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ヂッと、小鳥の鳴き声が聞こえた。
ヂッ! まただ。今度はひときわ強い。
鳴き声がした方向へ、視線を斜め上側に向けると──『A little bird told me』と、そう大きく描かれた看板が掛けられていた。隅っこの方には真っ白な小鳥が一羽、赤色の嘴を開けている。歌を歌う姿が描かれているのだろう、とても、上機嫌な様子で。
ガラス越しに見える店内は、落ち着いた明かりに照らされた喫茶店のようだった。昼を過ぎて夕方前という半端な時間の為か、疎らにしか客はいない。今までこの街で生きてきて、入ったことのない場所だ。その存在すら今知ったようにも思えてくる。
『A little bird told me』……小さな鳥が私に教えてくれた。
小鳥が俺に教えてくれた……いったい、なにをなのだろう。
──A little bird told me──"She's gone".
……一日、経った。
きみが殺されて、その一日目だ。
──さんきゅうはち、いちよんごーきゅーさんさん。
──どこまでも付き合うよ。きみの視界に貼り付いて。
──スグニ見失ウキミノ為ニ、キミノ視界ノ中ニ居続ケルカラ。
『少し頭が重いな……雨、降るかもしれない』
昨日の朝にきみがそう言い、天気予報も降水確率を高く見ていた。
ザアアアアアアアア────。
今、その通りの土砂降りだ。
間断なく大粒の雨が地面に弾け続けている。
6月14日の月ヶ峰市は大雨で、梅雨入りしたと今朝のニュースでは言っていた。
こんな雨の日に外を出歩こうという人は早々いないらしい。歩いている間、俺は一人の人間にも会わなかった。車すら通らない雨下の街は冷え冷えとしていて、異界めいた異様さだ。
傘を持たずに出てきた。雨合羽は畳んで部屋に置いてある。
目的のない散歩だ。何処に辿り着くつもりもない。
「お、おいきみ、傘は。ずぶ濡れじゃないか」
喫茶の店内から俺の姿が見えたのか、親切な名も知らない誰か……店長らしき温和な雰囲気の、真っ白な髭を上品に生やした老人が両開きのガラスドアの奥から出てきて、そう声をかけてきた。
「うちにある傘を持って行きなさい、風邪をひいてしまうよ」
そう言うと彼は店内に入り、すぐにタオルと傘を手に戻ってきた。
ありがたい心遣いで、困っている他人を見過ごせないその性質には尊敬を覚える。だから、その親切心を出来うる限りに尊重し、なおかつ現状を維持できるような返答を探し、
「ありがとうございます。ですが、家がすぐ近くなので」
慣れない笑みを形作ることを意識して、そう答えた。
二の句を継がれる前に、さっさとその場を離れた。
──親が心配するよ。
街路樹の根元に、さも雨宿りのようにきみは立っている。
双眸は楽しげに。口調はいつもと変わらずに。
お気に入りの真っ黒なキャペリン帽子をかぶり、真っ黒なワンピースに、真っ黒なパンプス。まるで、喪服のようだ。
「……」
俺はきっとこの先一生を、きみに見つめられて過ごすのだろう。
──ごーさん。
繰り返されるその言葉を、俺に理解してほしいのか。
──はちさん。
きみには俺にしてほしい何かがあるのか。
──なな。はち。
俺に叶えてほしい願いがあるのか。
──ななさんしーえいちさんはいふんにーはちいちきゅーはちしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちさんよん。
きみの言葉の意味が分からない。
俺は、どうしたらいい。どうすればいい。
きみはなにを望んでいる。俺にどうしてほしい。
──きみに触れたい。
俺だってそうだよ。だができない。忌々しい境目が俺たちの間の妨げになってしまった。
──いちきゅーはちロいちよんごーにー、私の為に。
まだ、上手く聞こえない。喋りつづけてくれ。話し続けてくれ。
きみの言葉を、俺の為に、聞かせてくれ。理解に努める。何としてでも。
聞き続けるから。話し続けてくれ。言わんとすることを知りたい。声を聞かせてほしい。絶やさずでいい。無音の中にいるのは気が狂いそうだ。他人の慰めと同情は聞き飽きた。きみの声を聴きたい。
──ごーさんオさんななはちななさんしーえいちさんはいふんにーはちいちきゅーはちしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちさんセ。
──ごーさんはちさんななはちななさんしーえいちさんはいふんにーはちいちきゅーはちロはちさんよん。
──ごーさんはちさんななはちななさんしーえいちさんはいふんニコしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちさんよん。
──ごーさんはちさんノななさんしーえいちさんはいふんにーはちコロさんよん。
──ごーさんはちさんノタメにーはちいちきゅーはちしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちセ。
──ごーさんはちさんななはち為にーはちこしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちせ。
意味を、掴めそうだ。続けてくれ。これは全くの無益で不毛な取り組みではないのだと、現状がそう示してくれている。
──…………。
どうした?
──そんな申し訳なさそうにする必要はないよ。
……その言葉は、惨めな俺の意識下に欲した慰めがきみの口を介しただけだろう。
──きみの優しさは十分わたしに伝わっているから。だから、
……それはきみの言葉じゃない。俺の頭が、都合よく俺に向けている幻聴だ。
──そんなに怒っちゃだめ。きみが不幸になっていくのを、見過ごせないよ。
俺が今欲しいのは場違いな慰めじゃない。言ってくれ。
──きみ自身はそれが優しさだと心から納得できる? きみがしようとしているその行動は正しいんだって、胸を張って言える?
言うんだ。きみがどうしてほしいか、俺にどうしてほしいのかを……! 俺の背中を押せ……! 俺を崖から落とせ! 落ちて死ぬ覚悟はもうできている、できているんだ……! その覚悟が揺らぐような言葉を、頼むからっ……! 吐かないで、くれ……
──ごーさんはちさんななはちななさんしーえいちさんはいふんにーはちいちきゅーはちしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちさんよん。
──ごーさんはちさんななはちななさんしーえいちさんはいふんにーはちいちきゅーはちしーえぬえいちかっこひらきにーえぬぷらすいちかっことじはいふんはちさんよん。
ああ……! クソ!! 聞こえなくなった。意味が解りかけていたというのに……!! 何が足りなかった、何が足りないんだ!!!!