セトの星
大人にならなければなりませんでした。
だって星が輝いたからです。
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セトの国では赤ん坊は星とともに産み落とされます。
星は最初薄いピンク色をしているのですが、日がたつにつれて徐々に輝きを増してゆきます。白く強い光をピカピカと放つようになれば『大人になってよい』という合図でした。
満月の良い晩を選んで子供たちは星を飲みほします。やがて眠りにつくと、星から放たれる糸がまゆとなって柔らかなベッドのように子供たちをおおいます。目を覚ました彼らは大人の姿でまゆを破ってでてくるのでした。
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セトは15歳になったばかりでした。ところどころが金に輝く茶色の髪の毛をもった子供で、目は深い緑色でした。
他の子供たちと同じように健康的な小麦色の肌をしていました。その手で牧草を集め、ヤギの世話や鶏の世話や畑仕事をして家計を助けているのでした。
家族は星が輝いたのをとても喜んでくれたけど、セトは恐ろしかった。辛かった。
まゆを作らなければいけなかったから。
「お母さん」セトは言いました。
「僕、全てを忘れてしまうの?」
お母さんの額の触覚が2本。悲し気に揺れました。
「その子によるんだよ」
まゆを、作った子は、中で溶ける。
全てが溶けてしまうのです。そうして体を全て作り直して『羽化』出来たらまゆからでてくる。
背中には今までなかった羽が生え、額には2本の触覚があって『カイコ』と呼ばれる子供のときとはまるで別人になってでてくる。
脳だって一旦溶けてしまうんです。だからほとんどの子は記憶を無くして大人になるんです。
『何か』は覚えているんです。でもその『何か』は羽化してみないとわからないのでした。
「お母さんはどうだったの? お母さんのお母さんのことは覚えていたの?」
「………忘れてしまったのよ」
セトの顔がゆがみました。どうして? お母さんが大好きなのに。忘れてしまうなんてそんな残酷なことある?
お母さんはセトを抱きしめてくれました。
「でもね。大丈夫なのよ。セト。お母さんはちゃんと子供のときの家族とまた家族になったの。絆を作り直したの。だから忘れてしまって大丈夫なのよ」
全てを忘れてしまったら僕はどうなるの?
それは『死ぬ』と何が違うの?
セトはお母さんの背中をきつく抱きしめました。
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セトはその日お父さんと神殿に行きました。
『大人になりますよ』という報告を神様にするためです。
神殿は白く美しく化粧された石造りの三角形で、1番下に立派な『玄関』がありました。複雑な模様のレリーフと花で飾られています。
神官がひさまづくセトに祝福の聖水を振りかけてくれました。
神官の隣にいたリンカが花びらをまいてくれます。
リンカ!
針金のような漆黒の髪を地面に向かって固く伸ばしてる子!
セトと同じ15の少女。
大人になることがない少女。
リンカは『神に選ばれた子』でした。5歳の時に神託でアクラス(巫女)になり一生を神に仕えることが決まっていました。
リンカの星は神殿の奥深くの神に捧げられどのような輝きを持とうともけっして飲みこまれることはありません。
だからリンカは大人になることはできません。
誰とも結婚せず、子を持たず、当然恋もせず『神の花嫁』として一生を終えるのです。
微笑むリンカをセトは見つめました。
小さいころはあんなに仲良かったのになかなか会うことも叶わなくなってしまった僕のアクラス。
『子供のセト』に会うのもこれが最後でしょう。
儀式が終わると神官と父親はふもとに用事があって出かけてしまいました。
セトも途中までは一緒だったけど理由をつけてまた山を登りてっぺんにある神殿へ行きました。
「リンカ!」彼女に手を振ると「セト!」とリンカが笑ってくれた。
「セト。いよいよね」
「うん。羽化するよ」
「楽しみだわ。羽化したばかりの子はとてもきれいだもの」
「リンカ座らない?」とセトが言うとリンカは神殿外の草の上に座りました。
柔らかい草。生命の匂い。
満月は明日。
「リンカ? 覚えてる? ここで小鳥を離したね」
「覚えているわ。セト」
セトとリンカは仲良しでした。家も隣で兄妹のようでした。5歳までずっと一緒でした。
2人で傷ついた小鳥を拾って元気になるまでつきっきりで世話してやったこともありました。
『もう大丈夫』だと思ったからセトとリンカは山のてっぺんの神殿までやって来て。神殿の庭から小鳥を離してやったのです。
小鳥は両翼を羽ばたかせて空へ向かっていきました。みるみるその姿は小さくなりやがて黒い点のようになって消えました。
2人無邪気に抱き合って「やったー! やったー!」と喜んだのです。
それが2人で遊べた最後でした。
翌日5歳のリンカに神託が下り、彼女はアクラスになってセトの元から消えました。
セトの家は神殿に卵を届ける役割を負っていたからリンカとしょっちゅう会えたけど。もう触れることは許されませんでした。
あれから10年。リンカは美しい少女になりました。髪と同じの漆黒の瞳がいつも濡れたように輝き神殿に拝謁する人々を魅了しました。
額には神々をかたどった複雑な模様の組紐を巻いています。
「リンカ。僕怖い」
セトがポツリと言いました。
「僕はどうなってしまうの?」
羽化したての子はみな不安定で。言葉をすっかり忘れてしまった者もいれば、動物のように這い回る子もいました。
『どこまで』『人間だったころを保てるのか』は誰にもわかりませんでした。
草をギュッと握ってしまったセトを見てリンカの左手がセトの背中をさすりまさした。
「大丈夫よセト。私神さまに祈っているわ。黄昏に一番星が出るでしょう? そこに向かって祈りを捧げるわ。セトなら平気よ」
「リンカを忘れるのが怖いんだ」
セトの両眼から涙がこぼれ、草の上にまるで露のようにたまりました。涙は透明なゼリーのように固まり重みに耐えかねた草の表面からポロンポロンと落ちました。
リンカは黙って柔らかいゼリーのような涙をつまみ太陽の光に透かしました。
「セトの涙きれい」
それからセトにも知られないようにいくつかをリンカのポシェットにしまいました。
明日には溶けてしまうけどコッソリ神殿内のガラスの瓶にしまおうと思ったんです。
ポシェットの中には人形が入ってました。
「そうだわセト!」
リンカはその人形をセトに持たせました。
「これ。私は『まゆ』の側にいれないから。お守り」
人形はリンカにとてもよく似ていた。針金のような黒い髪に赤いワンピースを着てました。
「いいの? ありがとう」
「うん。おまじないもかけるわ。これで無事に大人になれる」
リンカは何ごとか唱えると人形に聖水を振りかけました。
セトは人形を持ったままいいました。
「リンカ頼みがあるんだ」
「うん」
「抱きしめてもいい?」
リンカは黙りました。アクラスの彼女。『神の花嫁』の彼女。あまりに軽率な行動です。
2人で何も言わずにいると、神殿脇に生えている木々がザーッと音を立ててゆれました。葉の影が彼女たちの足元でうつろい、遠くの方で『カーッカーッ』と鳥が鳴きました。
セトは左手に人形を持ち右手で草を抜き続けました。視線は地面にありました。
「いいわ!」
リンカがキッパリ言ってセトを抱きしめました。明日には『まゆ』になってこの瞬間だって忘れてしまう。リンカ1人の胸に死ぬまでおさめておけばよいのです。セトはリンカを抱きしめ返して涙をさらに落としました。
リンカの背中に。透明ではかないビーズのような涙がコロコロと伝って落ちました。草の上に転がっていきます。
「何があってもリンカだけは忘れたくないんだ!」
本当はセトは『君が好きだ!』って言いたかったけど。許されなかった。『アクラスなんかやめて、一緒に大人になって!』って言えたらよかった。
でもそれは村の誰一人許さず。何より神が許しはしない。
「…………大丈夫」
リンカがつぶやきました。
「あなたが忘れても。私は忘れないから。一生」セトを強く抱きしめて「アクラスでよかった」と言いました。
これでお別れなんです。
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翌日の晩は見事な満月でした。
セトは親族や仲間の前で星を飲みほしました。星はセトの口の中に収まると甘い輝く液体に溶けて形を消してゆきました。
全てを飲んでしまうと強烈な眠気を感じ、そのまま崩れるように倒れました。
やがて銀の糸がセトの体をすっかり覆いまゆになりました。
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2週間が経ちました。
セトはふと。目を覚ましました。
『ここ……どこ?』
目の前にある銀の膜。これ、何でしょう?
最初はまぶしいと思った光も徐々に落ち着き柔らかで暖かいものに変わりました。
セトはまゆを最初手のひらで『ペタッペタッ』と触れやがて手のひらを握って『ガンガンッ』と叩きました。
3回目くらいで『バリッ!』と音がしてまゆの膜が破れました。
セトの手が外気に触れ5本の指がそれぞれの方向に開かれてしばらく虚空をさまよいました。
「羽化したぞー!!」という声が聞こえてビクッとしました。
誰の声?
みるみるセトが空けた穴に、集まった大人たちの手が差し込まれました。押し広げられ起き上がるに十分な大きさになりました。
初めて見る人たちの顔。
………誰? この人たち。
セトがぼんやりと半身を起こすと立派なヒゲをアゴにたくわえた男の人に抱きしめられました。
「よかった! セト!! お父さんだよ!」
『オトウサン?』
「お母さんよ!」「お姉ちゃんよ!」「従兄弟のアルスだよ!」
『オカアサン?』『オネエチャン?』『アルス?』
『オトウサン』はきっと『お父さん』だ。
『お父さん』という言葉。『お母さん』という言葉。『お姉ちゃん』という言葉知ってる。でもそれなんだっけ。
この人たち誰?
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羽化したセトは服を着せられわけもわからず目の前にスープを出されました。
黄金の、澄んだ、何も入っていないスープ。
そのまま「真似してごらん」と対面に座った『オトウサン』がスプーンでスープを飲み、セトも恐る恐る飲みました。
まるで何万回も飲んできたかのように飲めました。2週間も何も食べなかった体にしみました。
『お父さん』『お母さん』と言ってた人たちが抱き合い喜んでいる。
「セトの行動の記憶は大丈夫そうだぞ!」
コウドウノキオク?
何?
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セトは『言葉』を全て覚えていました。行動もすぐに再学習できました。
しかし記憶がすっぽり抜けていた。
『お母さん』と言えるけど目の前の人が『お母さん』であることがわからない。
『スプーン』という単語は知っているけど、目の前の銀のスープをすくう道具こそが『スプーン』だと結びつけられなかったんです。
お父さんとお母さんが一つ一つ教えてくれました。
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それからわけもわからず神殿に連れて行かれました。道ゆく人がみな祝福し、拍手し、ため息をついてます。
「またきれいに羽化したねえ。セト!」
キレイニウカシタ?
何?
セトの髪は太陽の光に透けていました。長く肩の下までありました。髪の毛1本1本は透明なのに集まると薄い水色でした。
肌は静脈が透けるほど白く、まつ毛はやはり透明な水色で長く、瞳は子供のセトと同じ深い緑でした。耳は三角形にとがり空に向かってピンと立っていました。
細い手足が白い膝丈のワンピースに似合いました。
背中には大くて透明な羽が4枚。まるで蝶のようにゆっくり羽ばたいてました。太陽の光に当たると7色に輝くんです。
「あまり羽ばたかせないで、飛んでしまうよ」と言われました。セトが心の中で『止まれ!』と念じると止まってくれました。
額に2本の触覚『これなんだろうなぁ?』
足を機械的に動かしセトは山を登りました。
道々は砂が埃っぽく舞い、羽化したばかりのセトの足を汚しました。
『サンダル』と呼ばれる物をはかされたけどこれがなんだかわからない。
木々のほとんど見られない視界の開けた1本道を三角形の神殿目指して進みました。
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白く輝く神殿では神官とアクラスが出迎えてくれました。
髪の毛をそり上げて、トガを身につけたいかつそうな神官のかたわらの赤い服の子。
黒い針金のような髪の子。
『誰かなぁ?』
漆黒の瞳が好きだと思いました。
そのままひざまづかされて(教えてもらわないとどうするのかわかりませんでした)聖水と花びらを受けました。
赤い服の子がなぜか涙ぐんでる。
あの子の涙が欲しいなぁ。
きっときれいで。柔らかくて。太陽に透けるよ。
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家に帰ると夕飯前に「お前の部屋だよ」と薄青い部屋に連れて行かれました。
「お前の机だ」と言われました。『オマエ』はきっと『お前』それで僕のこと。『ツクエ』はきっと「机」この目の前の四角いものでしょう。材質はたぶん『木』。僕にはわかる。
セトは上から順番に引き出しを開けてみました。
1段目には黒板とチョークが入ってました(何なのかはわからない)
2段目には丸まった紙が紐で留められて入ってました(何かはわからない)
3段目にはビー玉やカードなどいろんなものが入ってました。
あ、『人』だ!
行きに見たたくさんの顔を『人』って教えてもらったから。目の前のものが『人』を現す何かとわかりました。手にとりました。
お父さんが「それは『人形』だよ」と教えてくれた!
『人形』!! その単語知ってる! 今持ってるものが『人形』だ! わかる! あの子に似てる! 神殿でみた黒い髪の子! 目のきれいな子!
「あの子が好きだ!!」って思ったんです。
人形を持ったままみんなのいる部屋に戻ると『ごちそう』を出してくれた。なんだかわからないけど美味しかったしみんな温かいと思いました。
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夜になるとセトはハンモックの前に連れて行かれました。キナリの網目のハンモック。
「もうセトは羽化したんだからここで眠りなさい。羽を痛めないためよ」と言われました。
そう言われても「子供」のときにどうしていたのか知りません。言われるままにハンモックによじ登りました。
「『お母さん』」
「はい」
「この人形。持っててもいい?」
「もちろんよ。リンカに似てるわ」
セトが思いっきり笑顔になったから『お母さん』はとても嬉しそうになった。
「羽化して初めて笑ってくれたわ」
「『リンカ』って『シンデン』にいた子?」
「そうよ。あなたの幼なじみだったのよ」
「あの子好きだ!」
「…………アクラスは神の花嫁よ」
「『カミノハナヨメ』って何!?」
「…………だんだん教えるわ。世界のこと何もかも教えるわ。でも今日はおやすみなさい」
セトはその日。初めてハンモックで寝ました。うまく羽がたためるようになったし上々でした。
銀糸のまゆのように、網目のキナリの紐がセトを包んでくれました。
明日になったら『シンデン』まで行って、あの『リンカ』って子に好きだって言うんだ。
とってもいいアイディアでしょう?
だって。好きな人に『好き』っていうのは当たり前のことでしょう?
セトは自分の考えに満足し、大人になって初めての眠りにつきました。
赤いワンピースの。漆黒の髪の人形をしっかりと抱いて。
(終)
【次回】『リンカの星』
(あらすじ)
リンカはアクラス(巫女)。誰とも恋ができない運命の星の子でした。ところが。
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【2020年10月10日初稿】