二人で一緒に帰った日
それは椿姫が校舎からの帰路を延寿とともに帰り始めた初期のことだ。
紅い陽が染み渡る放課の時刻に、前途のあらゆる物陰に潜む鼻息の荒い恐怖を幻視幻聴していた椿姫が、ただ一人の同行者が増えたことでそれらすべてが幻なのだと気付いたあとの場面だ。
帰り道、怖いものに遭遇した……が、それは常に起こることではない。
少なからず傍にこの無言の少年がいる間は、起こるようにはとても思えない。
椿姫の心情は安堵の息を吐き、今日も沈黙を主とする少年とともに、或吾高校の校区内から幾分か外れたところ、口木高校の生徒が多く住む区画へと入って行く。
すると、いつもとは少々違う景色に出くわした。
「うわ」
椿姫が嫌悪の声をあげたときにはもう、延寿は歩みの辿り着く先をそこへ向けていた。黒い学生服を着用した体格の良い三人組の男子生徒と、囲まれて身体を縮めている一人の男子生徒──見るからに怯えている──がいるその場所である。
明らかに面倒ごとになるだろう四人組の下へ、ずんずんと無言で歩きゆく後輩の後姿を、椿姫は茫然と、それでいてある種の恍惚を含んだ満足を胸に渦巻かせて眺めていた。そう、それだ。あなたはそのような人間だ。私が期待する通りの姿を、私に見せてくれている。
「あ? なに、きみ」
三人組の六つの瞳が、一斉に延寿を睨みつける。
「怖がっている」
睨み返す意図はないのだろうけれど、延寿は生来の不愛想でもって三人組を冷ややかに見据える。
「ちょ、ちょっとお話してんだよ、お前関係ねえだろあっち行け」
ひるんだ様に口ごもりつつも、一人がしっしと手を振る。
「相手を怯えさせるような〝お話〟は止めた方が良い」
邪魔ものだと、三人組ははっきりと認識したのだろう。殺気立ち、その注目はいまや恐怖する哀れな一人の男子生徒ではなく、いきなりやってきて邪魔立てしてきた一人の無粋なヤツへと向けられていた。
「事情知らねえのに、なに? お前」
「こいつの友達かなにか?」
「お優しいなあ。それならお前が代わりにやってくれんのかなあ?」
じっと睨みつけてくる疑問符三つに、「どんな事情がある」と延寿は訊ねる。平然と、どこまでも平静に、不自然なほどの無関心さを醸しだしつつ、だというのに邪魔に入る。
「事情? 金だよ。こいつんち金持ち……って嘘だろいねえ!?」
「はあ? うわほんとだいねえわ! 逃げ足やば!」
「あのボンボンが……明日憶えとけよ」
三人組の意識が延寿に向いたのを幸いと、からまれていた気の毒な生徒は脱兎のごとくに逃げていた。いねえいねえと騒ぎ立てる三人組をよそに、延寿は遠巻きに眺めていた椿姫のもとへと歩き出していた。
「ねえ、お前もなに素知らぬ顔で逃げようとしてんの? 俺たちそんなに怖い?」
すると一人が追いかけてきて延寿の方を掴み、そのように。「お前のせいで金づる逃げちゃったんだけど」
「それは残念だったな」
「残念だったな、じゃあねえんだよなぁ……お前、ほんと、なに? 正義の味方でも気取ってる?」
「もうきみたちに用がない」
肩を掴む手を振り払うと、延寿はそれ以上の関心を見せず、帰路へと就こうとし──「どこまでもふざけやがって……! その制服、或吾の頭でっかちどもだろ!」ドン、と背中を押された。
振り返った延寿の視線の先には、真っ赤に激怒した顔があった。
「ちょっと頭良いところだからってよ、言ってんだろ『ロ高はゴミ溜め』だとか『ギョクセキコンコーにおける石しかないケウな高校とかまじウケる』だとかよ! 聞いたことあんだよ噂になってんだよクソが!! 俺だってギョクセキコンコウの意味ぐらい分かんだよバーカ!! ネット舐めんな! ケウはめんどくさくて調べてねえから分かんねえけど!!」
おいやめとけ、と彼らの内の残り二人が窘める。なおも叫ぶその一人を抑え込みつつ、「もうあっち行け」と手を払う。
無関心に、延寿は椿姫のもとへと歩み寄り、何事もなかったかのように平然と「ごめん。待たせた」と口にする。
「待ってはいないんだけど……あなた、度胸あるね」
椿姫の戸惑いを多分に含んだ称賛に、
「憎いんだ」
延寿は帰る道筋を見やったままそう答えた。
「憎い? 嫌い、とかじゃなくて?」
「ああ……嫌う、よりも憎いと言った方が近い。それが何でかは分からないのに、どうしても俺は、そういう、正しくない人間が許せない。身体が制御を効かない……は過言……ではないな、不愉快で、ムカムカしてくる」
「へえー……根っこからの、正義の人なんだ。すごい……ね……」
言い終わる前に、椿姫は固まっていた。
延寿がこちらへ視線を向けていた。ゾッとするほどの無機質さだった。つい最近にも、椿姫は延寿のその瞳を見た。乾いて凍りついた瞳。刺すような鋭利の眼。淡々と、意識を喪失した〝椿姫が怖がっていた者たち〟の息の根を止めようとする凪いだ湖面のように静かな暴力性の発露……
「俺は、きみのその判別が正しいとは思わない」
そう、彼は断言した。
あの時とは違い、幸いなるかな、その双眸に憎悪こそ灯ってはいなかったが。