スピンオフ第10話:帝都にムーンバックスができたので殿下と閣下を連れて行ってみた。
「帝都にムーンバックスができた日」 by レオン
帝都に新たな店ができたという噂は、瞬く間に街を駆け巡った。
“ムーンバックス”――どうやら海を越えた先の国からやって来た新しい飲み物屋らしい。
お洒落な器に氷を砕いた飲料を盛り、果実や乳、時に酒精まで混ぜ合わせると聞けば、好奇の目が集まらぬはずもない。
そして開店当日。
気づけば僕は、ユリウス殿下とヴァルター閣下に伴われ、朝からその長蛇の列に並んでいた。
いや、正確に言うならば――「並ばされていた」のである。
殿下ご自身が「皆と同じように列に加わるのも悪くない」と仰せになったからには、僕ごときに異を唱える権利はない。
……けれど、殿下の執務室付きの筆頭書記官(そこそこ偉いぞ?!)が民草に混じって列に並ぶなど、前代未聞だろう。背後からのざわめきが妙に痛い。
「ねえ、見て……あの方、金髪の……」
「いや、隣は野薔薇の閣下ではないか?」
「本物を初めて見た……美術館の絵の中の人が歩いている……!」
耳に入る囁きは、半ば畏怖、半ば陶酔。
帝都の群衆にとって、ヴァルター閣下とは“帝都美術館の最奥の巨大な油絵”でしか拝めぬ存在。
それが今、カジュアルに列に並んでいるのだから無理もない。
そして隣には冷徹な金髪碧眼の皇子、ユリウス殿下。帝都民からすれば、この二人が並んでいるだけでひとつの伝説だ。
――その伝説の脇に、なぜか僕。
(どうしてこうなったんだ……?)
列に並びながら、三人でメニュー表を覗き込む。
「……これで」
ヴァルター閣下が指先で示したのは、『エスプレッソ・アフォガート・フラペチーノ』。
……読めました? 初見で? こっちは目で追っただけで舌が絡まりそうなんですけど。やっぱりこの人、人間じゃない。
殿下は一瞥して、即断。
「ムーンバックス・ラテでいい。冷たいものを」
冷徹で簡潔、そして何より涼やか。シンプルな選び方にすら品格がにじむ。
そして僕。
「……じゃあ、その……ザ・いちご・フラペチーノで」
場違い感、すごい。甘党筆頭書記官、ここに誕生である。
だがそこからが長かった。
列は一向に進まない。前方の貴族夫人がカスタマイズを延々と繰り返しているらしく、十分が永遠に感じられる。
僕は心の中で「ここは役所の窓口か!」と毒づきつつ、じりじりと進んでいく。
やっと順番が回ってきた。
「えっと、エスプレッソ・アフォ……アフォガート・フラペチーノをひとつ! アイス・スターバックス・ラテをひとつ! ザ・いちご・フラペチーノをひとつ!」
噛まずに言えた! 勝った! いま全帝都に勝った気分だった!
――と思った矢先。
「サイズは?」と無慈悲な追撃。
「…………えっ?」
今さら? 聞くのそこ!? 心の中で崩れ落ちる僕。
なんとか切り抜け、トレーを抱えてテラス席へと向かう。
先に席で待つ二人の周りにはなぜだか人だかりができていた。近衛兵が整理に当たり、貴族が次々と挨拶へ。
民草は遠巻きにただ息を呑むばかり。
そのざわめきの中、僕は殿下と閣下の座すテーブルへ飲み物を運ぶ。
注がれる無数の視線が、逆に甘美だった。筆頭書記官としての誇りが、胸の奥にじわりと満ちる。
「殿下、アイス・スターバックス・ラテです。」
青の瞳が一瞬だけ僕を見やり、殿下は涼やかにカップを受け取られる。尊い。その仕草一つで背筋が伸びる。
「閣下、こちらがエスプレッソ・アフォガート・フラペチーノです。」
最後に残ったのは、僕自身の“ザ・いちご・フラペチーノ”。
一瞬ためらいながら、そっと席に置く。……いや、これは自分のだ。なぜか妙に気恥ずかしい。
ヴァルター閣下が一口。
「……思ったより甘いな」
そしてスプーンをすっと差し出す。
「よろしければ」
殿下はためらいなく、一口。
「……なるほど。確かに甘いな」
ただそれだけのやりとり。だがその呼吸に漂うのは、言葉以上の信頼と均衡。
むしろ僕の人生、この場面を目撃できただけで十分報われた気がする。
それは、群衆に押し寄せた民草も同じであった。
令嬢たちは緊張の面持ちで挨拶に臨み、覚えられるはずもないのに瞳を輝かせる。
軍属たちは犬のように喜びを隠せず、ひっきりなしに駆け寄っては声を弾ませた。
「閣下! 本日は……!」
「お目にかかれて光栄です!」
ヴァルター閣下はわずかに頷くだけ。だがその一礼一礼を受ける姿は、まるで軍神。
殿下と閣下は、その熱気のただ中でふと視線を交わし、わずかに微笑んだ。
親密ではない。馴れ合いでもない。
ただ、互いの在処を当然のように知る者だけが交わす眼差し。
――息を呑む。尊すぎて、僕のザ・いちご・フラペチーノの存在意義? もうどうでもいい。
だが、その時。
群衆の外縁に、僕は見覚えのある顔を見つけた。
赤いフラペチーノを手に、陰で俯く青年。
ルーカス――。
かつて“黒薔薇の貴公子”と名乗り、ヴァルター閣下の真似事をしていた若者だ。
だが殿下と閣下の前で虚飾を剥がされ、帝都の空気ごとざまぁを喰らった。
今ではすっかり声を潜め、人前に出ることも稀だ。
――君も、甘党仲間だったか。
そう思うと、妙な親近感が湧いた。
お二人には決して届かぬ存在。だが、かつて痛いほど憧れ、滑稽なまでに模倣し、そして潰えた男。
ご健勝でな、ルーカス。
いつか君が再び立ち上がったとき――フラペチーノくらいは並んで笑って飲める日が来るだろう。
僕は自分のザ・いちご・フラペチーノを見下ろし、そっとひと口。
――少なくとも今は、僕の方がずっと甘美な優越感を味わっている。




