け放った。


「失礼します。明日のG-Dテックの打ち合わせの資料を確認してほしいんですけど」

「お、いいよ」

 デスクのパソコンに向かっていた六条はイスを回転させて振り返る。パソコンの画面にはいつもの英文とは違い、何かの数字のようなものがずらりと並んでいた。


 西尾はデスクの近くのイスに座り、閉じたままのノートパソコンを膝の上に置いた。

 六条は個包装の羊羹をむしゃむしゃと食べながら、西尾にチョコレートを差し出す。

「あざっす。……先生はマジでプロテイン摂ってください」

 西尾はチョコレートを受け取り、呆れた声で言った。


「ペーパーと電子どっちがいっすか」

「電子でいいよ」


 西尾はノートパソコンを開いて六条に見せ、スライドの説明を始めた。

「予測モデルと行動ログとを組み合わせた解析結果は、確度70%で……」

「……あれ、予測モデルの精度って78%ぐらいいってなかったっけ?」

「んえ? 最新版確認してみます」

「どうせ『最新版』って名前のファイルが量産されてるんだろ」


 六条のツッコミに西尾の肩がピクリと震える。西尾は『最新版v2_本物 - コピー』ファイルを開き、苛立ったように息を吐いた。微かにタバコの臭いが広がり、西尾の肩がずり落ちる。


「……最新データ、78%でした」

 西尾が伏し目がちに言うと、六条はふっと笑い、2個目の羊羹の個包装を開けた。

「ちゃんと研究が進んでることが分かるような報告をした方が得だよ。企業側も安心するし、もしかしたら褒められるかもしれないし。その方がやる気出るでしょ?」

「……いや、そんなに」

 西尾がぼそりと答える。


「本田さんに褒められたくないの?」

 六条が尋ねた瞬間、西尾の身体が固まった。

「…………別に」


 六条は西尾の様子を観察しながら羊羹に口を付けた。西尾は苛立ったように前髪をかき上げ、落ち着きを取り戻した後に再びスライドの説明を始めた。


 西尾が説明を終えると、六条は「うん」と短く頷いた。

 西尾は眉間にしわを寄せて六条を見る。

「え、他に直すとこないんすか?」

「問題ないよ。分かりやすいと思う」

「まじっすか」

「まじ」


 西尾は口元をゆるゆると動かし、ノートパソコンを閉じた。

「お忙しいところありがとうございました」

 西尾はパソコンを抱えて立ち上がる。


 六条は柔らかい声で言った。

「いい結果出てるから、明日、本田さんも喜んでくれるだろうね」

「はあ?」


 西尾が六条を睨みつけると、ふとその向こう側のパソコンの画面が目に入る。

 見慣れない数字の羅列を不思議そうに見つめながら、西尾はぼそりと言った。

「……先生、今日は査読に追われてないんすね」


 六条は一瞬首を傾げた後、西尾の視線の先に気付いてふわりと笑った。

「ああ、これ?」

 六条はにこにこしながらパソコンの画面を指す。西尾は顎に手を当てて眉を寄せる。

「それ、なんかのプログラムですか?」


「スマートウォッチのデータとログだよ。板垣さんの」

「へえ。こんな感じなんすか」

 西尾はパソコンに近づき、興味深そうに画面を覗き込む。画面には時刻と何かの数字が羅列され、その並びを見ただけでは何を示しているのか想像ができなかった。


 六条はCSVファイルを開いて線図を出した。

「例えば……。この数値の跳ね方、分かる?」

 六条は画面を指でなぞりながら尋ねる。


 西尾は指で唇を押さえながら、少し考え込む。

「えーと……これ、心拍数と皮膚電位、ですか……?」

「うん。で、ここのピーク。時刻は、今日の昼過ぎだね」

 六条は指先を止め、画面の一箇所を軽く叩いた。


「この時、情動破壊の誘発条件にかなり近い状態になってたと考えられる」

「……情動破壊?」

 西尾が眉をひそめる。六条がグラフを出すと、見覚えのある数式が西尾の目に飛び込む。


「俺が作ったストレス予測モデル……」

「そう。このモデルに当てはめると色々見えてくるよ」

 六条は声のトーンを上げて言い、次のグラフを表示した。数字が波打つように上下し、複雑に線が重なっている。


「この実線がストレス指標ね。ほら、ここで急上昇してる。で、その直後に大きく振動する。これは情動破壊の前兆かもしれないね」

「ああ、なるほど……。そういえば、実験の時も似たような動きしてたな」

 西尾は感心した声を漏らす。自分が作った予測モデルが、現実の人間に当てはまっている。その事実自体には、やや高揚感を感じていた。


 直後、西尾は『情動破壊』という言葉を思い出し、鋭い目で画面を見る。実験時の線図を思い出しながら、目の前のグラフの経過を辿った。

「えと、今回は……板垣さん、持ち堪えた、んすね」

 西尾はほっと安堵の息を吐いた。

「これが本当に情動破壊の反応なのかどうか、あとで答え合わせしないとだな」

 六条は画面を見たままぼそりと答えた。


「あの、先生」

 西尾はグラフを見つめながら尋ねる。

「さっき言ってた誘発条件って、明確に分かってるんですか? あのスマートウォッチで取れる程度のデータで、ほんとに予測とか制御ってできるんすかね?」


「今のままじゃ無理」

 六条は画面に目を向けたまま小さく首を横に振り、即答した。

「データ単体だとただの数値でしかない。環境や行動と突き合わせて、初めて意味を持つから。さっきの反応は、激しい運動によって起こってる可能性だってあるでしょ?」


「やっぱ、そうなりますよね」

 西尾がため息を吐き、六条は軽い調子で続ける。

「実験装置は再現できないにしても。表情解析とか、行動ログとか……GPSで移動履歴を追ったり、せめて音声データが取れればね。声の高さや震えなんかも、有力な指標になりそうなんだけど」


 西尾は六条の横顔を見て一瞬眉を寄せ、頷きながら聞いていた。


「本当は板垣さんを檻にでも閉じ込めて、四六時中観察したいけどね。それは現実的じゃないからなあ」

 画面を見つめる六条の視線が一瞬冷たくなる。その言葉を聞いた瞬間、西尾の背中にぞわりと冷気が走った。


「だから今は、取れる範囲でやるしかない。もっと良い方法がないかも考えないといけないね」

「そう、ですね」


 西尾は六条の横顔を見て曖昧に頷く。西尾はその横顔を見ているうちに、ぼんやりと抱えていた違和感の正体に気付いた。


 ――この人、さっきから一度もこっちを見ていない。

 まるでデータに取り憑かれているかのように、ずっと画面ばかりを――


 西尾は一瞬身震いして尋ねる。

「あの……もしかして先生、昨日からずっとそのデータ……」

「興味深いもんだから、ずっと追ってたよ」

 六条は画面を見ながら穏やかに笑っていた。


 西尾は無言でポケットに手を入れ、タバコの箱を探り当てる。無意識の行動だった。


「そろそろ、失礼します」

 西尾は逃げるように居室を出る。ドアノブを掴む手が滑り、何度かガチャガチャと鳴った。


 廊下に出た瞬間、西尾は深く空気を吸い込む。

 六条が軽い口調で語った話を思い出し、西尾は歯を震わせる。

「『もっと良い方法』を、考える……?」

 研究者が普段当たり前のように使う言葉だ。しかし、六条が言ったその言葉の意味を考えるほど、西尾の胃が冷えていった。


 西尾はタバコの箱を片手に廊下を歩く。3歩進んだところでノートパソコンを居室に忘れたことを思い出す。


 ――いや、戻りたくないな。


 西尾は居室のドアを一瞥して、廊下を早歩きで進んだ。


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