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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
一章 旅人─Far away from here.─
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彼は正しき

 雨降る放課後だった。

 月ヶ峰市にある或吾(あるあ)高等学校の敷地内にある、実験室という実験室がみっちりと詰め込まれた第二校舎棟の最上階の隅っこ──化学実験室の無機的な部屋の中に延寿はいた。


「我がオカミス研究……同好会の目的は現在、三つある」


 丸椅子に座り、室内にいるもう一人の凛とした言葉を静かに聞いていた。

 

「まずは一つ目──『案内人(ガイド)』の正体を突き止める」


 化学実験室内に響く音は、もう一人の声と風に押された雨が窓打つ音だけだった。


「先日の三年生が殺された件でのことだ。その殺された男子生徒──安寺あてら秋一しゅういちはガイドと出会った後に逃走した。雨の月ヶ峰市街を駆け抜けた。結果的に殺されてしまったが、その途中でガイドの姿が目撃されている。真っ黒なレインコートを着た人物、だったようだ。監視カメラに映った映像として、その光景を見ていた人物が撮影した画像としても残っている。はっきりとした姿を捉えたのは初めてだな」


 声は続く。延寿は窓の外へ向けていた視線を声の主へと向ける。声の主は実験室の端に設置されたホワイトボードの前に立ち、『案内人』という文字と、真っ黒なレインコートを着た笑顔の人物のデフォルメが描かれていた。ずいぶんとほんわかしている絵だな……、と延寿は思った。


「さすがにニュースで流している映像には倫理的な配慮がしてあるが、ネット上には誰かが撮影したと思わしき逃走しているところの動画と刻まれた後の画像が既に出回っている。由正、お前は見たか?」

「いえ」


 問われ、延寿は首を横に振った。親友からその旨のメッセージは届いたため、動画と画像の存在は知っている。知っているだけで、見てはいない。


「見ましたか?」

「見たよ。死体画像はまあ、惨いものだった。動画の方はな、逃げていく安寺秋一らしき人物を追いかける真っ黒なレインコートの殺人鬼が映っていた。フードを目深にかぶっていて、肝心の顔の部分が陰っていて見えなかったがね。それに走って逃げる相手に対し悠々と歩いていたときた」

「……動画を撮る時間があるのなら、助けに入ることもできた。周囲に多くの人間がいたのなら止めることだってできた」


 苦々しげに延寿が言う。第三者として安全な場所で興味のままに動画だけは撮る。明らかに殺されかけている相手を助けもせずに。見て、楽しんだ、だけ。愚行だ、と思った。それが自身の歪みであるのだと、彼らは自覚しているのだろうか。


「そうだろうかな。そこで助けに入ろうと、死体がより多くなるだけだと私は思うぞ。ガイドは異常だ。人前で何の容赦もなく殺人を犯すほどには人倫を放棄した性質であると今回の件で証明された。凶器を持って容易く人を殺せるような精神性の者を避けようとするのは、人間の生存本能として〝正しい〟んじゃないのか」

「それでも助けようとするべきだ」

「ふうん。由正……そしてお前は無意味に死ぬんだな。自分の信じた正しさを死因として……」

「必ず死ぬわけでは」「まあそう怒るな」


 延寿は眉を顰め、反論の言葉を発しようとし。

 それを手で制し、委員長はにやりと笑った。


「キツい言い方をしたが……まあ、死に急ごうと思わないことだ。自分の命を軽視するのは社会的存在たる人間ホモ・サピエンスという種に属す者として正しくないぞ。私たちは正体を突き止めるだけだ。後は機動隊にでも自衛隊にでも任せよう。くれぐれも自分で捕まえようとはするなよ?」

「状況次第です」

「ふん、やっぱり頑なだな。お前は風紀委員として良く働き、オカミス研究会における私を除いた唯一の部員だ。お前の欠落は私の負荷が増える結果を呼ぶ。聡いお前ならそんな結果となるぐらいは分かっているだろう?」


 委員長の言葉に、延寿は渋々と頷いた。「委員長は俺を買い被りすぎだ」


「そうか? お前に対しての正当な評価だと、私は思ってるよ。あと今はオカミス研究会の活動途中だ。私を呼ぶなら委員長ではなく椿姫つばきさんと呼ぶように。呼ばない限りは返事してやらない」

「……獅子舘ししたちさん」

「……」


 無視された。それはもう不満げなシカトだ。

 獅子舘は名字である。獅子舘ししたち椿姫つばき。それが目の前の委員長の名前だった。主張の強い胸元の上にあるスカーフは黄色。二年生である延寿の一つ上、三年生のカラーだった。


「……椿姫さん」

「なに?」

「いえ……」

「ふふ。それでいいんだよ。素直な由正は好きだ。素直でなくとも好きだがね」


 そう委員長──椿姫は微笑み、「では次だ」と表情を改めた。

 黒色のマーカーを手にホワイトボードへ向かい、アルファベット四文字──

 W、

 W、

 D、

 W、と縦に書いた。



「二つ目は、WWDW(クスリ)の出どころを突き止める。まあこれは風紀委員案件でもあるのだが……WWDWが何なのかは、さすがに知っているよな?」

「薬物でしょう」

「では正式な名称は?」

「ワットアワンダフルディッファレントワールド」

「よろしいよろしい。素晴らしく日本人的な発音による正解例だ」


 微笑みを浮かべると、椿姫は先ほどのアルファベットの横に

 What a

 Wonderful

 Different

 World! 

 と書き加えた。「aの位置が少し不満足だな……」そんな感想を交えて。


「それじゃあ由正、これはどういう意味だ?」

「なんて素晴らしき異世界」

「感嘆符が足りないように聞こえるなあ……?」


 にやにやと椿姫が言う。延寿は眉を顰め、


「なんて素晴らしき異世界!」


 しかし言い直した。「ぶはっ」笑われた。延寿の眉間の皺がより深くなった。


「悪い悪い。由正は素直だなあと微笑ましくなっただけだよ。まあその通り。意味はその通りだ。ふざけた名だよ。そんなふざけたクスリが、嘆かわしいことに月ヶ峰市内で密かに出回っている。いつから出回っているのか、誰からかも分からない。ガイドの出現を契機とし、ガイド当人がWWDWを配り回っている説もあるが……まあ、確証がないな。かといって頭ごなしに否定もできないが……未成年の使用者が多く捕まっているそうだ。大方はロ高の方だが、この或吾高校の生徒だって数人ほど警察の厄介になっている有様だ。捕まっていないのだって何人いるやら……嘆かわしいものだよ、本当に」

「そうですね」


 相槌を打ち、延寿はホワイトボードへ『ダメ。ゼッタイ。』と書く椿姫の後姿を眺めていた。書く動作に連動して彼女の特徴的なポニーテールがふわふわと揺れていた。

 書き終わると、椿姫は肩越しに延寿を見、


「件の安寺秋一とやらもWWDW(クスリ)を使用していたようだ。そういう噂を聞いたよ。仲間内でWWDWを使用し、ラリった頭で帰り道にガイドと運悪く遭遇し、殺された」

「……意味が分かりません。なぜ彼らはクスリなんかを使うのか」

「さあ。なんでなのだろうね。私や涯渡のような三年生ならば受験を控えてのストレスというのもあるかもしれない。あるいは単に、極上の快楽が味わえるからなのか」


 くすり、と椿姫は艶のある笑みを延寿へ向けた。


「由正は興味ないのか?」

「少しも」


 短く答え、延寿は無関心に視線を再び窓の外へ向けた。相変わらず雨が降っている。


「嬉しい答えだ。私はね、由正……」


 延寿の傍へと歩き寄ると、椿姫は窓の外の雨を見つめる延寿の視線の中央へと割り込んだ。


「お前にクスリを使う様な人間であってほしくないんだよ」


 椿姫の目に湛えられているのはなんなのだろう、と延寿は考える。信頼か、期待か。それとも彼女自身の理想を俺に当てはめただけの束縛なのだろうか。


「言われずとも使わない」


 延寿は答える。本心だ。


「あはは。そうだね、余計な言葉だった」


 椿姫は笑うと、「薬物は凡人にとって永遠に憧れの体験なんだよ。何者にもなれない彼らは旅人トリッパーになるしかないのさ」そう言い、再びホワイトボードの前へと立った。


「では三つ目だ──オカミス研究、同好会の同胞を増やす」


 そう言うと、椿姫はホワイトボード上に『部員が欲しい』と切実な願いを書き、とん、と控えめに叩いた。


「いいか。我々は風紀委員の長と補佐であるとともに、オカミス研究会の同胞でもある」

「ですね」

「しかし二人だけしかいない」

「はい」

「はいじゃない」


 はいじゃなかった。


「そも、オカミス研究会とはなんだ。由正、答えてみろ」

「オカルトとミステリーが好きな人間の集まりです」

「そう。そうだ。オカミス研究会とは、オカルト研究部とミステリ部が人数の減少により渋々合併した為に生じ、結果的に人数不足から同好会へと降格し色々と部員も離れて我々二人だけとなってしまった悲劇の同好会だ」


 延寿は頷く。その通りだった。


「今は顧問である取兼とりがね先生のご厚意に与り、先生の担当科目でもある化学(ばけがく)の方の実験室を活動の場としてお借りしているが、いつまでも取兼先生の世話になるわけにもいかない。だから私は部員を増やしたく思うのだ。オカルトとミステリーを偏執的に好む同胞はらからをな。いつまでも我々は同好会に甘んじるわけにはいかない」

「そうですね」

「由正。もっとやる気の返答を私は欲する」


 椿姫の要求に、延寿は「頑張ります」と言い直した。


「ふん。ギリギリで落第点だな」


 落第した。


「目下のところはこの三つを目的として我々オカミス同好会は活動を行う──以上で本日のミーティングは終了だ。この後の活動も、今日はなし」


 ホワイトボードに書いた文字とイラストを消しつつ、椿姫は「由正は先に帰っていろ。私は取兼先生に鍵を返さないといけない」とのこと。


「一人で帰れますか?」


 椿姫の後姿へ、そう延寿は聞いた。幼い子どもへ言うような言葉となったのは、ひとえに延寿の言葉足らずが故だった。揶揄うつもりも嘲るつもりも延寿には無い。


「……必要ないよ」


 振り返りもせず、椿姫は答えた。


「分かりました。失礼します。獅子舘さん」

「……」


 無視だった。


「……、椿姫さん」

「ああ。さようなら。また明日だ、由正。きちんと生きた姿で、私の前に現われてくれよ」


 肩越しに振り返ってにこりと笑う椿姫に見送られ、延寿は鞄を片手に化学実験室を出た。

 窓の外に広がる景色は灰色で、雨はやはり止む気配がなかった。

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