8 攻防
窓ガラスが大きな音を立てて割れる中、ウィルは棒状燭台を再び手に取り、槍のように構えて走り出した。向かって一番左にいた傭兵の剣を棒状燭台で叩き落とし、みぞおちを突く。
入口のドア近くの壁際まで吹っ飛んだ傭兵を無視し、ウィルは棒状燭台を振り上げ、その右隣にいた傭兵の頭部に叩きつけた。傭兵が卒倒する。
「こ、こいつ強いぞ! あの女を人質にしろ!」
向かって一番右端にいたリーダー格の傭兵が叫び、ソフィーに向かって走り出した。残りの2人の傭兵も走り出す。
ウィルがそのうち1人の傭兵の足を棒状燭台で打ち払った。傭兵が転倒する。
「お嬢! 残り2人、頼みます!」
ウィルが倒れた傭兵達の剣を遠くへ投げ捨てながら叫んだ。
リーダー格の傭兵ともう1人の傭兵が、ソフィーの細身の剣を叩き落とそうと剣を振り上げ向かって来た。
それを見たソフィーが、細身の剣を構え、一瞬で2人の傭兵の肩や腕を突き刺した。
リーダー格の傭兵ともう1人の傭兵は、剣を落とし、その場でうずくまってしまった。
「なんだ、逃げるまでもなかったわね」
ソフィーが物足りないように呟いた。その隣に棒状燭台を槍代わりに持つウィルがやって来た。
「お嬢、あの悪巧み癖のある大貴族のお坊ちゃん、どうします? 一発お見舞いしましょうか?」
ウィルが冷たく微笑み、暖炉前に呆然と立ち尽くすコンラートを見据えた。
「そうね、ウィル。一発やっちゃって」
ソフィーが笑顔で言った。ウィルが冷たい笑みを浮かべながらコンラートの方へ歩き出す。
コンラートが暖炉の火かき棒を手に取り、大声で叫んだ。
「お、お前達、分かってるんだろうな? わ、私は公爵家の嫡嗣だぞ? 私に手を出したら、どうなるか……あひゃっ?!」
ウィルが棒状燭台を横に払い、コンラートの火かき棒を叩き落とした。コンラートを暖炉横の壁際に追い詰める。
「あ、あ、ああ……」
コンラートがウィルに追い詰められて情けない声を上げたその時、割れた窓の外から、槍や剣で武装した兵士が次々と入って来た。
同時に、応接室のドアからも武装した兵士が雪崩れ込んで来た。ソフィーとウィルは、あっという間に多数の兵士に囲まれてしまった。
† † †
「くそっ、新手か」
多数の兵士に周りを囲まれ、ウィルはソフィーを庇いながら棒状燭台を構えた。ソフィーも細身の剣を構える。
コンラートが、兵士の甲冑に刻まれた王家の紋章を見て叫んだ。
「お、お前達は近衛兵?! 何でもいい、早くこいつらを倒してくれ!」
ソフィーとウィルは、背中合わせに身構えた。いくら2人が強いとはいえ、この人数を相手にするのは難しい。
しかし、兵士達は動かなかった。その直後、応接室のドア付近から声が聞こえた。
「これはまた、派手に暴れたようだね」
兵士達が左右に道を開けると、長身の男がソフィーとウィルの前に向かって歩いてきた。
男は、黒のローブ状の法服を身に纏い、両端が銀で装飾された黒い職杖を持っていた。
ソフィーとウィルはその男の顔を見て驚いた。切れ長の目に整った顔立ち。自信に溢れた不敵な笑み。
その顔に見覚えのあったソフィーとウィルは、2人同時に声を上げた。
「あ、あの舞踏会の?!」
春分舞踏会でソフィーに声を掛け、名乗らずに去って行った切れ長の目の男だった。
† † †
「お、お前は黒杖総監?! どうしてお前がここに……」
驚くコンラートに、切れ長の目の男、黒杖総監が真面目な顔で答えた。
「たまたま近衛兵達と近所を散歩していましたら、たまたま公爵家の別荘に迷い込みまして。そして、たまたま応接室の方から謀議の声が聞こえたかと思うと、中で騒動が起きたようでしたので、こうして参上した次第です」
「で、出鱈目を言うな!!」
コンラートが叫んだ。黒杖総監が面倒そうに頭を掻きながら応じた。
「はいはい、出鱈目です。あのね、南の強国の侯爵家と仲の良い貴方が、王国南部の防衛の要である南方騎士団のご令嬢に接近するなんて、怪しいにも程があるでしょ?」
口をあんぐりと開けるコンラートに、黒杖総監が話を続けた。
「貴方、色々と動き回っていたようですが、この程度の謀略、王宮上層部が気付かない訳がないでしょ? それと貴方、領民や使用人から嫌われ過ぎ。貴方の今までの悪事、全部私に筒抜けですよ」
そこまで言った黒杖総監が、黒い職杖をコンラートへ差し向けた。
「私の職責が貴族の監察であることはご存知ですね? 貴方の世間知らずのおままごとはこれでおしまい。貴方にはこれから王宮へご同行いただきます」
目が虚ろになったコンラートが、ソフィーの方を見た。狂気に満ちた目でソフィーを睨み付ける。
「全部、全部お前のせいだ、このバカ女め……うわあああ!」
突然、コンラートがソフィーに向かって走り出した。
即座に対処しようとしたウィルを制止し、細身の剣をウィルに預けると、ソフィーは、素手で殴りかかってきたコンラートの拳を避け、コンラートの服を掴んだ。
コンラートの体が勢い余ってクルリと一回転し、コンラートとソフィーが真正面で向き合った。
何が起こったか分からず目をぱちくりするコンラートに、ソフィーがニッコリ微笑んだ。
「改めてお伝えしますが、貴方との結婚なんて、こちらから願い下げよ!」
ソフィーがコンラートの頬を思いっきりビンタした。
「ぶびゃあ?!」
コンラートは変な声を上げて床に転がった。ソフィーのビンタの威力に、兵士の中から「おおっ」という感嘆の声が漏れ聞こえた。
「何と見苦しい男だ。連れていけ」
黒杖総監が侮蔑の目で床に転がるコンラートを一瞥すると、兵士に命じた。兵士達は、コンラートと傭兵達を連行していった。
† † †
兵士達がコンラート達を連行するのを見届けると、黒杖総監がソフィーの前に進み出た。片膝をつき、黒い職杖を床に置くと、ソフィーに頭を下げた。
「この度は、レディを危険にさらしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。まさか、ロストーク伯がここまで強硬な手段に出るとは……レディがご所望であれば、直ちに黒杖総監の職を辞し、命をもってこの不手際を償います」
「そ、そんな。お気になさらないでください! 危険といっても、相手はそんなに強くありませんでしたし。ね、ウィル?」
ソフィーが隣に立つウィルに聞いた。ウィルが笑顔で頷いた。
黒杖総監がゆっくりと顔を上げた。神妙な表情で黒い職杖を再び手に取る。
「さすが、王の盟友たる南方騎士団長のご令嬢。寛大なお心遣いに感謝いたします」
黒杖総監が改めて頭を下げると、ゆっくりと立ち上がった。元の自信に溢れた表情に戻ったかと思うと、棒状燭台を持ったままのウィルに話し掛けた。
「この状況で誰も死者を出さずによくぞご令嬢を守ってくれた。感謝する」
ウィルが慌てて棒状燭台を床に置くと、敬礼した。
「君には大きな借りが出来たな。この恩は必ず返すよ」
ウィルに笑顔でそう言うと、黒杖総監はソフィーに優雅に一礼し、応接室を出て行った。
「さて、それじゃあ帰るとしますか」
ソフィーがイブニングドレスに付いた埃を叩きながら、笑顔でウィルに言った。
「そうですね。お嬢」
ウィルが、ホッとした様子でそう答えた。ソフィーが苦笑しながら続けて言う。
「もう、ウィルったら。『お嬢様』って言ってるでしょ? ま、この状況じゃ『お嬢』の方がしっくり来るかもね」
「確かにそうですね」
「ウィル? そこは否定するとこでしょ?」
ソフィーが笑った。ウィルも思わず笑った。笑い合う2人を、割れた窓の外から射し込んだ月明かりが優しく照らしていた。