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雪女物語

作者: 春告紗雪

 おや、見慣れない格好だね。へえ、旅をしているのかい?

 随分遠い道のりを来たようだね。疲れていることだろう、この村で休んでいってはどうかな。

 怪しい? ははは、そんなことは無いさ。僕は至って善意で言っているんだよ。

 そうか、泊まっていってくれるかい。よかった、今ちょうど力仕事ができる人を探していたんだ。お代はいらないから、少し手伝ってくれるかな。

 やっぱり目的があったのかって? そうだよ、代償の無い好意ほど恐ろしいものは無いんだから。それじゃあ、さっそく僕の書斎の片付けを手伝ってほしいんだ。僕の家に来てくれ。


 周りを不思議そうに見てどうしたんだい?

 え? 何故雪が降っているのかって?

 今は夏なのに?

 この村は一年中雪が降っているんだよ。寒いのが苦手な人には居づらい場所だろうね。誘っておいてなんだけど、君は大丈夫?

 大丈夫なんだね。よかった。

 まだ納得がいかないといった表情だね。

 どうしたんだい?

 ……ああ、なるほど。村の外は雪が降っていないのに、この村に雪が降っていることが不思議なのか。

 そうだね、この辺りで今雪が降っているのは、この村と……村のすぐ傍にある、あの雪山だけだ。

 ……知りたいかい? この村と、あの雪山にだけ雪が降る理由を。

 …………そうか、知りたいのか。ならいいよ、教えてあげよう。

 ただし、書斎の片付けをしながらね。

 たしか、書斎にその理由が書かれた本があるはずなんだ。もうすぐ僕の家に着くから、少し待ってくれ。


 ええと……ああ、あった。

 うん? 最初から足の踏み場がかろうじてある程度だったのに、更に本を散らかして足の踏み場が無くなった?

 ふむ、本当だね。まあ、どうせ片付けるんだから問題無いさ。

 あはは、君意外と綺麗好きなんだな。そんなに気合を入れて片付けようとしなくても、ある程度動けるようになればそれでいいのに。

 さて、それじゃあ君が知りたがっていた雪が降る理由だけど……これが件の本だよ。村の外でも結構有名な話なんだけどね。

 君は、もしかして知らないのかい?

 “雪女”の存在を。




 むかしむかし、この村のはずれにある山に雪女が住んでいました。

 

 彼女は時折山を下りてきて、村の人々の生活を見ていました。

 故にその姿を目にする者も少なくなく、その姿を見たものは、彼女をたいそう美しい女だと申しました。白く長い髪を風になびかせ、同じく白い衣を華奢な白い体躯に纏い、顔立ちの整った真っ白な女性だったと申すのです。

 

 しかし、彼女と話をした途端、皆こう言いました。彼女はあまりにも冷たい。冷酷なひとだと。

 彼女に話しかけても、一言も返すことなく、暗い青の瞳でキッと睨みつけて、山に帰って行ってしまいます。


 そんな彼女を人々は次第に嫌うようになり、彼女が山を下りてきても、話しかけるものは遂にいなくなってしまいました。


 ある日、彼女の住む雪山に、一人の少年が迷い込んでしまいました。

 少年は床に伏せる母の病を治すため、雪山にだけ咲く“六花(りっか)”という花を探しに来たのです。

 

 しかし、吹雪く雪山を歩くうちに自分がどこをどう歩いてきたのかわからなくなり、帰ることができなくなってしまいました。

 どうしよう、と少年が困っていると、少年の前に一人の女性が現れました。

 雪と同じ、髪も服も肌も真っ白な女性が。

 そう、少年は雪女と出会ってしまったのです。


 少年は、雪女に聞きました。

「六花はどこにある」

 雪女は、その問いに答えません。

 いつも通り冷たい目で少年を一瞥してから、ぷいと背を向けて去って行こうとしました。

「お母さんが病気なんだ。どうにかして治したい」

 少年が必死に訴えても、雪女は振り返りません。

 怒った少年は、雪女に言いました。

「お前なんか、雪女じゃない。雪はもっと優しいんだ。ふわふわして、冷たくても暖かいんだ。けどお前は冷たい。どこまでも冷たい。まるで氷だ。そうだ、お前は雪女じゃない。氷の女王だ」

 少年がそう言うと、雪女は振り返って蒼眼を細め、小さな口を遂に開きました。

「私は雪女です。雪女なのです。だから、お願い。もう来ないで」

 雪女が言い終わると同時に、少年の意識がどんどん遠のいていきました。


 目が覚めると、少年は自分の家で寝ていました。

 自分の布団の隣に敷いてある布団を見ると、そこには伏せっていたはずの母がいません。

 驚いて家中を探し回ると、母は台所で料理をしていました。

「お、かあさん……? どうして? 病気は?」

 少年がそう問いかけると、母は少年に気づいて振り返り、ふわりと笑って少年を抱きしめました。

「お前が持ってきてくれた六花で、治ったのよ。ありがとう。本当にありがとう」

 そう言いながら、母は少年の頭を撫でてくれました。

 少年は不思議でなりませんでした。

 自分は六花を摘む前に、雪山で倒れてしまったはずです。

 なのに六花を持って帰って来たことになっているなんて、どうしてだろう。

 母に詳しく話を聞くと、少年が雪山の入口で倒れていたのをたまたま村に訪れた旅商人に発見され、運ばれたそうです。そして、倒れていた少年の右手には、六花が握られていたと。母はそれを煎じて飲んだら、すぐに治ったのだと、涙ながらに教えてもらいました。


 雪女だ。

 少年はすぐにそう、思い至りました。

 彼女が、六花を摘んで自分に持たせ、山の入口まで運んでくれたのだと。

 冷酷なはずの彼女が、何故そんなことをしたのだろう。

 

 少年は思い出しました。

 彼女が、自分は雪女だと言った時。

 彼女の冷たい瞳が、悲しげに歪んでいたのを。


 それから、少年は毎日雪山に通いました。

 雪女に会いたくて、あの日の真実を聞きたくて。

 そして、あの悲しげな瞳の意味を知りたくて。

 毎日、毎日通いました。

 今度は自力で帰れるように、通った道にある木の幹に傷痕を付けて歩きました。


 少年は毎日雪山に通いましたが、いつも雪女に会えるとは限りませんでした。

 広大で、物音一つしない雪山で丸一日歩いても、雪女に会えずに帰ることも何度もありました。

 そして、会えたとしても、少年が何度彼女に話しかけても、彼女は答えてくれませんでした。

 あの日、自分を助けたのは貴方かと問うても、なぜあの時、悲しそうな瞳をしていたのかと問うても、彼女は少年を見もせずに去っていってしまいます。

 しかし、少年は彼女の姿を見ると、満足そうに山を下っていきました。

 少年は、彼女に惹かれていたのです。


 少年が雪山に通い続けて数年の時が経ち、少年がすっかり青年となったとある日。

「雪女!」

 彼は今日もまた、雪女を見つけて走り寄って行きました。

 しかし、雪女は普段とは違い、彼の声を聞いて去ることも無く、その場に立ち止まりゆっくりと彼に振り向きました。

「ああ、雪女。やっと見てくれた。こうして顔を合わせるのは久しぶりだな」

 彼が嬉しそうに話し続けるのに対し、雪女は彼を見ることはせずに、自分の顔を隠すように俯いていました。

 それに疑問を覚えた青年が雪女の顔を覗き込むと、雪女の顔は瞬く間に真っ赤に染まりました。

「ああ、ああ……なんてことをしてくれたの」

 恨むような声で青年を避難する雪女に、青年は首を傾げるばかりです。一体、彼女に何があったというのだろう。熱でもあるのだろうか、それが自分のせいなのだろうか。

 彼女に触れようと手を伸ばすと、ぱしんとその手を叩き落されてしまいました。

「覚えていますか、あなたの最初の問いを」

「あ、ああ。僕はあの時あなたに言った。『お前は雪女ではない、氷の女王だ』と」

「私はあの時、『私は雪女です』と答えました。それを証明する時が来てしまったのです」

「何を言っているんだ、僕はもうあの時のあなたの言葉を信じている。あなたは確かに雪女だ。心優しい雪女だ」

「いいえ、いいえ。そうではないの。……最後に、どうか、私の名を呼んで」

 雪女は真っ赤な顔を上げて、青年に頼みました。

 青年はそれに答えようとしましたが、そこで気がつきました。

 彼は雪女の名前を知りません。

 “雪女”自体が名前ではないでしょう。

「僕はあなたの名前を知らない。名前を教えて」

 青年がそう言うと、雪女は倒れ込むように青年に抱きつきながら、答えました。

「しずく、と申します。静寂と書いて、静寂(しずく)と」

「……静寂(しずく)

「ええ、そうです。嬉しいわ。私はもう、幸せです」

静寂(しずく)? どうしたんだ、静寂(しずく)!」

 青年が慌てて彼女を見ると、美しい白い髪や、細い指、華奢な足が、少しづつ水となってぽたぽたと地に落ちていってることに気がつきました。

 自分の着物にも、じわりと冷たい水気が広がっていくのが分かります。

 彼女が泣いている。

 青年は、涙を拭おうと彼女の肩を掴んで体を離そうとしましたが、できませんでした。

 彼女の体は、触れることが困難なくらい、熱くなっていたのです。

 雪女である彼女の、冷たいはずの体が何故こんなにも熱くなっているのだろう。

 そんなことを考える余地など、彼にはありませんでした。

「愛していました、さようなら」

 彼女のその一言で、彼は悟りました。

 彼女は、自らの愛の熱で溶けてしまったのだと。

 青年が彼女を抱きしめると同時に、彼女の全てが水となり、青年の腕には彼女の白い衣だけが残りました。

「静寂……うあ、ぁあああ!」

 青年は、雪山の静寂を切り裂くように泣き叫びました。

 しかし、それも雪に吸い込まれて、雪山には白い衣を抱きしめて泣き叫ぶ青年の姿だけが残されました。




 これが、『雪女物語』。お察しの通り、話に登場する村はこの村で、雪山はあそこの山だよ。

 この地に降る雪は、彼女の涙を男が雪に変えて、彼女を忘れないようにしているからだって言われてるんだ。

 あの山も、彼女の名前からとって静寂山(しずくやま)って呼ばれてるんだよ。

 面白かったかい?

 ……本当にこの話を信じてるのかって?さあ、どうだろうね。

 けれど、これだけは覚えておいて。

 雪女に恋をしてはいけないよ。このお話のような、悲劇を生みたくないならね。

 うん? なんだい? ああ、山を見てみたいの? いいよ。

 ほら、あそこが雪山の入口だよ。

 どうしたの?

 え? 小さな女の子がこっちを覗いてる?

 ……そうか、次の雪女はあの子なんだね。

 いや、何でもないよ。さあ、書斎の片付けの続きをしよう! せめて足の踏み場くらいは作りたいからね!

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