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スピンオフ第9話:狙われたヴァルター後編

奥の展示台には、絹、毛皮、宝飾品──どれも帝国ではまず流通しない品々が、無造作に並べられていた。

低い声で交わされる取引、札束のやり取り、紙袋に包まれる小箱。

空気には微かに緊張が漂っている。

ヴァルターは黙ってそれらを眺めていたが、ある一角で足を止めた。

そこに置かれていたのは、深い漆黒の手袋。

しなやかで艶のある皮は、帝国内では禁猟指定の希少獣から剥がれたものだ。

黄金の瞳がわずかに細められる。

指先が、その柔らかな質感を確かめるようになぞった。


(……食いついた!)カリムの胸に熱が走る。

(これを買わせられれば、“共犯者”だ)



レオンは外套がなかったが、どさくさにまぎれて奥まった違法品エリアへ入場していた。

(案外、ザル?)

展示台をゆっくりと回りながら、法務局の記録を頭の中でめくっていた。


(宝石や金細工は真贋が難しい……ここで押さえるには証拠の裏付けが足りない。

絨毯や織物も同じだ、経路証明に時間がかかる)


ふと目に留まったのは、壁際の小さな棚に置かれた象牙の短刀。


(象牙細工──帝国では加工品も含め全面禁止、例外は献上品のみ。

刃の形状と彫刻の紋様……これは、三年前に禁輸リストに加えられた南方の部族製だ)


脳裏に、条文番号と過去の摘発記録が並ぶ。


(これなら現場で即座に押収可能、証拠能力も高い)


一方、少し離れた場所でヴァルターが立ち止まり、黒い手袋に触れていた。

その黄金の瞳が質感を確かめるように細められる。


(……なるほど、そっちか)


アプローチは違えど、目的は同じ。

文官の知識で象牙、軍人の目で希少種の皮革──

どちらも、間違いなく“違法”の証だ。


会計台に進んだヴァルターは、手にしていた黒い手袋を一度置く──かと思えば、展示台に戻り、同じ革の手袋を次々と拾い上げた。

色違い、サイズ違い、全部だ。


(……は? 何やってんだあの人)


レオンの眉が思わず動く。

カリムは「大口だ」とばかりに口角を上げているが、レオンにはその意図が読めない。


(ただ……欲しいだけか?あの人のことだから……。いや、ただ欲しいだけだな。)


ヴァルターは一切言葉を発さず、皮手袋の山を会計台に置き、淡々と購入の手続きを進めていく。

金額を見た店主が一瞬だけ目を見開いた。


(……あれだけの革手袋、いくら支払ったんだ?)


レオンは心の中で呟きながらも、同時に何かを察していた。


──しかしこれはきっと、殿下の“突入”の合図になる。


ヴァルターが手袋を手にしている横で、レオンは象牙の短刀と黒檀のペンを見比べた。

そして、ふっと小さく息を吐く。

「……もしものこともある、念のため両方」

短く呟き、象牙の短刀と黒檀のペンの2つを注文した。

店主が示した額に、思わず眉が跳ね上がった。


(……は? これ、俺の月給の半年分はあるぞ)


帝国投資信託や宮内預金に、コツコツ蓄えた資産がある自覚はある。

大商人に劣らぬ一財産を抱える、文官のトップエリート。

今をときめくユリウス・フォン・エーレンベルク殿下の執務室付き筆頭書記官

──だが、それでも躊躇う金額だった。

それでも、レオンは懐から自分の財布を取り出す。


「……払おう」


万一、この場で証拠を押さえ損ねることがあってはならない。

それが仕事であり、殿下に仕える者の責務だ。

カリムが横目でそれを見て、またもや薄い笑みを浮かべた。


(……こちらも買ったな。あとはこっちのもんだ)


 カリムはそれで満足そうに笑んだ。


「これで共犯者だ……」という思惑が、透けて見える。


だが、その笑みが長く続くことはなかった。

取引が終わった直後、会場の入口から兵士たちが雪崩れ込んできた。


 先頭にはユリウス殿下。

鋭い青の眼差しが、場の空気を一瞬で凍らせる。


「すべて押収しろ。記録を取れ」


命令は簡潔で、容赦がなかった。

悲鳴と怒号が交錯し、次々と並べられる違法品の山。

カリムを含む商人たちは青ざめ、動揺で言葉を失っている。


だが──ヴァルターの手にある皮手袋と、私の短刀とペンだけは、兵士の手が触れることはなかった。

殿下から事前に、「模造品でない確実な違法輸入品を買え」と命じられていたのだ。

その二つは、堂々と持ち帰ることが許された。


 こうして、“共犯者”として脅すはずの相手は、ただ合法的に違法品を所持できる立場に変わり……

カリムの思惑は、見事にひっくり返ったのである。





 兵士に押さえつけられ、床に膝をつきながらも、カリムは見てしまった。

ユリウス殿下とヴァルター閣下の並び立つその姿──どう見ても、並の主従ではない。近すぎる。


 殿下の視線が、まだ外れたままのヴァルターの軍服のホックに落ちる。

短く何かを告げ、ヴァルターがそれを留める。


……あの口の動きは──

(お、れ、い、がい、 に……見せるな……か?)


 瞬間、背筋を走った戦慄と共に、頬がじわりと上気していくのが自分でもわかった。

やはりそうだ……!ユリウス殿下をも虜にし、傍から離さぬ、あの魔性。

どんな男をも掌の上で転がす──そんな芸当ができるのは、あの高級男娼だけだ。


 (くそ……こんな化け物を俺は落とそうとしていたのか……)


……だが、商人として価値を測り違えたのは痛恨だ。もっと見る目を磨かねば。


 ふと横を見ると、小柄の伯爵が悠然と立っていた。

眼鏡もなく、きっちりと撫で付けた前髪、仕立ての良い上衣──ただ者ではない。

 その手には、妙に存在感のあるペンと短刀。


 (……審美眼があるな。実力者だ。きっと大きな領地を持っている)


あれも、殿下の腹心か……?

 ……俺は、なんて恐ろしい連中に喧嘩を売ったんだ。


外套は……くれてやる。

 美しくも恐ろしき帝国──覚えてろ!


 それが、カリム・ザヒードの最後の捨て台詞だった。

 兵士に押さえられ、引きずられていく背中を、私はただ静かに見送った。


 *


 数日後、知らせが届く。

「カリム・ザヒードは帝国籍でないため、国政の管轄外につき釈放」

命だけは拾ったらしい。だが、もう二度と、帝都であの手は使えないだろう。


 ヴァルター閣下と殿下は、今日も平然と並んで執務に就いている。

あの二人に手を出すとは、どういう意味か……あの男も骨身に沁みたはずだ。


そうそう、あの最高級手袋は、なぜか殿下の机に一足。

ヴァルター閣下に至っては、毎日着用している。

……あれだけ買っていたんだから、私にもくれたっていいじゃないか!


 まあ、私には私の戦利品がある。

手には、あの黒檀のペン。そして封書を切るそのナイフは象牙の短刀。

買った金は戻ってきたが、物は回収されなかった。

胸をなでおろし──「物には罪はない」。


末長く、大切に使わせていただこう。


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