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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
三章 未遂─Am I a lunatic?─
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顔切リ男(推定)

「『読鳥ん』は司書さんがいるカウンターのところに置いてたんだけど、昼休みに司書さんがちょっと席を外した時に傷つけられていたって」


 ぬいぐるみ傷害事件の発生時刻は、だから昼休み──そう、花蓮は言い足す。


「それで放課後にあたしがさ、司書さんに呼び出されて、『こんなときに本当にごめんなさい』って前置きされちゃってさ……まあ、その件について聞いたの。もーびっくりだったよ。誰が!? なんで!? ってカンジでさあー」


 並び歩き、連れ立ち帰る二人の帰路。

 相変わらずの晴れ間のない曇天が、行く末に重苦しくのしかかっている。

 延寿と帰る道中で事態をある程度自分なりに咀嚼できたのか、ほんの少し明るさの戻った花蓮の語る傷つけられた『読鳥ん』の経緯に関する説明を延寿は聞いていた。


「昼休みまでは無事だったんだな」

「うん。昼休みにやられたっぽい……あー……カウンターのところ、防犯カメラもついてなかったしなー……うむむ、いったいやったのはどこのどいつだろう、許せん……いや本気で、許せないよ」

「俺もだ」


 綿のはみ出たぬいぐるみを抱えて憤慨する花蓮に、延寿が頷き同調する。


「こんなことになっちゃって、まったくかわいそうに」


 痛々しい有様となった『読鳥ん』を憐憫の視線で見、花蓮はそうこぼした。

 このぬいぐるみが何かをしたわけでは、決してないのだろう。『読鳥ん』に付随する情報が、誰が関わり誰が保管し誰が作ったのか……それらが、悪意の矛先として定められた。

 誰だろうと、どのような理由があろうとも、その行為に正しきを見いだせない。どんな事情があろうと、そこに斟酌の余地などありようがない。


「でさ、よっちん。話は変わらないんだけど……三年生の、原井和史さんって知ってる?」

「原井、和史……」


 延寿の脳裏に、あのクラブハウス内の喫煙薬物三人衆の姿が浮かぶ。そういえば、ヒロシだかサトシだかカズシだか呼ばれていた気がする。三人の顔が浮かび、その上を三つの名前が高速で飛び交っている。名と顔が定まらない。


「知っている。その人がどうかしたのか」

「司書さんの話だと……司書さんって、図書室に頻繁に来る人って覚えてるみたいでね、逆にあんまり来ない人も分かるんだって」


 言いづらそうに話す花蓮の言葉に、延寿は彼女が言わんとすることを察した。


「原井和史さんってね、良い評判を聞かない先輩なんだ。まあよっちんは知ってるよね。この前だって、喫煙したとかで寺戸に怒られてたみたいだし、今度やったら停学だぞって話だったし。てかまだ停学なってなかったんだって人だし、うちの学校、なんやかんや甘いところあるよね……まあ、そんな本とは無縁そうな人が、その日、図書室に来てたんだよ、珍しく」

「……そうか」


 誰が、『読鳥ん』に傷をいれたのか。

 誰を怨んでの、その愚かしい振る舞いなのか。


「それで司書さん曰く、『読鳥ん(この子)』が顔を切られてたのを見てびっくりしてたとき、視界の端に、原井和史さん、いたみたいなんだよ──ぬいぐるみの周りで慌てふためく人々をじぃーっと見つめてさ、にやにやと、笑いながら。いたのはね、原井のやつと……あ、原井のやつって言っちゃった……まあ、原井のパイセンといつもつるんでるっぽい人たちもいっしょになってニヤついてたって。あーもうやだ、人数いないと気を大きくできない男ってだっさくてやだっ……」


 眉をひそめて悪態をつく花蓮の言葉を、延寿は聞いている。

 図書室にいた彼らの人数は、三人だろう。

 原井和史は、『読鳥ん』が安寺冬真の作だと知っていたのだろうか。

 あの男は、そのぬいぐるみに俺自身が少しでも関わっていることを知っていたのだろうか。


(俺を恨んでいるだろうあの男は、どのような理由でもってぬいぐるみの首を切ったのだろうか)


「で、でもまだはっきりとした証拠はないんだよ、よっちんっ。だからね、その……」


 慌てて訂正し言い淀む花蓮が続けるだろう言葉を、


「……早まらないよ」


 先んじて延寿は口にした。つい最近にも、『早まるな』と伊織の口からも言われたのだ。あの、冬真と汐音の死体のすぐ傍で。


「はあ、良かった……確かに原井和史さんってロクな事しそうにないけど、もしも本当に違ってたら、きっとよっちんが悪者にされちゃうよ。だからしっかりとした証拠が出そろうまで、ね……」

「分かっている」


 少し、本人に訊ねてみるだけだ。

 そこまでは、延寿は口に出さなかった。


(いつ、訪ねようか。……明日に、しよう)


「もし、ね。もしもね、よっちん。本当にその原井和史さんがこの子の顔を切ったアン畜生だったら……よっちんは怒る?」

「怒る、だろうな」

「だ、だよね。今のよっちんは、いや私もだけど……そんなことした人、絶対に許せないし」


 顔をしかめて、花蓮は「私までよっちんみたいなぶっちょーづらの鉄仮面になるレベルだよ」と冗談めかして小さく笑う。控えめで普段の彼女らしくないささやかな笑顔からは、


「でも……………………怒りすぎないでね、よしまさ」


 言葉尻のか細い、懇願の響きともとれる途絶えそうな声音が出てきた。


「道理は心得ている。どのような行動が法に触れるのか俺は知っている」


 そしてそのような行動をしない己を、俺は心掛けている。

 それこそが正しき俺自身の姿だ。


「……殺したり、しないよね」


 その問い。内容は物騒で、あり得ないことを前提としている質問。

 なのに発する花蓮の表情は真剣で、冗談めかす素振りは全く見えない。


「心外だ」


 延寿のひとことだけの返答に、花蓮はほっとした様子を見せた。心の底から危惧していた不安をようやく払えたとばかりに。

 それでいい、と延寿は思う。容疑のかかった相手とどう接しどのような結果へと持っていくのかは俺の懸念なのであり、彼女が不安がる事柄ではない。


 誓って、だ。殺したりはしない。それは俺という自我の以前と以後に反する。


 たとえ。そう。たとえ。

 殺したいほど憎くとも──俺はそのような行いをしない。憎悪で人を殺めるのは俺ではないのだ、俺は……これ以上の思考は不必要だ。無意味な仮定へと踏み込もうとしていた。


「人殺しはダメなんだからね、よっちん」


 口にする表情にはすでに冗談の色が濃ゆく、親しみある笑みは常の彼女のソレに近い。彼女の言葉には十全の倫理が備わっている。ああ、きみの言葉は正しい。


「分かっている」


 そしてその不安は、きみが望むとおりに杞憂でしかない。

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