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1414たちツバキ

「三度目、だ」


 彼の手から、スマートフォンを抜き取る。

 携帯電話持ち込み禁止の或吾高校内の、それも廊下だ。歩きスマホでもある。没収は当然のことと言えよう。


「……」


 無言で、彼は私を見た。

 相変わらずの暗い眼だ。双眸が乾いていて、何の関心の色も見えない。


「当初の約束通り、お前は今から風紀委員となる」

「今からですか」

「ああ。今からだ」


 言いつつ、私は没収したばかりのスマホを差し出す。


「……分かりました」


 鉄のような無表情さで、彼は了承した。

 そして、〝風紀委員の延寿由正〟が出来た。


 ある日、延寿由正が一人の男子生徒を脅していた。否、本人にそのつもりはないのだろうが、その物言いの冷たさと、生来(だろう、恐らくは)の沈黙ぶりが相手にとっては恐怖と見えたようだ。おまけに背も高く、近寄られた日には圧を感じる。


「……分かったか?」

「……っ」


 せめてもの抵抗だろう、男子生徒は小さく舌打ちすると、渋々の様子で延寿由正へとスマホを渡した。「同じ目に遭いたくなかったら、もうするな」延寿は言い、そこで私と目が合った。男子生徒はそそくさと、大きな足音で不機嫌さを存分に主張しながら去って行った。


「なあ、気分はどうだ」

「どう、とは」

「破る側から守らせる側になった気分だよ」

「……なにも、変わりません」


 言いながら、延寿の視線は私ではなく私の後ろへ向いている。振り返るも、誰もいない。


「なんだ? 幽霊でも見えたのか?」


 私の問いに、


「いえ」


 返ってきた言葉はそれだけだった。


 ああまったくもって、非力というのは度し難い。

 思い返すのも嘆かわしく、みっともなく、情けなく、憎らしい。

 右の腕、右の腕に、感触がある。なにかが、触れている。何かが私の右腕に、挿入されかけている。頬が紅潮している。心臓が高鳴っている。高揚だ。まるでこれから、私はあの獣に……………………中学生のころだ。

 その日、私は一人で下校していた。

 その頃に所属していた剣道部は休みで、いっしょに帰宅の途に就くことがあるクラスメイトとは都合がつかず、かといってそのような状況になるのが初めてのことでもなかったため、私は一人で住宅街へ続く道を歩いて帰っていた。

 街並みは朱に呑み込まれ、もの悲しげに目の前を続いている。閑静なものだった。歩行者の姿がないのも珍しいことではない。繁華街の向こう側にある或吾高校と比較して不良校と口々に揶揄されている口木高校が近場にあるが、そこに通う生徒の姿もなかった。そしてそれも、別段珍しくもない。

 私の両親は、評判の悪い口木中学へ通わせるのを嫌がっていた。そんなところを出ても、私の将来には何の為にもならない──と、そう言っていた。

 少し遠くはなるが或吾中学校のほうがいいと二人は既に意気投合しており、そうして私はそこへ通うこととなった。そのために通学路の距離は遠く、かと言って自転車やバスによる通学をしようかというほど遠すぎはしない。

 いつも通りの道を、いつものように歩いていただけのことだ。

 家まではもうすぐで、夕飯の香り漂う路上には日常めいた平穏があった。

 曲がり角に差し掛かり、真っ黒で大きな車が道の隅に停まっているのが見えたとき──「!?」突如、私は腕を掴まれたのだ。掴んでいるのは大人で、知らない男だった。悲鳴を上げようとした口を抑えつけられ、車の影まで引っ張られ、そのまま後部座席へ押し込まれた。


「出ろ」


 男が発したひとことに、車が動き出した。

 運転席にもう一人男が見えた。合計、二人。


「おっと暴れないようにね」


 首元に当てられたヒヤリとして硬い感触に息が詰まった。

 事態に頭が追い付き、現在の状況を理解し、私の身体は震えだした。

 どこへ連れて行かれるのだろう? なにをされるのだろう? 無事に帰れるのだろうか? 頭の中で目まぐるしく疑問が飛び交い、いずれも最悪の答えを打ち出してきた。同級生との会話やテレビ、ネット、漫画……その頃の私にとって性は遠くにあり、かつ身近なものだった。


「ふう……ふう……」


 腕を掴んで引き寄せ、首元に刃物を宛がう男の不愉快で気色の悪い、荒々しい息遣いを感じた。何かに興奮しているようであり、それが何に対してか、どのような行為を想定してなのか、私には想像するだけの知識があり、ゆえに訪れるだろう結末に絶望していた。

 男とは体格の差があり、二人いて、少なくとも片方は刃物を持っている。暴れたら酷い目に遭う。暴れずとも酷い目に遭う。なら暴れるべきか。きっと痛い目に遭う。最悪は死ぬかもしれない。でも暴れなければ……少し、気持ちの悪い思いをするだけで終わりなのかもしれない。けれどそうではないかもしれない。どちらにしても嫌だ。嫌だイヤだああ嫌だ誰か助けて嫌だやだやだ死にたくない何でこんな目に私が……、涙すら、出ていたんだ。初めてだったよ、恐怖と無力さで泣いたのは。

 窓の外に流れる景色は暗かった。真っ黒なスモークが貼られており、外側からは見えないようになっていた。計画性があり、狡猾な手口だった。


「ほらほら、泣かないで」


 不快な猫撫で声は性的な興奮を帯び、吐息にはコーヒーとタバコが入り混じり吐き気を催させた。

 やがて着いたのか、車が停車した。

 開けられた扉から見えた景色は、夕闇に沈む住宅街の明かりを遠いものにしていた。引きずり出された場所は人気がなく、市街地からも住宅街からも離れた工業地帯の、それも打ち捨てられたと思わしき朽ちた廃倉庫の裏側だった。

 裏口の扉が開けられ、私は引きずり込まれ、壁に身体を押し当てられた。


「さあてさて」


 下卑た息遣いが聞こえる。

 制服に手をかけられ、力の限りボタンを引きちぎられた。


「おほっ、いいねえ」


 引きちぎった一人がにやりと口角を吊り上げ、その後ろに控えるもう一人がにやにやと笑い見ていた。されるがままで、抵抗の気力も起きず、下着を脱がそうと伸ばされた腕の感触を太ももに覚え、目は遠くを見つめていた。


 すると突然──「いっ」鈍い音がして、奥にいた男が前のめりに倒れた。


 手前側の男は犯すことに頭がいっぱいだったため気付かず私の視界の中にいる、薄闇に紛れて居る少年が鉄でできた棒を今まさに両手で振り上げているのにもまた、気付かなかった。「おぅ」鈍い音。男が倒れた。


「……大丈夫か?」


 鉄パイプを片手に、その少年が尋ねる。


「きみ、襲われていただろう。こいつらに」


 少年の言葉に、「うぅ……」手前の男の呻き声が重なる。一切の迷いを見せず少年が再びその頭へ鉄パイプを振り下ろした。倒れ伏した男の身体に赤色の液体が伝い始めるのが見えた。

 

「ち、近寄らないで……!」


 助かりはした。

 いや、助かったのか? 

 そう、私の怯えは止まなかった。

 目の前の少年は犯すことこそしないだろう。だが私の言動次第では、何の容赦もなく鉄パイプをこちらへ向けそうな恐怖が、直感的に浮かんだ。

 そもそもがなぜ、少年はこんなところにいる? そのような疑問もまた、恐怖に拍車をかけた。


「……」


 近寄るなという私の言葉通り、少年は近寄ろうとしなかった。

 足もとに倒れ伏す男の脳天を冷めた眼で見下ろしていた。男はピクリとも動かない。…………そんな男の頭部へ、また、彼は振り下ろす、一度、二度、三度、憤怒の叫びなどあげず、淡々と、冷めた表情で、静かな殺意を振り下ろし続けて……………………


「死んじゃった、の……?」


 身体を震わせ窺う私へ、「かもしれない」少年が平然と言う。自分の行動に対して何の疑問も後悔もない者の声色。機械的で、非人間じみた冷静さだった。


「人を、殺しちゃったんだよ?」


 恐る恐る、だが言わずにはおれず、私は少年にそのような言葉を向ける。


「こいつらは正しくなかった」


 正しい、正しくないの問題ではない。

 人を犯すような罪を犯そうとしているのなら、殺して当然なのか。

 法律を犯し、倫理の規範を超えている者を殺すのは、何の罪もない者を殺すそれより罪は軽くなるのか。


「ひ、人殺しだって、正しいことじゃないよっ」


 私の言葉を、少年はさもつまらなそうに聞くと、


「……きみは犯されかけていた。口封じに殺される可能性もあった。きみはどう見ても被害者だ。そしてこいつらは加害者。きみが死ぬかこいつらが結果的に死んでしまうか……選ぶ答えは瞭然だ。きみが生き、こいつらが死ねばいい」


 少年はにこりとも笑わず、「それが正しい行動だと、俺は判断した」……そして実際に行動した。目の前の少年の行動原理は正しさと人倫を謳っている……ように装っているだけだ。そのような振りをしているだけ。正しさに魅了された獣が倫理道徳の皮を被り、歪な姿で振舞っているだけ。私には、目の前の少年がそうとしか見えなかった。……今もって、なお。…………今? 今の私は、どうなっている…………っ、痺れ。甘い痺れが全身に広がっている。右腕は終わり、次は左腕の付け根に何かが動いている。動かしているのは、


「あぁ、お前か」


 あなたなんだね。


「由正」


 正しいものに憧れた、憐れな獣さん。…………………「逃げ、なきゃ」震える足で立ち上がり、私はよろめいた。

 少年が近寄づいて来て無言で肩を貸し、そのいきなりの行動に私は小さな悲鳴をあげてしまった。そして少年の視線が自らの胸部に向けられているのに気づき、恐ろしさを覚えた。さきほどは犯されないと思ったが、結局のところはこの少年も……そう思った。そのときの私の制服は力任せに開けられたせいでボタンが引きちぎられており、前が閉まっていなかったのだ。

 すると少年はおもむろに上に羽織っていた薄手のシャツを脱ぎ、インナー一枚の姿となった。やっぱり、この少年は今から私を──「い、いやだ……」「着るといい」差し出された。


「今のきみの姿は目立つから」


 早とちったのだと私は了解し、頬を微かに赤らめた。早合点が恥ずかしくなったのだ。

 制服の上から着ようとして、ごわごわしたから止めて「あ、あっち……見ててくれない?」あっち見とけと少年へ言い、少年が素直に壁を向いたのを見届けて自身の制服のシャツを脱ぎ、少年から受け取ったシャツをその上に着た。ぶかぶかだった。おまけに汗の臭いがする。目の前の機械的な少年でも汗はかくのだと、私は不思議な気分になったのを憶えている。

 私たち二人は歩き出し、工業地帯から道へ出た。遠くの方に家々とビルの明かりが見えた。空気は湿気を含んでいて蒸し暑く、周囲はいよいよ夜に包まれていた。

 ある程度気持ちが落ち着いてきた今、私の中でひとつの衝動が湧いていた。

 それはまったく意味不明で、ワケの分からない衝動だった。怒る。きっと怒る。だがこの込み上げるものを抑えることが、もはや叶わなく……


 獣が私を抑えつけている。


「……死後の世界なんて、あるわけがないだろう」


 あるかもしれないだろうに。

 獣は乾いて燃える瞳を私へ向けたまま、


「っ……」


 私の腕に、なにか薬液の入った注射器を差し、中身を注入した。…………「ふっ。あ」声が漏れる。私自身の口から出たとは思えぬほどに甘い、媚びるような声が。両腕は済んでいる。獣さんの手は私のふくらはぎに触れて、そのままつつと太ももへ、さらには付け根へと「っ……!」声が漏れる。痺れがやまない。甘ったるい、痺れだ。太ももの付け根に何かが当たる、先が尖っていて──「うわ、ひどい顔」冷えている。


「ねえ」

「なに」


 呼びかけ、こちらを振り向いた少年に「ごめん」先ず謝り、


 パチン、と。私は少年にビンタした。今はもう、ビンタができない身体になってしまったよ。


「……?」


 少年はきょとんとしている。当然だ。ワケも分からずいきなりビンタされたのだから。


「ごめん、ごめんなさい……私も分かんないけど、なんだかすごく、したくなって、ビンタ……」


 私は謝る。心の底からの謝罪を口にする。

 すると少年は、


「そうか……」

 

 それだけだ。怒りもしないし、嫌味も皮肉も言いはしない。


「な、なんで怒らないの……?」


 自らがした意味不明な所業の結果の不可解さに、私は言う。


「……仕方がない、と思った。俺もワケが分からないが、そう思ってしまった。だから、まったく怒りが湧かない」


 少年からは、そんな答え。

 その表情に怒りはない。ただ、諦観のようなものだけが漂っている。


「なんで……」


 私は疑問を繰り返す。

 何も分からないまま、きっと二人とも何故なのかが理解できないまま、そのまま道を歩いていた。しばらく歩くと、ふと少年が口を開く。


「きみみたいに非力な人間は、極力一人で帰らないことだ。この工場地帯は、一歩敷地内に入ってしまえば気づかれにくい。犯罪だって、そうだ」


 忠告だった。先ほどの罪悪感と戸惑いがある程度落ち着いてきた私は、その突き放すような言葉に思わずムッとなった。非力呼ばわりへの苛立ちもあり、不可解さへの困惑もまた尾を引いていて、その結果として、


「一人で帰らないといけなかった」


 強めの口調で言い返すこととなった。


「次も同じようなことがあり、次は助からないかもしれない」


 少年がもしもの話を、それも最悪な場合のもしもを想定させる。

 今回は偶然、少年がここにいたから助かったのだ。私もそれは理解し、また疑問でもあった。


「そもそもなんであなたはこんなところにいたの?」

「……」


 当然の疑問を口にすると、少年は眉を顰めてムスっとして黙った。その拗ねるような姿がとても人間らしい動作に思えて、私の心の中には安堵が生じ、ついつい少年へと追撃してしまった。


「どうして? 言えないような理由?」

「……ソウが逃げた」


 ソウ? 私は首を傾げる。

 意味が伝わらなかったのだと少年も分かったのか、


「奏でるの漢字で、ソウ……鳥だよ。俺の家で飼っている文鳥」


 そう言う少年の表情はとても悲しげに、私には見えた。それはまったく、人間の悲しみ方だった。少年のそんな仕草は、似合っているような、似合わないような。少年の振舞いは機械的なような、人間的なような。どちらともつかない。


「懐いてくれていて……パートナー認定、とかいうのもしてくれたみたいだけど……でも、逃げてしまった。それで探していた。どこかへ飛んで行ったのは確かだろうから」

 

 その為にあの場所にいた。

 その為にあのとき助けてもらえた。

 少年の得体の知れなさが、私の中で薄まっていった。飼っている鳥を探しているという理由があってあの人気のない打ち捨てられた工場にいた。


「そっか、そんな理由だったんだ……」

「けど、見つからなかった」


 肩を落とし、少年は言う。

 ひょっとすると少年のあの暴力的な行動も、可愛がっていた文鳥が逃げてしまったことによるストレスからくる八つ当たりにすぎなかったのかもしれない。そうすれば少年は感情で動くしごく人間的な人間となる。


「鳥探し、手伝うよ。助けてもらったお礼」


 そんな言葉が、私の口をついて出てきた。


「……もう、散々探したんだ」

「でも、手伝う」

 

 遠慮するように消極的な少年へ、私は押す。


「あなたの名前は?」

「……延寿」

「それ名字? 下の名前も教えて」

「……由正」


 訝しげに、けれども素直に答える延寿へ、私はさらに「或吾中学校?」と尋ねる。


「そうだけど……」


 延寿が答える。同じクラスではない、と私は思った。顔を見たことがないから、同じ学年でもないかもしれない。背は大きい。年上だろうか。その頃の私は二年生だった。


「さっき、私みたいに非力な人間は一人で帰らないといけないって言ったけど、じゃあ私がいっしょに帰ってよと言ったら一緒に帰ってくれるの?」

「……その方が正しい」


 渋面をつくり、延寿が言う。乗り気ではないようだった。めんどくさいのだろう、と私は思った。めんどくさいという感情は人間特有の怠惰だ。

 

「じゃあ、私が由正くんといっしょに探すの手伝うから、由正くんは私が一人で帰らないといけないときはいっしょに帰って」

 

 お礼でしている行為のはずなのに、相手へ更なるお礼を求めている。我ながら欲張りだと、言いつつ自分で分かっていた。当の延寿はその提案に「きみは欲張りだ」との返事。ばっちり気付かれていた。


「よく言われる。それで、決まりってことでいいよね。……今更だけど、ここはどこ?」


 私の問いに、「月ヶ峰の外れ」とだけ少年が突っぱねるように答え、


「遅くなってしまった」


 ポケットから携帯電話を取り出し、どこかへとコールをかけ始めた。


「どこかけてるの」

「警察」


 通報だった。

 やがて十分も経たないうちにパトカーがやってきて、数人の警察官が降りてきた。

 延寿は事態の流れを淀みなく説明し、奥に倒れ伏したままの二人組のもとへと警察官を連れて行った。血を流している姿に警察官たちは最初驚いたようではあったが、事態が事態であり、男二人には息があり、また延寿が中学生だったのもあって、注意指導のお小言のみで済んでいるようだった。

 助けてくれた恩人が人殺しにならずに済んだことに、私は他人のことながらホッとしたよ。あなたは人殺しじゃなかったんだ。()()()()()()()()()()


「由正くん」

「なに?」


 別れ際、私は延寿を呼んだ。


「ありがとう──きちんとしたお礼、言葉にしてなかったから」


 延寿は退屈そうに目を細めると、「どういたしまして」とそっけない返答。礼を求める為の行為ではない、とでも言うかのように。実際、そうだったのだ。彼に見返りを求める気持ちは少しもなく、我が正しさに従っただけの行動だった。


 私と由正との面識は、最初は確かにそうだった。

 その後、時折、いっしょに帰る仲となった。私が一人で帰らなければならないとき、ワタシは校内で由正の姿を探し──「今日、帰りが一人だから」そっと耳打ちした。由正は機械的に頷くと、用事があってもそちらを優先するようになった。かといって由正が私に惹かれている様子は皆無で、ただ自分が正しいと思ったから行動しているだけ。それだけだ。私自身、一人での帰宅に恐怖心を抱いたのもまた事実の為、由正を利用していただけ──表向きは。裏側には、彼に対する疑問があった。


 彼の行動には異常性が伴う。けれど本当のところは?


 機械的かと思えば、人間のような振舞いをする。

 かといって正常かと思えば、突飛で逸脱した行動をとる。

 逃げた鳥を探すという人間的な理由であの場にいて、正しくないからと鉄パイプで情け容赦なく強姦目的の犯罪者を殴打して私を助けたあの男は──果たして、狂人なのだろうか?


 そうやって今に至っている──結局、彼の飼っていた文鳥は見つからぬまま。今? 今とは? 「ひ、……」痺れが止まらない。強まっている。右脚は済み、今は左脚だ……深く挿入され、前後に動かされるたびに、甘ったるい刺激が全身を駆ける。「うわ、うわあ。よだれすご、うわ、びしょびしょ」私は。今、私は、(由正)に、バラされている。やっぱり。やっぱりだ。やっぱりあなたは、狂人だ。狂っている。歪みに歪んで、今も歪み続けて、正常なフリをしている。………………「由正」


「どうしたんですか委員長」

「……」

「……」

「……」

「……獅子舘さん?」


 呼びかけたというのに何も言わずにじっと見てくるだけの私を、怪訝そうに由正が見つめる。


「安寺の件は……残念だったな」


 私の言葉で、由正の視線に一瞬だけ、火が灯った。冷ややかな鋼鉄じみた彼に不釣り合いな──表面的には不似合いな、獣の双眸だった。燃え盛る暴力性を伴った、非人道的な獣の殺意が宿っていた。

 

「……」


 ──ああ、そうだ。これだよ。


 無言の由正の圧するような怒りに、私は一抹の興奮を覚えた。冷たく薄昏い、悦びだった。

 正しきに魅了された獣が、規律人道の皮を被って正しきを振舞うその様に──私はあのとき、助けられたときにはもう、魅了されていたのだ。その健気さに。その可愛らしさに。


 疑問に対して私自身が望む答えは既に出ているのだ──狂人であってくれ、という答えが望みが願望が執着が。ああそうだ。否定するつもりなど元からない。

 

「私、は。あなたが正しきを愛する獣で、決して正しくはなれない狂人であってくれることを心より望んでいる」

「ふーん」

「是が非でもそうあってほしく、そうでないお前に価値など見られないとすら思えている」

「へえー」

「殺害に正当性さえ見つければ、お前ならば躊躇なく人を殺すだろう」

「ほほー」

「そして今のあなたは親友を目の前で殺され、ガイドを殺すだけの正当性を見つけている。それだけの意志がある」

「……まあ、そうだね」

「あなたは人殺しだ。確かに、人殺しなんだ」

「うん」


 獣が、私の首筋に刃を当てる。

 右腕も、左腕も、右脚も、左脚も、もう、感触がない。 


「獣さん」

「ん。違うけど。ま、分からないよね、もう」

「ビンタすると私は宣言し、私は実際にあなたにビンタをした」

「はいはい」

「なら、()()いうことに違いないはず」

「どういうこと?」

「ほら、ほらぁ。あったでしょ? あるでしょ、今────死後の、世界が」

「…………」


 甘い痺れが脳を散々に犯している。身体中が痙攣しているみたいで、逃げ場のない快楽が、脳に滞っているようで、もう、私は、ああ、わたしはぁ……


「じゃあね」

「あっ♥

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