展望台から臨む
延寿にとってその景色は平凡としか映らなかった。
よく見る街並みを上から見下ろしていて、多少なりとも遠くの街の広がりまで見えるだけの、無感動な光景だった。月ヶ峰電波塔の展望台に入るのも一度目ではない、というのもあった。かといって一度目は遠い記憶に朧ではあるのだが。
「……」
しかし延寿にとってそうであっても、今の主役は延寿ではない。延寿自身もそれを把握しているが為の、現在の無言だった。
「……!」
延寿の目の前には、食い入るように世界を眺める一人の少女がいた。
初めて見る景色で。
待望していた光景で。
願い続けた夢の第一歩。
そこから生じる感動を延寿は想像でしか補えない。実感としては得られない。そしてそんな少女の感動に共感し頷くべきは親友であり、それが正しいことなのだと思っている。
スポットライトが当たっているのは、目の前にいる少女であり、少女の隣に立つ親友である。汐音であり、冬真である。今この瞬間に置いて、自分は間違いなく端役なのだ。
遠く見える山々の稜線から上には蒼穹が広がっている。泳ぐ雲の姿は皆無だ。真昼ヶ丘の街並みが微かに見えており、そこから月ヶ峰まで延びる線路がちらちらと見えていた。月ヶ峰の中心地に林立するビルがちらほらと展望台のある高さ付近まで延びている。天上からと云うには低く、地上からそれなりに高いだけの、そのような場所だった。
「すごいです……」
少女が吐露しているのは、本心からの感動だった。
「すごい……のか」
傍らでいっしょに眺める冬真が、笑みとともにそう言った。
「はい……!」
「それならもっと高いところから見てしまったら、もっとすごいってワケか」
「はい、きっともっとすごいですっ」
汐音は感動していた。
本当に、心底の──喜びだった。
見慣れた者ならば〝その程度〟で終わるような光景であっても、籠の中に居続けた彼女の眼には新しく、偉大で、心を打つものだった。その姿に冬真もまた、心を震わせていた。しきりに瞬きをし、余所を向いて目をこすっていたりもしている。喜んでいる少女の姿に、色々な感情が込み上がってきたためだった。安堵、共感、微かな憐憫、希望、期待、歓喜、感動……。
「予定、立てようか」
「は、はいっ、是非とも……」
将来が保証された者達の会話。
それは二人の物語となるべきだろう、延寿はそれ以上の介入を遠慮し、ガラス張りの展望台の別方角から世界を臨んでいた。ビル、ビル、道路、街路樹、歩行者、ビル、病院、奥に山、公園、青空……延寿の歩んできた過去は、その景色から感動を拭い去っていた。
「とーまのやつ、涙もろいんだからなー、もう。汐音ちゃんもあんなに喜んじゃって。あとでツーショット撮ってやろーっと」
ふふ、と慈母のように微笑みつつ、延寿の傍に並び目の前に広がる景色に目をやる。彼女もまた、延寿と同様に今は二人を二人のままにさせようという遠慮を見せた。
「デートの一回目としては、大成功なんじゃない?」
「今の時点でか」
「うん。そーけいじゃないと思うんだなあ、あたし。あの二人はお似合いだよ、すっごくお似合い。とーまは守るべき人がいてこそ輝く男なんだなーって分かったねえ」
「あの男なら頑張るだろうな」
延寿の言葉に、花蓮はうんうんと頷いた。「万が一頑張れなくなったときはあたしらが後ろから蹴り飛ばしてやればいいの。うじうじ悩むな躊躇するなさっさと行ってこいって!」
「ああ。それが正しい、友人の姿だ」
今日は良き日だ、と延寿は漠然と考えた。そう考えたのは初めてなのではないか、とも考えた。朝から現時点まで、なにもおかしなことは起きていない。平和そのものの一日だ。
「あ、見て見てよっちん!」
延寿の腕を掴み、花蓮がガラス張りの向こうを指さす。
「真っ白な鳩が飛んでるよっ」
特に珍しくもない光景なのに、花蓮にとってはとてつもなく嬉しいのか、心から楽しそうに笑っていた。
それにつられて延寿の目も細められた。平和の象徴が一生懸命羽ばたいている姿に、平時では考えられないことに微笑ましさすら覚えた。
やはり。
そう、今日は良き日に違いない────。