表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/32

17 『情動破壊(ERD)』

 板垣は顔や身体にセンサーを繋がれ、実験室のイスに座っていた。

 板垣の目の前にはプロジェクターのスクリーンが降ろされ、横では強化ガラスの安全壁を隔てて六条と西尾がパソコンを操作している。


 板垣のヘッドホンから六条の声が流れる。

「『測定を始めるよ。ちょっと見て欲しいものがあるから、スクリーンを見ててね』

「……分かりました」

 板垣は肩を強張らせたまま頷く。


 スクリーンに映されたのは、平安寺が板垣たちに迫った時の動画だった。

 板垣の心臓が一度大きく鳴る。


「心拍・電位共に上昇、HRV低下しました」

 西尾がパソコンを見ながら落ち着いた声で言う。

「表情解析、目線カメラは取れてそう?」

「はい」

 西尾が淡々とパソコンの画面を確認する。六条はガラス壁越しに板垣の姿を眺めていた。


 板垣は目を見開いてスクリーンを見る。膝が小さく震え、太ももの上に置かれた両手に力が入る。


 映像の中の自分は、なぜか少し幼く見えた。

 肩を窄め、目を泳がせ、逃げ場を探すように視線を彷徨わせている。

 ――あの時、こんな顔してたんだ。


 無意識に歯を食いしばり、太ももの上で指先が白くなる。


『撮影はやめてください! この子は――』

 早坂の声が響く。

 その瞬間に、板垣の胸の奥が縮む。

 庇うように必死な声。しかし、その声が状況が悪くなる予感を呼び寄せる。


『あなたは被害者を殺したんですか? それとも殺したというのは嘘ですか? 殺してないなら、なぜ嘘を吐いたんですか?』


 言葉の一つ一つが針のように皮膚の内側に刺さる。視線を逸らしたくても、目が離れない。

 画面の中の自分が怯えたまま何も言えずに立ち尽くしている。まるで責められる理由を自分で探しているようだった。


『やめろって言ってんだろ!』

 早坂の叫び声が響き、早坂が板垣の手を取って走る。


 板垣の胸の中に、突如としてあの時の感情が流れ込んでくる。

 ――あの時、ショックで頭が真っ白になって。周りの人がみんな敵みたいで、私のことを指差して笑ったり、怒ってたり。怖くて、むかついて、悲しくて、いろんな気持ちがぐしゃぐしゃになって。でも。


 板垣の目から涙が流れた。


『あの狼狽えようを見ると、彼女は本当に殺したのかもしれません』


 その一言がとどめを刺したように、頭の中が真っ白になる。


「本当に、私が、殺したのかもしれない」

 板垣は震えた声で小さく呟く。


 その声は、六条と西尾の耳にも届いていた。

 西尾は困ったようにちらりと六条を見ながら、小声で呼びかける。

「……どうします?」

「続けるよ」

 西尾は怪訝な顔になり、「は?」と小声を漏らした。

 六条は手元のパソコンを操作して、動画コメントをいくつか表示させる。


 スクリーンにコメントが流れ始める。

『この事件、謎が多いよな。実際板垣って子が殺したでしょ』

『学校に戻ってるとか怖すぎ』

『関係ないけどBGMかっこいいな』

『板垣と一緒にいるやつ誰?』

 板垣の息が浅くなる。


『一緒にいるのは早坂琉実。港高校1年〜〜〜』

 途中で文字が歪んだ。

 視界の端が揺れる。

 ――なんで、るみが?

 身体中に冷や汗が滲む。


『早坂琉実って被害者にいじめられてたらしい』

『真犯人こいつじゃね?』


 ――ふざけるなふざけるなふざけるな。やめろ。何も知らないくせに。なんで。

「苦しいです」

 口から漏れ出た声が、他人のように歪んで聞こえた。


 ヘッドホンから声がした。

『板垣さんのお友達が巻き込まれてしまったね』


 板垣は唇を強く噛んだ。

 ――私のせいだ。

 私が。一緒に帰ろうって言ったから。


 胸が焼けるような感覚の向こうで、何かがぷつんと切れた。


 部屋に破裂音が響き、スクリーンに大きな穴が開いた。



「やっぱり、壊れるんすね」

 西尾はマウスをクリックしながら呟く。

「西尾くん、パソコンと装置はこのままにしといて」

「? ……はい」

 六条は板垣の元へ駆け寄る。


「板垣さん、大丈夫? 測定は終わったから、休憩にしよう」

 六条は板垣からヘッドセットとセンサーを外していく。

 板垣は呼吸を整えながら、目元を軽く拭っていた。


「板垣さんは、友達のことが大事なんだね」

 板垣が目元から手を外すと、六条が屈みながら目線を合わせて微笑んでいた。

「はい、今日も頑張ったから」

 板垣は六条からミルクチョコレートを渡される。板垣の心の中の緊張が解け、肩がゆっくりと落ちた。


 板垣はチョコレートを見つめながら口を開く。

「あの」

「うん?」

「友達を、守りたいんです。今更遅いかもしれないですけど、私のことに巻き込みたくないんです。どうすれば……」

 板垣は泣きそうな顔で六条を見つめた。涙は治まっていたが、瞼は重く下がり、視界が霞んでいた。

 六条は目を細めて優しく答える。

「板垣さんは優しいね。私と一緒に、お友達を守る方法を考えよう」

 板垣は真剣な顔で頷いた。



 板垣が居室に戻った後、六条と西尾は実験室に残って穴の開いたスクリーンを眺めていた。

「穴の開いた位置、視線座標が入ってました」

 西尾がぼそりと言うと、六条は「ふーん」と声を漏らした。

 六条はスクリーンの穴を興味深そうに覗き込んで手を伸ばしかけ、途中で思い直したように手を下ろした。


「超常現象っすね」

「そうだね」

「感情が空間に干渉するなんて、理論上有り得ないっすよね」

「そうだね。……あとでデータ同期して一通り見てみたいな」

 西尾は口を尖らせながら頷いた。


 六条は腕を組んで西尾を見る。

「この現象に仮称でも付けておこうか。今後議論しやすくするために」

「……そっすね」


 西尾は顎に手を当てて考え込む。

「感情の変動が原因で、空間に干渉して、結果として破壊を起こす……」

「情動反応性破壊現象。略して『情動破壊(じょうどうはかい)』だな」

 六条は淡々と答え、西尾は小さく頷いた直後に視線を泳がせた。

情動反応(じょうどうはんのう)性破壊現象(せいはかいげんしょう)……。英語で言うと、Emotional……Reactive……Destruction……、……? あー、『ERD(イーアールディー)』っすね。略称まで完璧っす」

「西尾くん、英語いけたんだね。論文読む時はいつも苦戦してるように見えたけど」

 六条が苦笑し、西尾は顔をしかめた。


 六条は目尻を下げて微笑む。

「あとは……この『情動破壊』のトリガーに板垣さんの友人が関わってそうだね。早坂さんという子は板垣さんにとって特別な存在なのかもしれない。これはいい収穫だった」

 西尾の眉間に力が入る。

「それを今後、利用する、つもりですか?」

 西尾が冷たい声で尋ねた。

「うん。感情の揺さぶりに使えそうだからね。それにもしかすると、予測モデルに一つの要素として組み込め――」

 六条は西尾から溢れ出る怒気に気付き、目を伏せて笑いながら口を閉ざした。


 西尾は六条を睨みつけながらぼそりと言い放った。

「踏み越えちゃいけないラインは、弁えてくださいよ」




 板垣は居室の席に座りながら、深く息を吐いた。頭の奥が痺れるような感覚が抜けず、視線に焦点が合わない。

 ぼやけた視界に捉えたミルクチョコレートの包装を開けて口に放り込むと、口の中に広がる甘さが、一瞬で実験での苦しさを遠ざけた。


 隣の席で学生が頭を抱えてぶつぶつと独り言を呟きながらパソコンで作業をしている。他の席にも学生がぽつりぽつりと座り、パソコンに向かっていた。


 ふと時計を見ると午後6時過ぎを指していた。


「ああもう、修正多すぎだよぉ。西尾さんきびし〜」

 突然隣の学生が叫び声を上げた。板垣がびくりと背筋を伸ばして横目で学生を窺う。


「中間発表の資料いつまで?」

「今週中に六条に提出だよ〜。でもその前に西尾チェック挟まんと」

「今週中って、明後日までじゃん」

「西尾チェックめちゃ細かいから、お前らも早めに出した方がいいわ〜」

 学生たちがパソコンの前で次々と悲鳴を上げるのを聞きながら、板垣は肩を縮ませて黙っていた。


 板垣の隣に座る学生が、羊羹の大箱を板垣の前に差し出す。

「板垣さん、羊羹欲しかったら全部食べていいよ〜。この羊羹、無くなってもいつの間にか復活するし……。あとこれ好きな学生いないから、多分」

「ほあ、ありがとうございます。いただきます」

 板垣は羊羹の大箱を受け取り、個包装を一つ摘んだ。

「このサイズ、食べやすいです〜」

 板垣はほくほく顔で羊羹を食べていた。

 隣の学生は再び頭を抱え、居室のあちこちでタイピング音とマウスのクリック音が忙しなく響いていた。


「あの、研究室って、忙しいですか?」

 板垣は羊羹を片手に隣の学生に尋ねる。

「ん〜。うちの研究室はホワイトだから文句言える立場じゃないんよね〜」

「六条研はゆるふわって言われてるから」

 学生たちが答えると、板垣は目を丸くした。

「ゆるふわ、なんですか」

 板垣は羊羹を頬張りながらきょろきょろと居室を見回す。どことなく緩んだ空気と口の中の甘さを感じながら、学生の言葉に納得していた。


 奥の実験室のドアが開き、西尾が出てきた。

「あれ、まだみんな残ってんの? 珍し」

 西尾が不思議そうに居室を見回すと、学生たちは急に大人しくなってパソコン作業を始めた。

「中間の資料、まだの人は明日中に一回俺に出してね」

 西尾がぼそぼそと言うと、居室の隅から「はーい」と小声が飛んだ。


 西尾は俯き気味に歩きながら、板垣の隣の席に座る学生の肩を軽く叩いた。

「先生が『補講』したいって」

「ホょ!?」

「俺も一緒だから。がんばろ」

 西尾が困ったように笑いながら言うと、学生は意気消沈し、居室で誰かが吹き出した。


 西尾はとぼとぼと自分の席に向かって歩くが、視線が入口前のデスクを捉えた瞬間に真顔になる。

「あれ、羊羹なくなってんじゃん。あとで食べようと思ってたのに」


 板垣は羊羹を頬張る手が止まり、目の前に積まれた個包装の抜け殻を見ながら固まった。


「誰も食べないと思って板垣さんにあげちゃいました」

 板垣の隣の席に座る学生が淡々と答える。

「あ、あの、すみません。私食べちゃいました……」

 板垣は気まずそうに言った。

 西尾はこの世の終わりのような顔をしながら、がくりと自分の席に腰を下ろした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ