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後日談のⅢ─C─

 世界が黒く、滲んでいる。


「あれ、は……」


 ユニのやつが、『テラスから外を眺め見れば、『敵』がなんたるかはすぐ判りますよ』と、そう言ったのだ。だからワタシはユニのやつについていき、大仰な両開きの扉を開け──る前には既に見えていたが──、『敵』の姿を見た。


 黒い蝕み、だった。


 テラスから見る光景には、かつて見ていたような青空が以前も見たような山の稜線と区切られ、眼下には……街、だろうか。ずいぶんと古めかしい印象を覚える。いや、それよりも、それよりもだ、青空の一画が、まるでそこだけ虫食いにあったみたいにすっぽりと抜けていた。そこだけが黒かった。真っ黒な墨汁を落としたみたいに黒く染みていた。空に墨汁なんて落としようがないのに。


「『敵』です」

「敵って……意思があるのか、あれに」

「分かりません」

「分からない?」

「はい。対話ができないもので。あれは……ああ、見れば分かりますね、さあ」


 ユニが空の黒染みを指さす。

 黒染みは空中に静止したまま、おもむろに、分かれた。


「分裂……?」

「はい。あれは増えます。増え続けます」


 あれを直視したまま、ユニは険しい表情で言う。「増え続けて、この世界を蝕んでいく」


「あれに近づいたら、どうなるんだよ」


 天に浮かぶ異常を見上げつつのワタシの問いに、


「蝕みに瞬く間に喰われ、死体すら残りません。あれは触れたものを皆、生物、無生物の境なしに蝕む……」


 ユニの言葉に、ワタシの口からは笑みが零れた。楽しいから、という笑みじゃ当然ない。


「それはまた……、理不尽な『敵』とやらだな」

 

 万物を蝕む、ときた。

 ならどう、対処すればいいのか。


「魔を討つ聖剣は、あれを斬れずに蝕まれて崩れました」


 淡々と、ユニが言う。「今、聖剣があるのならば魔がいるのか、と思いましたね」問われる。


「え、あ、ああ」


 生返事で答えるワタシへ、


「魔……我らに本来立ち塞がるべきだったものどもは、確かにいます。今まで聞いた限りでは、恐らくはセレベル様も見たことがなかったであろう、畸形の倫理のもとに動く異形の者たちです……魔族、と呼んだ方がより正しいでしょうか」

「ああ」

「あなたたち勇ましき転移者の方々の前に立ち塞がる敵が、その魔族であったのならどんなにことは速やかに運んだのでしょうね」


 にこ、とユニが笑う。皮肉だ。


「……いちいち皮肉を言わないと窒息でもするのか」

「ふふ、私のことをよくご存じのようです」


 軽く流された。


「聖剣に選ばれた勇者は、魔の頂に立つモノを退けたばかりの聖剣を手に、迂闊にもあれに斬りかかって蝕まれてあっさりと死にました」

「勇者……英雄、いたのか」

「彼の死に様、笑えますよ。仮にも魔族の頂点を倒した人間が、この街の入り口付近で偶然見つけた『敵』の球体を新種の雑魚かと思い斬って、一番初めの犠牲者になったのですからね」


 人が死んでいるというのに、その言いざまからこの世界にとっても英雄だろう人間の死を、目の前の女は笑っている。いや、嗤っている。


「まあそのおかげで、私たちはことの深刻さに気付いたわけですが。どんな手を使ったところで、あれには敵わないという思考と試行による証明も、今に至るまで散々に行いました」


 結果リザルトだ。

 重ねに重ねた、敗北の記録が、ユニの瞳の奥にはある。


「ただ、唯一、あれに対抗しえる術があるのです」

「あ、あるのか?」

「あります。女神、オリジヴォラ様が得意とされると言われていたりした気がする──再生の秘術です。生物に内在する命を爆発的に増幅させる奇跡を、あれに向ける。あまりにも眩い光に照らされては、黒染みの影など瞬く間に消えます」


 女神の奇跡ならば、と。


「そんなにすごいのか」

「ええ、そんなにすごいのです。たとえ四肢がさようならしていたとしても、再生が可能。なんかとんでもない腕力膂力顎力の魔獣に腕を喰いちぎられ脚を引きちぎられ首を握りつぶされていたとしても、元に戻ります」

「はっ。ずいぶん万能だな」

「生物が元々持っている命を、増幅させ、増幅させ、増幅させます」


 生命の増幅術などというものが。


「へえ。そりゃすごいな」

「ええ、すごいんですよ」


 答えるユニの口元には、薄笑み。含みがあった。


「おい」────どういう意味だ、とワタシが言いかけたところで



「────────ッッッ!!!!!!!!」



 咆哮が聞こえた。


「ああ、現われましたね」


 またか、とあきれたようにユニが言う。


「現われたって……な、なにがだよ」

「……敵は『敵』のみではないんですよ」


 くたびれたように、ユニは笑み、「あそこの、門のところに見えますでしょう?」指をさす。


「あれは、獣です」


 衛兵と思われる者たちが複数人、対峙している──その、先には。 


「憎悪と憤怒と悲痛に塗れた、正しかった者の成れの果て」


 真っ黒な獣がいた。


「あなたには是非とも、あれを討伐していただきたく思います」


 人型だというのに、全身を蛆が這っているみたいに黒々と蠢動させて、ひとつ跳び、一人の首を喰い千切り、ひとつ駆け、一人の四肢を引きちぎり、ひとつ振るい、一人の胴体を袈裟に裂き、


「あれには、私どもの兵をずいぶんと喰われてしまいましたから。まあ、先ほど述べたオリジヴォラ様の奇跡さえ施せば、何度でも彼らは私たちの肉の盾となってくれますが」


 瞬く間に、喰い、裂き、千切り、対峙する者を鏖殺した。

 血と臓物の海の最中に、獣がまた、「────────ッッッ!!!!!!!!」吼えた。身の毛のよだつ咆哮に、全身が震える。本能が警鐘を鳴らす。殺されるぞ、と警告してくる。殺される。嗚呼殺される確実に殺される。躊躇なく容赦なく、一たび対峙してしまえば毫もない慈悲でもって瞬く間に死骸へ果てる。

 

「是非とも、お願い申し上げます──勇者さま」

「……」


 言葉を失ってしまった。


「どうされました? 怖くなりましたか? ご心配なさらず、私どもも精いっぱいの助力をさせていただきます、なにも犬死しろとは申しませんよ」


 誰か、分かった。

 ワタシには、分かった。

 なぜいるのか、が、分からない。


「…………なんで、お前がいるんだよ」


 あれを殺せと、ワタシに言うのか。

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