夕暮レ、分カレ
『案内人』の姿はない。
天を控えめに傾けたような雨脚の中、冬真と汐音は横断歩道の信号待ちをしていた。
月ヶ峰電波塔の展望台で現われた『案内人』は、あれきり姿を見せなかった。その後は警察と愉快ではない会話を行い、解放されたあとにはもう雨が本格的に降り出しどしゃぶりだった。雨が治まるまではとデパートで雨宿りをし、ついでに傘も各自で新たに購入し、『案内人』のショックから目を背けるかのように明るく振舞う花蓮の提案により買い物となり、現在に至る。
「もう、出てこないだろ」
雨に鳴らされる傘の音色を聞きつつ、冬真は言う。
傘を持っていない方の手には店名のロゴの入った大きな買い物袋が複数あった。買い物の途中で『読鳥ん』の件を花蓮にバラされ、流れのままに裁縫道具一式と生地を大量に買ったその結果プラスの、服やら何やらを購入した末だった。
「延寿さんも花蓮さんも、大丈夫でしょうか」
延寿と花蓮とは月ヶ峰駅の駅前広場で別れた。
お互いに無事に帰れたら『NEST』でメッセージを入れようとの運びとなっていた。
信号が黄色から赤へと変わった。
もうすぐ横断歩道の信号が青になる。
殺人鬼の姿はどこにもない。
青へと変わった。
「渡ろうか」
冬真がそう言った瞬間。
ピカ────と。閃光が駆け抜け刹那に世界が白く染まり、同時に耳をつんざくような轟音。雨天の霹靂に冬真と汐音はびくりと身体を震わせた。
「か、雷でしょうか」
「……だな。かなり近かったぞ今の」
二人は横断歩道を渡り出す。右側の車道では車が行き交っている。
渡り切り、そのまま歩道を歩み続ける。『案内人』の姿はどこにもない。
雨ということもあり、街は暗く、車はヘッドライトを点けていた。
背後から来るヘッドライトの光に次々と追い越されていく。
路上の水たまり光が反射し眩い景色を描いていた。
ピカリと再び閃光が走り、数秒後に轟音が響いた。
「ずいぶんと天はお怒りだな」
そんな冬真の軽口に、汐音がくすくすと笑みを見せた。『案内人』の出現や警察など、色々とあったものの、慌てふためいた一日の終わりはなんとも和やかなものだ。光が次々と過ぎていく。
光がまたもや過ぎゆく。傘を打つ雨音が強まり、意識しなければ汐音の声が聞こえづらくなってきていた。
再び、交差点にやってきた。ここを渡り、途中の道を逸れれば汐音の家の前の通りに出る。
歩行者用の横断歩道は赤色で、二人は信号が変わるのを待っている。目の前で多くの車がヘッドライトを点けて行き交っている。軽自動車に普通自動車、トラックにタンクローリー。
「次、いつごろにしようか」
地面を打ち付ける土砂降りの雨音の中、冬真が言う。傘の下の彼は汐音から目を逸らしていた。ただ、気恥ずかしかった。
「いつでもいいですよ。冬真さんの時間に合わせてください」
「そうかぁ……どうすっかな。いやさ、俺は明日でも良いと、思ってるんだ」
明日は日曜日だった。「汐音も疲れているだろうから、そのさ、疲れてたら本当に遠慮とかいらないからな? どんどん言ってほしい」
「はい。それじゃあどんどん言いますね。あともう一つの言葉の方にも……明日、行きましょう」
冬真が微かに視線を汐音に向ける。向けられた笑顔に、照れが爆発しかけた。耐えた。
「ちょっと遠めに、真昼ヶ丘市に行ってみるか。なんにもねえけど」
「はい。それならなんにもない、を見に行きましょう」
「……ああ。そうだな。ははっ」
冬真は笑い、目を瞑り、開けて前方を見る。歩行者用の信号はまだ赤色だった。
「少しずつ、遠くしていこう。いきなり遠くに行こうとしたら、きっと脳がびっくりしちまうだろうし」
「……たのしみ、です」
汐音の言葉。本心からなのだと、冬真は直感的に分かった。
「冬真さんは、どうですか」
黙っている冬真を不安に思ったのだろう問いかけに、
「……楽しみに、決まっているだろ」
恥ずかしすぎて、口が苦笑を形作った。けれども本心だ。紛れもなく、紛うことなく。
信号が青になった。二人だけの歩行者は、横断歩道を渡り始めた。
「あの、冬真さん」
三分の一ほど横断歩道を進んだところで、改まって汐音が言う。
冬真は前を見たまま、「どうした」と聞く。
「今日は、ありがとうござ……」
礼を言うために、右側にいる冬真を、汐音は見つめた。
そして、一生懸命言おうとして汐音が頭の中で文面を考えていたお礼の言葉の最中に。
「あ……!!」
冬真の顔を見つめる汐音の視界の右端に光が映った。
ヘッドライトの二つの光と巨大な鉄の塊の影が。
明らかにこちらを向いている二つの光が。
「────冬真さん!!」
金切り声がして、冬真は自分を突き飛ばす衝撃を覚えた。
彼女の華奢な腕からは考えられない程の力で思い切り押され、冬真は横断歩道の上でよろめいて、危うく車道に出るところだった。
なぜこんなことを、などとは聞くまでもなかった。
「汐音────?」
聞いたところで、返事はもう二度と返ってこなかった。
よろめいた冬真の眼前を。
薄闇に包まれた雨降りの中。
巨大な塊が鼻先をかすめて。
「……!! 汐音ッ!!」
目の前にいた彼女を、どこかへと連れ去って行った。
轟音がした。トラックが視界の向こうで対向車を押しのけ向かいの建物にぶつかり止まっていた。
冬真は傘も買い物袋も放り投げ辺りを見回す。
周囲はヘッドライトと街灯に照らされた影絵になり、惨事の様相を呈していた。その中で汐音の姿を探す。必死に、息を荒くし、心臓をドクドクと強く鼓動させて。
どうなっていたか、は薄々分かりつつも、それでもわずかな可能性を希求していた。
恋人の姿を探す冬真の視界は、地面にそれらしきものを見つけた。どうなっていたか、は覚悟していた。だが、どんな姿か、までは考えていなかった。
「…………ッ、あ、あ……!」
恋に落ちた彼女が今、たくさん目の前に落ちていた。
桐江汐音はトラックに撥ねられて全身を強く打っていた。




