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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
二章 胎児─Here you are.─
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恋人=縫イ包ミ

「ソレがか?」


 延寿が言うと、冬真は「ああ」と力強く頷く。


「あとはガイドのやつを待つだけなんだよ。やってきたらさ、はいどうぞ、ってわけで汐音を渡して、殺してもらうんだ。そしたら汐音は異世界へ行けるってわけよ。完璧なプランだろ?」


 冬真がいつものように屈託なく笑う。

 向けられた狂人の論理に、延寿は奥歯を噛み締めた。何もかもが正しくない。正しくなくなってしまった。どうしようもなくやるせない怒りが込み上げてきて、延寿は必死にそれを抑えて、血を吐くような思いで言う。


「その子はもう生きていない」


 正論を。


「知ってるよ」

「……生きている形じゃない」

「知ってる。だからガイドに異世界へ連れて行ってもらうんだろ」

「異世界は存在しない」

「は? 由正、勝手なことを言うなよ」


 苛立つ冬真は、まったく自然体だった。

 だからこそ延寿は、もう戻れないのだと理解した。


「勝手なことを言っているのはきみだ」

「俺が? なんで? 俺はただ、汐音の願いを叶えようとしているだけだ」

「それのどこが、叶えているって言うんだ」


 沸々と抱いているこれは、怒りだろうか。

 あまりにも正しくないことばかり言う、親友へ対する怒りなのだろうか。それとも……どうしようもなく悲しいから、こうまで苛立ってくるのか。


「叶えてるだろ。俺は汐音の願いを叶えようとして、それが今から叶えられるんだぜ?」

「叶えてるとは言わない。辱めているんだ」

 

 感情を、動揺を抑え、延寿は努めて静かに言葉を紡ぐ。


「由正、お前さ、勝手な事ばっか言ってんじゃねえって言ってるだろ? ああクソ、話になんねえな。さっさと来いよガイド。そして汐音を殺してみろ殺人鬼。この子は今、生きてるんだぜ。殺せ、殺せよ早く、そうすれば願いが、望みが叶うんだッ……!」


 虚空に向かい笑みすら伴い言う親友の姿に、延寿は心の奥底から爆発的に込み上げてくる何かを見た。それが何かがよく分からない。怒りか悲しみか憤怒か激情か悲憤か悲愴か、あるいはそのすべてが混じった、ああこれは──「叶うわけが、あるか……!」嘆きだ。


「現実を見ろ冬真、その子は生きていない」


 語調が一層強まる。その子は生きていない。もう生きていない。現実を見ろ。吐き出す言葉の全てが鋭利で、通りすぎざまに自らの口をずたずたに切り裂いていく感触を、延寿は錯覚した。


「知っている。知らないのは殺人鬼だけだ」

「ああ知っているだろう。きみはその子が生きていないと知っている。だから現実を見ろと俺は言っている。見ていないんだよ、きみはその子の死を見ていない」

「……おかしなことを言うなあ、お前。十分、見た。見て、耐えられなくなったから目を逸らしただけだ」


 冬真の声に怒りが灯る。


「目を逸らしてはならない」


 目を逸らしてはならなかったのだ。

 その子が確かに死んでいるという事実から。

 たとえそのような可能性を見せられようと、見えてしまおうとも……思考にすら針が伸び、我が胸中を傷だらけにする。なぜ、なのだろうと考える余裕など、今あるわけがない。


「ハハッ……ホントに、勝手なことばかり言いやがるなあ、お前はさぁ……『逸らしてはならない』、『逸らしてはならない』かあ、他人事の、ご立派な戯言だわな。ハ────ッ!!」


 胎児を抱いたまま、冬真は延寿を睨みつける。

 笑んでいるように口の端を広げ、双眸には憎悪が燃えている。


「なら由正……! お前なら逸らさずにいられたっていうのか!? だとしたらお前はすげえよ! 好きな人が死んじまってその子が生きていられる可能性を捨てられるだなんてな! ああすげえ、すげえわやっぱお前はさ! 俺とは違う! お前は俺とは違う! お前みたいに理性で生きられる人間ばかりじゃねえんだ! お前みたいに強く在り続けられるヤツばっかじゃねえんだよ!」


 激高し、冬真は言葉をぶつけてくる。

 その叫びは異様な鋭さでもって延寿を斬りつけていった。


「どうしようもなくつらいんだ、どうやっても悲しいんだ、生きてほしかったんだよ……! 俺を助けるぐらいなら俺を見捨てて生きてほしかった! 俺が死ねば良かったんだ! でも、……汐音は優しいんだ。俺を助けてしまった。自分が死んでしまった……! そしたら目の前に可能性が降ってきた! ひょっとすると、って可能性がなぁ! じゃあどうするかって話だよ! 生きてほしい人が()()人間の前に、その人が生きていられる望みが、掴めるような願いが見えたら……!」

 

 親友の叫びを聞き。

 延寿の眉間の皺は深くなりゆく。

 割れんばかりに奥歯を噛み締める。

 その叫びが、なぜだか、とても、極度に、耐え難かった。


「掴むしか、ないだろうが!! 分かってんだよ俺だってな! これが都合の良い話だってことは。何も生み出さねえ全く不毛なのかもしれねえってことは! ああ知ってる! 全部知っている!! 知ったうえで分かった上で俺は……俺はッ……!」


 視線は胎児を見る。

 桐江汐音の詰まった胎児を睨みつける。

 親友は何処まで絶望した末に、想い人を辱めるような行為をしようと決意したのか。延寿には実感としては分からない。何も、分からない。分からない。


「それに縋ることのいったい……! なに、が! 悪いんだッ!! 正しい行いじゃねえか由正、俺が今しているのはさぁ! 願いを叶えたい行為のどこが間違ってるって言うんだよ! 汐音は世界の広さを知りたがっていた。知りたがっていたんだ! なら願ったりかなったりじゃねえか! 今のこの世界の広さどころじゃねえ、世界の壁なんて突き抜けた先の異世界で暮らせるなんてよ!」


 親友は捧げようとしている。

 殺人鬼へ、恋人を詰め合わせたナニカをだ。

 願いを叶える為に。夢を味わわせる為に。善意の賜物だ。そのどこにも悪意も敵意も存在しない。決断し、あとは行動するだけの表情で。絶望し、あとは沈み続けるだけの哭貌で。


「冬真…………お前、はッ……!!」


 それを正しきと誰が云う? いったい、誰が、言える。言えるものか。言おうものなら、誰であろうと許されたことじゃない。易く言うな。容易く正を請け負うな。親友の行動は間違っている。間違いなく間違っているのだ。誰もそれを是と言うな。彼の行為を肯定してくれるな。間違った道へ突き進もうとしているあいつの背中を押してくれるな。押すな。誰も。誰もだ! 無責任に背中を押し、あいつを崖の下に突き落とそうとするな!

 いや、これは……なんだ。この、この激情は……


「それが誤りだと、俺は言っているんだ!」

 

 いったい、誰へ向けての怒りだ?


「ガイドは殺すだけだ。そんな殺人鬼が誰かを救えるわけがないだろう! 人殺しが救える何者もいるわけがない! いるはずがない!!」


 救うなどと烏滸がましい。人殺しごときが誰かを救おうだなんて。

 それは正しい形ではない、救えたという達成感など、それは疑いようもなく……錯覚だ。


「その子の為に動くのはお前の役目だ! お前にしかできないことだ! そんな歪んだやり方ではなく、もっと良い方法が……!」


 叫び声は延寿自身のものだった。あまりにも感情的な怒声は、最後まで言葉を言い切ることができなかった。もっと良い方法。いったいそれはなんだ?


「俺の役目か……ハハッ」


 自嘲に口角を吊り上げ、冬真が言う。


「由正、俺だって知ってるんだぜ? 死人にしてやれる何も、俺にはないんだ。俺にしかできないことだからって、それが必ずできるわけじゃないんだよ……現に今がそうだろ?」

「ッ……!」


 何かを言わなければならない、と延寿は思った。冬真の言葉を否定するような何かを。

 何を言えようか、とも考えた。()()()()なのだ。冬真の言うことは正しく現実を見ている。死人にしてやれることはない。何をしようと一方通行で、相手に伝わるわけがない。

 

「俺には()()()のかもしれない……だが、もうできない。時間切れになっちまった。生きてりゃ絶対にガイドなんざ頼らなかったさ俺だってなあ……! 死んだから、頼らざるを得なくなったんだよ!!」


 だから『案内人』に任せる。少なくともそうする方が、可能性がある。選択としては正しく、延寿には一瞬でもそう見えてしまった。何も言い返せなくなってしまった。


『案内人』ならば望みを叶えられる可能性がある。


 その言葉の放つ正しき響きに、憎悪を感じた。


「冬真、お前は……」


 言い淀む自らに失望を覚えた。親友の背中を押せるわけがなく、親友の縋った正しき可能性を否定できるわけがない。何もできない。何も言えない。間違っている親友の行動を間違っていると否定したところで、だから何だ。今必要なのは行動の否定ではなく、真っ当に進めるように引き戻す言葉だ。何か言え。言うんだ。なんで黙っている。何で何も言えない。親友の縋りついた可能性が正しく見えたからか。()()()()()()()()と思ってしまったからか。


「……!」


 なぜ、言えない。噛み締めた奥歯がギリと鳴る音が、他人事のように延寿の耳朶に響いた。失望は深まるばかりだった。

 心理的な自衛のために、親友は彼女の詰まった胎児を造り上げた。

 それが手段だった。唐突な死を迎えた恋人を前にして、ソレを乗り越えようとした。『案内人』というものがあったばかりに、縋りつける〝もしも〟の可能性を与えられてしまったばかりに。『案内人』さえいなければ、他に乗り越える道が、真っ当で正しい道があったはずだ。それにひょっとすれば桐江汐音の死すら『案内人』の作為によるものかもしれない! ならなおさら『案内人』は不要だ、正しき現実の邪魔ものだ!!

 延寿の怒りの矛先は『案内人』へと明確に向けられ。

 まるでそれに呼応したかのように。ドン、という音が頭上でした。ドンドンドン、と何かが壁を蹴っている。建物と建物の間を蹴って跳び、人間業ではない所業により、延寿の背後に何かが着地した。


「おお……! やっと来てくれたじゃねえか!!」


 冬真の歓声は、延寿の背後を見ていた。

 延寿が振り返ると、そこには。


「ガイド……!」


 延寿の瞳に一層の憤怒が燃え上がる。

 なんともタイミング良く現われてくれたものだ。呼んでおらず望んでもいないのに。

 怒りが恐怖を凌駕し、延寿は『案内人』を感情のままに睨みつける。止めるか、今ここで。呆気なく殺されようとも。それが。


「さあやってくれよガイド、一思いにさっ」


 冬真が叫び、胎児を差し出す。

 目深にかぶったフードのもと、延寿は『案内人』の嗤い声を聴いた。

 止めるべきだ、と延寿は即断し、即座に行動に移そうと『案内人』に掴みかかろうとし。 


「っ!?」


 からぶった。するりと抜けられてしまった。

 直線上を『案内人』は駆け往き、その勢いのまま。


「────!!」


 なんとも、あっけなく。

 胎児を真っ二つに両断し。

 親友を斜めに断っていった。


「……ッ!!」


 その瞬間は、延寿の目に焼き付いた。

 割れた胎児から零れ落ちる臓物を。

 顔を斜めに断たれてどろりとまろび出る脳を。

 辱められた死人は殺され、辱めた当人もまた殺され。

 すべては、全てはアイツのセイで────「ガイド!!」


『案内人』は延寿に目もくれず、建物の壁を蹴り駆け上がりゆく。


「お前さえ……!! いなければ────!!」


『案内人』へ向けた延寿の叫びには、強い強い憎悪が込められていた。延寿自身すら何を口にしているか意識が追い付かない怒声が、自らの心の内から出され続けた。


「はあ、はあっ……!」


 叫びを終えると息も切れ切れに、延寿は雨に打たれたまま立ち尽くした。

 事件性を察した沙花縞伊織が警察を呼んで連れてくるまでの間、ずっと天を仰ぎ、勢いを増した荒い雨粒に打たれ続けていた。落ちる水粒が止むまでに、今までにない時間を要した。



 Here you are──end.

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