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12 違和感が揺らすもの

 

 昼下がりの教室で、チョークが黒板を擦る音が響く。

「はい、じゃあ宿題の(1)は阿部、(2)は板垣、(3)は遠藤。黒板に書いてって」

 教師の声を合図に、椅子が引きずられてガラガラと鳴る。


 数学の授業中、早坂は眠い目を擦りながらテキストを睨んでいた。ふと隣の席の板垣を見ると、板垣は窓の外をぼんやりと眺めていた。


 早坂が黒板に目を写すと、当てられた生徒が2人、カツカツとチョークを鳴らして数式を書いている。その真ん中に作られた空白にはっとして、板垣の方を振り返った。


「あろまん、当てられてるよ!」

 早坂は小声で板垣に伝えるが、板垣の反応はない。


 早坂は怪訝な顔をして、恐る恐る右手を伸ばす。板垣の肩を軽く叩いた瞬間、板垣はびくりと早坂を振り返った。

「あろまん、当てられてる!」

 早坂は先ほどよりもゆっくりと囁いた。


 板垣は数秒の間を置いて、「え、うそ」と呟いて立ち上がった。そのまま黒板に向かって数歩進んだところで早坂を振り返る。


「どこ答えるんだっけ?」

「問3の(2)だよ。ノートも持ってったほうが良くない?」

 板垣は慌てて席にノートを取りに戻り、再び黒板に向かった。


 板垣はチョークを持つ手が震え、黒板に書く字が掠れていた。


 早坂は口を尖らせ、板垣の姿を観察するように見つめた。



 授業が終わると同時に、早坂は思わず板垣に声を掛けた。

「あろまん、元気ないじゃん」

「そうかな? ちょっと疲れてるだけかも」

 板垣の声はどこか浮ついて焦点が合っていなかった。


 早坂はその様子に嫌な気配を察し、額に力が入る。


「あろまんさ、この前、大学に協力する、って言ってたじゃん。あれってどこの大学?」


 早坂の問いに、板垣は数秒遅れで答えた。

「文永大学の……。ええと、先生の名前、なんだっけ」


 板垣はスマートフォンを取り出し、もったりと操作した。しばらく「うーん」と唸り声を上げ、やがてふわりと目尻を下げる。

「あ、六条先生だって〜」

 板垣は力無く笑っていた。


 早坂は何度か瞬きをした。

「もう何か始まってるの?」


 板垣は一瞬声を詰まらせた。

「……あー。ちょっとした心理実験やってるよ」

 そう答えた後、板垣の顔はしばらく硬直し、突然崩れたように目を閉じて俯いた。


 早坂は身を乗り出して板垣に手を伸ばす。早坂の机が軋む音を立てた。

「あろまん?」

 早坂は板垣の肩に触れると、板垣の肩の震えが手に伝わってきた。


 早坂の背中に冷や汗が滲み、足先が冷えるような感覚がした。

「それ、本当に大丈夫なの?」

 早坂の声が一段低くなり、板垣の肩に触れた手に力が入る。


 板垣は顔を上げ、力無く目尻を下げて笑っていた。

「うん、大丈夫。私つよい子だから!」

 しかし、その声は裏返っていた。



 学校からの帰り道、早坂は隣を歩く板垣に時々目を遣った。

 板垣はどこか遠くを見つめ、すぐ脇を掠める自転車に驚く様子すらなかった。

「あろまん、危ないよ」

 早坂は板垣の腕を引くと、板垣は早坂を見てぼんやりと笑った。

「えへ、るみと手繋ぐの、久しぶりかも」


 早坂の鼓動が、嫌な予感のように鳴った。



 早坂は家に着くなり、自室に駆け込んでリュックを放り投げた。

 その場で立ったまま素早くスマートフォンを取り出し、ブラウザを開く。

『文永大学 六条研究室』。


 ぴんと伸びた指先で、研究室の公式ページを迷いなく開いた。『学会発表』、『論文雑誌掲載』などの小難しい見出しが並び、早坂の顔が引き攣る。

 その中の『G-Dテック共同開発』、『展示会』の文字に早坂の目が止まった。

 心臓が大きく脈打つ。


「明日じゃん!」

 早坂の叫び声が部屋に響く。

 早坂は展示会会場までのルートを調べた。指を忙しなく動かして目標の情報に辿り着くと、目を大きく見開いた。

「私でも行けそう。でも、学校が……」


 早坂はスマートフォンを握ったまま動けなかった。

 これ以上踏み込んでいいのか。もし大したことじゃなかったら。ただのお節介だったら。

 そんな考えが次々と浮かび、喉がぐっと閉まる。


 早坂は昼間の板垣の姿を思い返す。

 ぼんやりとしている姿。疲れてるだけという声。

 そして、『心理実験』を口に出した途端、がくりと俯いた姿。


 あの時の板垣は、「やめたい」とも、「助けて」とも言わなかった。

 それが早坂には一番引っかかっていた。


 早坂の胸の中で、直感が走った。

「行かないと。もし、あろまんが一人で抱えてたら……」


 ――きっと、行かなかったことを後悔する。


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