スピンオフ第6話:野薔薇の貴公子についての調査報告書
いまはむかし。
殿下は「野薔薇の貴公子」が舞踏会荒らしをしていると聞いたとき、眉ひとつ動かされなかった。
それなりの美貌で令嬢を手玉に取る爵位持ちなど、殿下がいちいち気に留める道理はない。
──ただし、それが五家の侯爵令嬢、カーチャ様に絡んでいたとなれば話は別だ。
一応の場は収めねばならない。もっとも、それすらカーチャ様の執事に頼む程度の、殿下にとっては瑣末事だった。
だが、殿下が野薔薇の貴公子と邂逅を果たしたその夜、勤務時間外にもかかわらず私に命じられた。
「──あいつの経歴を、洗いざらい調べろ」
美しいものを愛する殿下の嗜好は、よく存じ上げている。
いや、仕方ないともいえよう。なぜなら野薔薇の貴公子は、美しすぎたのだ。
誰もが息を呑むその佇まい。長身、華奢、
それでいて、衣の下からでもわかる、しなやかに鍛え上げられた筋肉の陰影。
彫像のように均整の取れた小さな顔立ち、長い睫毛の影に潜む双眸は、人の心を絡め取るような光を宿している。
しかも、その口元から放たれるのは堂々たる皮肉と、隙のない言葉の罠。声まで良い。
ただ美しいだけではない──明らかに、獲物を仕留めるために研ぎ澄まされた頭脳を持っている。
諜報員から届いた情報を整理していると──出るわ出るわ。末恐ろしいという言葉すら生ぬるい男だった。
【生育歴】
六歳までの記録は断片的で、生家の詳細は不明。当時は旧家で暮らしていたが、血筋にまつわる事情で別家へと移される。
その後、軍事に強い名門エルバーシュタイン家の「訓育対象」として迎えられ、徹底した軍事・礼儀教育を受けた。
十歳にして一個中隊を単独で壊滅させる戦果を挙げ、戦術眼と身体能力で周囲を戦慄させた。
成長するにつれ古今東西千の戦術を暗記し、同じ手を二度と使わぬ戦いぶりから、軍内では「デーモン」と渾名される。
育ちの家では若くして実戦に投入され、戦場での経験を重ねながらも、その傍らで軍事大学を主席で卒業している。
ゆえに彼は、机上の空論だけを振りかざす頭でっかちでは断じてない。
その戦歴は全勝、本人が大怪我を負った記録すら存在しない。
学生時代、女性との浮いた噂は一切なく、品行方正。
しかし、美術学校に通う知人にモデルを頼まれたことがあり、帝都郊外の公園には彼の臀部を精密にかたどったブロンズ像が今も飾られている。
さらに、帝都美術館の常設展示の最奥に鎮座する、4メートルを超える巨大な油絵。その、モデルとなった人物らしい。
……え? あれ、モデルいたの?
卒業後は元帥確実と目されていた──が、卒業式を終えた直後に消息を絶つ。記録はそこで途切れている。
資料の最後には、軍事学校時代の制帽を深く被った写真が付属されていた。
影の奥からこちらを射抜く双眸、刃のように鋭い輪郭。まだ少年の年頃でありながら、そこにあるのは完成された捕食者の眼差し。
……めちゃくちゃ、かっこいい。
これでは殿下が興味を持つのも無理はない。
そう思っていると、殿下はその写真を抜き取り、執務机脇のカレンダーにおもむろに貼りつけた。
「……期限を忘れるといけないからな」
いや、その日付、何の期限でもありませんが。貼る位置がわざと視界に入る高さなのも、分かりやすすぎる。
ようするに彼は、帝国唯一無二の軍事の才を持つ、超イケメンの──地方の爵位持ち(らしい)。
そのあたりは諜報も曖昧だが、ただの舞踏会荒らしで終わらぬのは確かだった。
滅多にお目にかかれぬ経歴を持つ美貌と戦場の化身。
……しかし今は。
「殿下、新しい礼装を仕立てたいのだが――」
「ふむ、いいだろう」
軍事の才は確かにあるかもしれない。だが、その礼装の値段で一個大隊の兵糧が何ヶ月分か賄えるのでは──そんな算盤勘定をする自分が少し嫌になる。
それでも殿下は微笑まれる。
はい、美貌とは、かくも恐ろしい武器ですね。
……僕にもそんな天性のものが備わっていれば──カランッ。
「あっ、め、めがね、めがね……」
「あら、落ちましたわよ」
フレームが外れ、素顔が露わになる。
「きゃーー?!どなたですの!?」
瞬く間に侍女たちに囲まれ、袖を引かれ、質問攻め。
いや、その……!こんな毎日、やはり僕には無理!!
この素顔を知るのは、殿下だけで充分だ。
私はただの喪女で、独女で、腐女子な、生涯殿下推しのヲタク。(生物学的には男)
そんな私に余計な設定は必要ない。
殿下のお側で筆を執り、その息遣いを間近で感じられる日々こそ──私の求めるすべてなのだから。
……しかし、本編には一切関係ない裏設定。
──この「実は眼鏡を取るとイケメン」ってやつ、やっぱり必要だったんですかね?
やれやれ、そんな面倒な設定のせいで、私は今日も牛乳瓶メガネと前髪で、顔を隠すのだ。




