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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
三章 未遂─Am I a lunatic?─
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ヌイグルミ傷害

 延寿と花蓮の友人たちが死亡した日の次の日の、その次の日。

 何事もない朝と昼を過ぎ、何の変化も窺えない夕暮れの放課後を迎えた。ただ一日を過ごしただけだというのに、好転の兆しのないわだかまりが大口を開け、無為漫然と時間を食い潰していくかのような焦燥を延寿は抱いていた。

 怒りと、苛立ち。

 焦りと、無力さ。

 膨らみ続けるそれら、決して良い方向へと進む切っ掛けとはならないような感情の種々、負方向へと進もうとしている我が足の愚かしさに辟易していた。

 口を閉ざし、眉間に皺をよせ──これ以上の何事も起こらずに済むように、とはっきりと意識せずとも思考の奥底では、延寿はそう望んですらいたのだ。もしも起こってしまえば、怒りは更に増幅し、内燃する炎の勢いは増すばかりだろうから。

 そんな延寿が険を含んで余りある凶相で昇降口で下履きに履き替えようとしていたとき、廊下の向こうからやってくるその人物の姿をふと視認し、言いようのない遣る瀬無さが心としか呼びようのない箇所に渦巻く感触を見た。

 やってくる人物とは鷲巣花蓮だった。

 浮かない表情だった。無理もない。無理もないのだ。親友たちをいっぺんに失った彼女が、今どのような心境でいるのか、どんなに無神経な者とて、どんなに冷たいと呼ばれるような人間にだって、分かる。

 彼女は鳥のぬいぐるみを両手で抱えていた。『読鳥ん』だ。……安寺冬真の、製作した。

 

「……あ、よっちん」


 かけるべき言葉の正しきを考え巡らせている内に、花蓮の方から先に気付き、そう声をかけられた。


「何処かへ持って行くのか」


 持って行くのだから、今持っているのだろう。 

 延寿は自身の発言の不毛さに心中で閉口した。かけるべき言葉はもっと他にあったのだ。


「うん……。図書室に飾ってたら、ちょっと破けちゃって」

「破けた……?」


 延寿が近寄ると花蓮は視線を逸らし、「ここ」指す。か細い声だった。延寿には見られたくなかったかのように、気まずく、後ろ暗い。今にも泣きそうな程に。


「……」


『読鳥ん』は、顔に当たる箇所を切られていた。

 足を放り出して本を読んでいる真っ白な鳥、その顔が斜めに切られて、綿がはみでていた。冬真の作ったぬいぐるみが顔を斜めに切られていた。『案内人』に顔を斜めに断たれて中身をさらけ出して死んだ親友の製作したぬいぐるみが、顔を斜めに、首までも切られて中身をさらけだしている。この一致が、この符号が、それが偶然だと思おうとして果たして俺自身がそれを信じ切れるか? できるはずがないこれが偶然であるわけがない。


「よ、よっちん。大丈夫だから」


 なにが。


「これのどこが、大丈夫なんだ」


 熱が込み上げる。

 足の底から頭頂に至るまで燃え盛る炎を自覚する。


「きっと誰かがいたずらしただけだってっ」


 そうだ。これは人為的なものだ。

 悪意ある何ものかによる凶行だ。

 

「いつ、切られていた」


 誰が、切っていた。

 誰がこのようなことをやった。いったい誰が。誰がだ?


「よ、よっちん落ち着いて。まずは、落ち着いて」

「俺は落ち着いている」

「落ち着いている人はそんな人殺しみたいな目をしない!」


 人殺しのような目つきとは、初めて言われた。

 弾けたような幼馴染の叫びが、延寿の炎に水をかけた。目の前には口を真一文字につぐみ、涙を湛えて睨みつけてくる花蓮の姿。泣いている。泣かせた一端には俺が含まれている。


「……俺は一旦、頭を冷やさないとならないようだな」


 その言葉は、自嘲、だった。

 ここで怒りを見せようと、それは何にもならない。何も解決させず、いたずらに目の前の彼女を悲しめるだけと終わる。無意味。不毛。何の実りもない。自身の怒りを無理やりに抑えつけるべき。べきなのだ。


「詳細については、あとで教えてもらう」


 踵を返そうとして、


「……花蓮」


 幼馴染に、服を引っ張られた。


「確かに今のよっちんは頭冷やさなきゃなんないよ。勢いで人をサクッとっちゃいそうだもん。でも頭を冷やすのに、私がいちゃいけない理由なんてない」


 そんな言葉に、


「いっしょに帰ろうよ。今から帰るんでしょ」


 そんな誘い。


「……きみはそれでいいのか」

「それ、どういうこと?」

「いや……俺は今、きっと頭に血が上っている。そんな人間といっしょにいることに抵抗はないのか」

「へ。ないに決まってるじゃん」


 あっけらかんと花蓮は言い、


「もしかして八つ当たりとかしちゃうかもとか心配してんの? よっちんってやっぱくそまじめー」


 微かな笑み。小さくだが、笑んではくれた。

 そんな彼女の仕草に、延寿は少しく安堵を覚えた。

 

「じゃ、かえろ? 寄り道しちゃダメだよ?」

 

 するものか、と延寿は口の端に微細な笑みを感じつつ、歩み始めた。

 冬真が『案内人』に殺された日から、初めて浮かべた笑みだった。

 延寿の目の前に広がる街並みに、曇天の切れ目から光が落ちていた。

 ふと、腕と腕が触れ合う。花蓮の距離は、いつも以上に近かった。いつの間にか彼女はまた俯いていた。俯く彼女に表情に幸せは兆しているだろうか。安堵は。平穏は? 分かり切っている。一切兆していない。つい二日前に親友を一度に失った人間が今安穏と笑っていようはずがない。深い傷の痛みを隠そうとしてくれたただそれだけだったのだ。


「ごめん、よしまさ」

「……謝らなくていい」

「正直わたし、だいぶ限界みたいだから……」


 雲の切れ目はすぐに塞がり、光はすぐに途絶えた。


(誰の仕業なのだろうか)


 俯き黙り、沈黙の中に心の安定に努めようとしている幼馴染の腕の感触を受けつつ、延寿はそう考えていた。誰が『読鳥ん』を傷つけた。安寺冬真の死に際と符合すらさせて。追い詰められている鷲巣花蓮をより追い詰めるような行いを……


(誰がやった)


 誰が。


「また、こわいかお」


 その言葉には虚ろな笑みが含まれている。

 見上げている花蓮の口から出た言葉だと気付き、延寿は「元々こんな顔だ」とにこりともせずに返した。「嘘。普段はよしまさ、もっと優しい顔をしてるよ」言い返される。


「……きみの眼には、いったい俺はどう映っているんだ」


 こぼれた問いは、本心からのものだった。

 優しくあろうとしているわけじゃない。正しくあろうとしているのだ。

 優しさなどという高慢と独善の別称のような感情で正しきを放棄できる者になろうなどと考えるものか。同情で規則の懐を勝手に広げて落着し、独善で法に背を向けるような生き方を……俺は心の底から、嫌悪、する。


「ん、考え方がダイヤモンド並みにかったくて不愛想で鉄仮面で仏頂面でぶっきらぼうな物言いで不機嫌なのが分かり易くて敵ばっかり作っててでかくて威圧的であんまり笑わなくて不愛想な感じで不愛想っぽさありありでまあ不愛想かなって感じでぶあいそーな」


 ぼろくそに言われている。

 言いたいように言った挙句に彼女は静かに口の端を少しだけ吊り上げ、


「……普通に笑って、普通に優しい、男の子」


 微笑みは儚く、そうあってくれという願望が込められているように延寿には思えた。怒りを溜めず、人殺しの人相を浮かべないような、普通の高校生。現状を鑑みるに難しい話だ。『案内人』の存在も、『読鳥ん』を傷つけた者の存在も、それらに怒りを抱くなというのは不可能に近い。当然の感情を、当然のごとく行使しているに過ぎない。

 だが、ただひとつ言えるのは。


「……努力する」

 

 彼女の望み通りであったとて、それは正しきに反しない。

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