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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
三章 未遂─Am I a lunatic?─
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猫に呼び出される

 週が明けての、月曜日である。

 朝、あとはもう玄関ドアを開けて或吾高校へ向かい歩き出すだけの延寿に対し、伊織はソファーの上で丸まっていた。学業へ励む人間としておよそ相応しくない態度の不良少年は『体調悪いから寝とく』とだけソファに埋めた後頭部から発し、その後延寿のどんな言葉も無視した。『戸棚に救急箱が入っている』との言葉にのみ、『お前風邪引かないだろ』と返ってきた。

 そしての、今だ。

 無事に登校し、いつもの冷徹さで持ち物検査を行いスマホやらスマホやらスマホという成果をあげ、存命のうちに教室内でホームルームからの授業となり。

 

「延寿、ちょっと来いにゃん」


 昼休みになっての、猫からの呼び出しだった。教室内に延寿がいると、やってきた小比井美衣に言われたのだ。彼女の髪には、いつもの寝ぐせがはねていた。


「いやだにゃ」


 猫の呼び出しは、延寿の傍にいた花蓮が先にお断りした。


「いやだにゃとかはだめだにゃ」

「うるせーにゃ」

「花蓮は関係にゃい」

「関係にゃいとかどうでもよくにゃい?」

「どうでもよくにゃい」

「うるせーにゃ。今日重役出勤してきたみーちゃんの言うことなんか聞かにゃいし」

「寝坊しちまったんだにゃ。工事現場のあんちゃん達を眺めながら悠々とやってきたにゃ。それと今日の朝って持ち物検査、あったんだってにぇ? うひひ、運が良かったってところだわ、日ごろのおこにゃいかにゃあ」

「ずりぃにゃ。てめえどっかで持ち物検査の話を耳に入れたんじゃないかにゃ」

「ねえにゃ。そんなことよりも私は延寿に用があるんにゃ」

「うるせーにゃ」

「うるせーじゃねえにゃ」

「うるせーにゃ」


 猫が口喧嘩している。


「花蓮、お願い。これ真面目な話にゃのよにぇ」

「真面目な話なのに〝にゃ〟なの?」

「〝にゃ〟はもはや職業病だから、呪いみたいなものにゃん」

「ふっうううううん?」

「今日の花蓮しつこさすごくない? なにか嫌なことあったの?」

「別に。あたしはいつだってごきげんですが?」


 収拾がつかなそうだった為、「何の話だ」と延寿は立ち上がった。花蓮の横眼が刺さった。理由は分からないが、今日の彼女はひどく不機嫌のようで、延寿の一挙一動に睨みが刺さる。


「さすが延寿、助かるっ。こっちにゃ。ちなみに花蓮、私の延寿への相談っていうのは困った先輩に関する風紀的な案件だから。別に告白とかじゃにゃいのよ?」

「分かってるよっ、みーちゃんのタイプはもっと騒がしい人なんでしょ」

「だいせぇーかーいにゃー」


 美衣が先導し、廊下へと出て、すみっこへ、人のいない箇所へと延寿を連れていく。きょろきょろと周囲に誰の耳もないことを用心深く確かめると、「延寿、取引にゃ」猫が口火を切る。



「先週の夜のこと、黙っておいてほしいにゃ」



 先週の夜のこととは、週末に遭遇した寺戸とのことだろう。

 つまりそれは、彼女自らの口から確証を示したのだ。


「代わりと言っちゃあにゃんだけど、私なりに今回の原井パイセンの殺人について考えてて調べてるからさ、その結果を提供しちゃるにゃ」

「……」

「延寿はきっと、喉からちんこが出るほど欲しいんじゃないかにゃ?」


 ぐひひ、と下衆めいた笑みで、美衣は言う。


「手、だろう」

「え、突っ込むとこそこにゃの? 女の子がちんことか言うのは正しくないよ、にこっ、って感じの薄気味悪いこと言われるんじゃないかって思ったんだけど」

「言いたいなら好きなだけ言えばいい」

「ちんぽにゃ」

「……」

「ちんぽにゃ……」

「…………」


 美衣は周囲を見回し、やはり人気がないのを確認すると、


「ちんぽにゃっ」


 気持ち先ほどの二回よりも大きめの声でそう言った。

 延寿は黙って見つめている。笑いもせず、蔑みもせず、鋼鉄めいた顔で。「あんた、つまんにゃい」美衣が毒を吐いた。


「まあ実際の話、ちんこのほうが手より欲しがりやさんな感じがするところはあるよ、うん……こんな(にゃが)れになったのも全部延寿のせいだから。それで、どう?」

「止めるつもりはないのか」

「え、なに? えんこーを?」

「ああ」

「どうして? 延寿って私のこと好きなの? キレイな身体でいてほしいとかそういうの? 女の子の処女性に神秘的な崇高さを強要してくる派閥のお方? 延寿ってユニコーンだったの?」

「道理の問題だ。きみの行いはそれに反する」

「あー……あんたさ、それって別に相手を想うからの言葉じゃないってことでしょ。間違っているから、間違っているってたーだ言ってるだけ」


 美衣は詰め寄り、延寿の視線を真っ向から、


「そういうのってさ、マジで相手をムカつかせるだけだからやめた方が良いよ」


 睨みつけた。双眸には呆れと苛立ちが滲んでいた。


「余計なお世話ってやつじゃん?」


 そう、たった今怒りを見せた己を恥じらうかのように相貌を崩すと、


「別に相手はあんたに救いも助けも求めてにゃいわけじゃん? どーでもいーやつらを放っとくだけの無関心さもさ、ショセージュツとして必要なんじゃないかにゃ? 疲れるよ、あんたのその生き方って。疲れるし、恨みを買うだけ。なーんにもならないんじゃないかにゃー。私はゼッタイしないね、私はいろーんなことを楽しむためだけに生きてるんだから」

「それでもだ。疲れようとも正すだけだよ。俺には、歪んだ人間を放置するほどの寛容さはない」

「へえ……まだ言う?」

「きみが俺の言葉に怒りを抱くのは、それが少しなりともきみの懸念に触れているからだ。道理に背く行いに罪悪感を持つだけの感情はまだ持っているということだ。ならば、どうせ生きるのなら、そんな罪悪感などない生き方の方が良いだろう?」

「押しつけがましいよ。あんたのこと嫌いになりそう」

「嫌ってくれて構わない。好かれる為に道理に背くぐらいなら、正しきの為に嫌われる」

「……あんたさ、怪しい宗教のトップに立つ素質ありそう」


そこで「止めよ止め。これ以上会話してもお互いに不利益だにゃ」と美衣は手を振り、「実はね」と切り出す。



「原井パイセンって、涯渡先輩のこと口説き落そうとしてたらしいにゃ」



 一口にそう言った。


「延寿が原井パイセンに呼び出された日もさ、涯渡先輩に自慢げに言ってたらしいよ。『二年のクソ生意気な延寿由正を呼び出したんだよ』って。涯渡先輩、人当たりが良い人だから笑顔なんだけどね、でも『原井くん、つまらないことするんだね』ってばっさり。笑顔で。もー原井パイセンは一時停止して、恋する男のうっとうしい洞察力と鈍り切った判断力で悟ったんだろうね、涯渡先輩の中での自分の立ち位置が延寿よりも下なんだってことに。それでパイセン、だっさいことに涯渡先輩の机にドンとこぶしを振り下ろして教室から逃げたんだってさ」

「……誰から聞いたんだ」

「んっとにぇ、獅子舘先輩。獅子舘先輩は涯渡先輩から聞いたんだって。あの二人は親友だし」

「涯渡さんと、獅子舘さんが……」

「そ。原井パイセンが殺された日、パイセンは涯渡先輩と揉めてるの」

「そうか……」

「涯渡先輩はパイセンと違って慕われているから、その件で誰かの恨みを買っていても仕方がないんじゃないかにゃ。さすがに涯渡先輩本人が殺したとは思わないけどにぇ」

「殺すほどの恨みをか」

「殺すほどの恨みをにゃ。そんな頭のおかしなのがいたんじゃにゃい? 誰の頭がおかしいかなんて、誰にも分かりっこないじゃん」

「……そうだな。分からない」


 人間は狂気を秘匿できる。振る舞いの上手さは人によりけりだ。『案内人』も『模倣犯』も、間違いなく狂人の側にあり、それを秘匿する能を持つ者たちである。疑っておいて、損はない。……ないのだ。

 その模倣犯がいると言ったのは涯渡だ。

 探しているのも涯渡である。模倣犯であると判断した理由は、或吾高校の校章が彫られたボタンの為……そのような原井和史と揉めた件があったのなら、涯渡本人も周囲の人物に過激な人物がいるかもしれないというその可能性にたどり着き、既に聞き込みを行っているのではないだろうか。延寿はそう考える。少なくとも、涯渡と会話する用件はできた。今日中にも。

 

「あ、あと、重要なこと言ってなかった」


 たった今思い出したかのように、美衣はポンと手を叩く。猫みたいな寝ぐせが揺れた。


「これ、エンコウの寺戸が言ってたんだけど……ふふふ、『エンコウの寺戸』って、なんか二つ名みたいな言い方になっちゃったにゃ。なっさけない二つ(にゃ)にゃーっ」


 自分で言って自分でウケて、美衣は言葉を続ける。



「原井パイセンが殺されたところに、おかしな落書きがしてあったみたい」


 

 原井和史が殺されたところ、体育館裏だ。

 延寿には見た覚えがないが、なにぶんそのときは原井和史の方に注意が集中していた。体育館の外壁に飛び散った血を見もしたが、何もなかった。気づかないほどに小さかったのだろうか。……本当に、そんなものがあったのか?


「どんな内容だった」

「んとね……にゃんか、にゃんだっけか……赤い字で、体育館の壁のところに……んぬにゅ、にゃんだったっけぇ……にゃんか……アルファベットとか…………数字とかが適当に並んでいたようなやつだったんだって……うん、確か、そうだったにゃ」

「アルファベットと、数字の羅列……」

「うん。そうそれ。きちんと見たら何か法則性みたいなのもあるかもしんにゃいの」

「そうか……」

「そういやさ、もう体育館裏って現場検証すんだらしいよ」


「つまり誰もいないってこと」美衣が共犯者のようにニィと口を引きつらせる。「見てみたら? 今日の放課後とか」


 促されている。……疑っておいて、損はないのだ。


「そうだな……」


 延寿は考える仕草をする。落書きの有無は、実際に自分で見てみないことには分からない。何か法則があるのなら、それは証拠になりえる……寺戸が知っているということは警察がその落書きとやらを見つけた……あるいは、そんなものは始めから無い。


「私はちょっと用があるからだけど、延寿は見に行くつもりにゃの?」

「……いいや。今日は止めておく」

「へー、分かったにゃ」


 そんじゃこれでこの話は終わりにゃ、と美衣は言う。特に含みもない、世間話はこれでおしまい、という自然体だった。

 お互いが無言になった。沈黙の中、美衣はじいっと延寿を見つめると、にやりと笑った。


「さてさて延寿ぅ? 美衣の話を聞いちゃった? 聞いちゃったかにゃ? 取引の成果を先に出すことで、あんたに交換条件を強制的に呑ませるクールな手口にゃ。あんたはもうこちらからの報酬を受け取った、なのにこちらのお願いに背くようなら、それは〝正しくにゃい〟よねえ?」

「……きみには後戻りできる余地は十分にある」

「うっさい」


 邪魔だとばかりに手を振ると、「あー」と美衣はさも独り言ちるかのように延寿ではなく彼方を見つめ、頭の後ろで手を組み、


「寺戸もさー、あいつほんっと小心者だよ。昨日延寿と会う前にあいつとの自慢話ばっかりのつっまらないお食事会に付き合ってあげたんだけど、あんたの悪口ばっか言ってた。あいつは人殺しだの、あいつは昔から人を殺しそうな眼をしていた、だのさ……言えば言うほど自分の価値が下がるだけだってのに、なんで人ってそういうこと言っちゃうんだろうね。ばっかみたいだにゃ。あーそれとさ、豆知識あげるにぇ。寺戸のやつって金払いは良いけどセックス自体は独りよがりのクソド下手だってのが、エンコー仲間からの評価にゃの、私は直前であんたに止められちゃったから知らにゃいけどー。いちおー延寿にも教えとくねー。ちなみに学校のみんなに広めちゃってもいい情報にゃ、仕返しにでも広めてやりゃいいんじゃね?」


 全くの関心が湧かない豆知識を聞き流しつつ、美衣の口から語られた原井和史を殺した件に関する情報を咀嚼する。

 やるべきことはとりあえずは、


 涯渡紗夜に彼女自身の揉め事について尋ねること。


 である。


「放課後、何の用なんだ」


 ふと、延寿は訊ねた。


「何の用、って。私の放課後の用ってこと?」

「ああ。図書委員会か?」

「そうにゃ。花蓮もいっしょにゃ。延寿もくる?」


 にやにや、と美衣。


「俺はいい」


 首を振り、延寿は教室へと歩みを向けた。美衣もまた、それに倣う。


 今日の放課後、小比井美衣は花蓮と共にいる。

 小比井美衣は、落書きの有無に関して延寿を促した。


 延寿はそれらに関して、記憶の中に刻み付けた。

 万が一、もあるのだから疑っておくべきだ。損失が生じてからでは、遅い。

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