25 墜落、繋ぎ止める声
昼休みになり、板垣は教室で両手を伸ばして欠伸をした。弁当を取り出そうと、机の脇のリュックに手を伸ばしながら早坂に声を掛けようとしたとき、目の前にクラスの女子が二人やって来た。
「板垣ちゃん、お昼一緒に食べよー」
和田と加藤が並び、小さなトートバッグを片手にニコニコしながら板垣を見ている。
「あ、一緒に食べよ!」
板垣はそわそわしながら弁当を持って立ち上がった。
「るみも一緒に――」
言いながら隣の席を見ると、早坂はいなくなっていた。
和田が早坂の空席に視線を落とすと、板垣に向けて言った。
「早坂さんなら、さっき田中ちゃんたちとミーティング室に行ってた気がするよ」
「……そうなんだ」
板垣は一瞬寂しさを浮かべるが、すぐに笑顔に戻って和田たちについて行った。
和田と加藤に連れられた場所は、廊下の途中にあるスペースだった。
小さなベンチとテーブルが置いてあり、廊下の窓からは校庭が見える。
「うちら、いつもここでお昼食べてるんだー。いい眺めっしょ」
加藤はニッと笑うと、板垣もつられて口元を綻ばせた。
三人はテーブルの前に並び、弁当を広げた。
窓から柔らかい日光が差し込み、不思議と弁当の中身が温かさを纏っているように見えた。
――学校でこんな風にお昼食べるの、久しぶりだな。
板垣がご飯に箸をつつかせると、隣から和田の声がした。
「板垣ちゃん、お弁当自分で作ってんの?」
「……うん」
「偉いわー。うちなんてお母さんが全部やってるのに」
加藤も驚いて声を上げる。
「板垣ちゃん自分で作ってるってマジ?」
「……料理、そんなに嫌いじゃないから、手伝ってるんだ」
板垣は言葉を詰まらせたが、誤魔化すように言った。
――さすがに、お母さんが家を出て行ったことは、言いづらいよなあ。
二人から感心したような視線を浴びながら、板垣は小さな罪悪感を抱えた。
板垣が箸を進めると、ふと手元に視線を感じた。横を見ると、加藤が興味深そうに板垣の左手を見ている。
「そのスマートウォッチ、かっけえ」
「あ、これ?」
六条から渡された、ヘルスデータ収集用の測定機器だった。
板垣は一瞬迷った後、腕を捲った。
「……カッコイイでしょ」
板垣は腕を捲り上げ、自慢げに黒いスマートウォッチを見せる。隣で黙々とウインナーをつついていた和田も、いつの間にかそのスマートウォッチを凝視していた。
「見たことないモデルだなー。どこの?」
「え、どこのだろ……」
板垣は返答に困ると、二人は笑い声を上げた。
「分かんないメーカーのやつ使ってるの?もしかして板垣ちゃん、天然か?」
板垣も困ったように笑う。
――どうしよう。
何を言えばいいのか分からない。優しいはずなのに胸がざわつく。
板垣がぷるぷると膝を震わせていると、ふと背後から足音と笑い声が聞こえてきた。
「ヲガワさんって、あの? やばくない?」
「るーさん、有名人じゃん!」
その話し声に思わず板垣は後ろを振り返ると、早坂たちが廊下を歩いていた。
板垣が早坂を目で追うと、早坂と目が合った。
早坂は一瞬目を大きく開け、何かを言いかけて目線を外し、そのまま通り過ぎて行った。
板垣は早坂の背中を見送り、小さく息を吐いた。
「早坂さん、どうしたんだ。ヲガワさんって、インフルエンサーの……? なんか大ごとっぽいな」
和田が呟くと、板垣は肩をぴくりと揺らした。
「あ、次体育じゃん。着替えないと」
加藤の声が廊下に響き、三人はさっと立ち上がった。加藤はにこりと笑いながら板垣を見た。
「板垣ちゃん、明日も一緒にお昼食べよ。よかったら早坂さんも呼んでさ」
「……うん!」
板垣は安堵の笑みを浮かべて頷いた。
肌寒い校庭に、体育教師の声が響き渡った。
「今日は持久走だぞー」
その声に、校庭の空気がみるみるうちに冷めていく。
「最悪だよ。バスケが良かったわ」
板垣の隣で、和田が気だるげに囁いた。板垣はその声に小さく笑うと、和田が耳元で囁いてきた。
「板垣ちゃん、一緒にゆっくり走ろ」
板垣は微笑みながらゆっくりと頷いた。
ホイッスルの音が響いた瞬間、空気が一気に硬くなる。
板垣は走りながら、息を整えるたびに胸の奥が重たくなるのを感じていた。身体は動いているのに、意識が遠くで浮き沈みしているような感覚だった。
隣で和田の息遣いが聞こえる。板垣がふと和田の方を見ると、和田は涼しい顔で姿勢を整えたまま走っていた。
板垣が腕を大きく振り上げると、校庭の色がゆらりと変わった。空が一瞬灰色に染まり、遠くの木々が輪郭を失っていく。
喉元に違和感が込み上げてきた。
――何これ。
息が上がり、次第に呼吸が浅くなる。視界が砂嵐のように眩んでいく。
頭の中で、色々な記憶がぐちゃぐちゃに再生される。
沼野の笑い声。
破壊する瞬間の感覚。
目の前に掲げられるスマートフォン。
「お前が殺したんだろ」という叫び。
板垣は肩を上下させながら呻き声を上げていた。
――何、これ、どうしよう。
頭の中が熱くなり、遠のいていた意識がガタガタと揺れるような感覚がした。
ぐっと歯を食いしばり、手を握りしめるが、手先の感覚がない。
身体が崩れそうになったとき、後ろから叫び声がした。
「あろまん!」
すぐに早坂の声だと分かった。
その声は、ぐらついていた意識を一気に引き戻した。
板垣は咄嗟に思い出した。
――安心できるもの。
るみの笑顔、友達の笑い声。研究室の風景、チョコレートとコーヒーの湯気。
『ゆっくり息を吐いて。大丈夫』。
脳裏に六条の声が蘇る。
板垣は膝に手をつき、深く息を吐いた。
ふと誰かの手が肩に触れた。
「あろまん、大丈夫?」
息を切らせた早坂が心配そうに覗き込んでいた。その隣には、同じ表情をした和田も立っていた。
「うん……ちょっと、貧血かも」
板垣は苦笑いを浮かべて誤魔化すと、頬の筋肉が少し痛んだ。
早坂はやや強引に板垣の腕を掴み、体育教師の元に連れていく。
「大丈夫だって……」
板垣は力無く抵抗するが、早坂は少し怒った顔でずかずかと進んだ。
体育教師の目の前に辿り着くと、教師も心配そうに板垣を見つめていた。
「板垣、大丈夫か? 無理するなよ」
「先生、板垣さんの体調が悪そうなので、保健室に連れていきます」
早坂がハキハキと言い、板垣を引き摺って校舎に連れて行った。
「ほえ……」
板垣はされるがままに引き摺られていた。




