でーと日和
「あー……話せば長くなる」
「えー長いのー? ならいいかなー」
「待て。聞け。そんなに長くねえから」
話を切り上げようとする花蓮を手で制し、冬真はそっと傍らの汐音を一瞥すると、「別に、話してもいいよな」と聞く。「はい……」淑やかに慎ましく、汐音は頷いた。
「……う、初々しい」
花蓮の口から自然と、そのような感想が転び出た。
「やばいよ、よっちん。純真カップルがいるよ、微笑ましいよ、どうしよ」
延寿に寄り添い、口元に手を当て花蓮がにやついた。
「どうもしないでいいだろう」
延寿の答えはそれだけだった。微笑ましいという点では同意だった。
親友の恋は何事もなく結実し、彼らのそれからの日々の第一歩である今日が晴れていて良かった、とそう何となく思っていた。旅の始まりを晴天で迎えるのは、正しいように思えた。天は彼らを祝福している。この奥行きある青空が何よりの証拠だ。
今日と言う日の空は、曇ってなど、いない。
天気予報も現に、今日の降水確率を低く見ていた。梅雨晴れだとさも喜ばしいことだとばかりに気象予報士が言っていた。
「いや実は俺……汐音の親御さんと少し、言い争いになってしまってさ」
「言い争いって……何言ったの、とーま」
冬真がロクでもないことを言ったのだと判断したのだろう、花蓮は目を細めた。
「ち、違うんです。冬真さんはっ……」
すると慌てたように弁解するのは、当の冬真ではなかった。
「汐音ちゃん……?」
「お父さんとお母さんが、やっぱり今日はダメだって、認めてくれなかったんです。最初は渋りながらもオッケーを出してくれたのに。だから私、行けなくて……それで冬真さんとは家を出た後で会う予定だったんですけど、お父さんとお母さんがどうしてもだめだって言ってて……」
困ったように汐音が冬真を見、冬真が自嘲するようにふん、と鼻で笑い、
「当然のことじゃあ、あるんだ。大切な一人娘が、殺人鬼の被害が出ている街へ遊びに出かけるってんだからな。汐音のお父さんとお母さんの心配は当然だ。そして汐音から連絡を受けてやって来た一人の見たこともない胡散臭い男に警戒するのも、だから当然のことだったんだ」
親の心配は最もだ。心の内で延寿は同意した。
殺人鬼のいる街に娘を行かせない、桐江汐音の親の懸念は正しい。では、ならば……今の自分達の行為は正しいことではないのだろうか……親友の手伝いをするのもまた、延寿にとっては正しいことだった。摩擦が起こっている。だが、正しさは現に実行できている。延寿はそのように自らを納得させた。
「まーねー……今まで男の子の影が無かった子にいきなりボーイフレンドが現われるんだもの。そりゃ、びっくりするよ」
慰めるような声色で花蓮が言い、「それでそれで? 汐音ちゃん、とーまはどんなこっぱずかしいお台詞を吐いてあなたのパパンとママンを納得させたの?」むふふ笑い。
そのときを思い出したのだろう、汐音の顔が紅潮した。
冬真は苦笑し、そんな汐音を一瞥すると、再びの苦笑いで額に貼っている絆創膏に軽く触れた。そして目を瞑り、開いた。
開いた冬真の瞳の中に、ひとつの確然とした意志を延寿は見た。覚悟したのだ。この親友は、好きな人に対する何かを。
「必ず連れて帰ってきます、とまず約束した」
冬真は言う。
「汐音が見たいのは、広い世界だ。窓の外に望んでいた世界の広がりだ。だから俺はそれを見てもらいたく思った。これからの時間をかけて、だ。本心だ。俺はその本心を、汐音の両親に伝えた。俺のプライドなんてどうでもよかった。汐音の願いを知ってもらい、それを叶えたいと思う俺の決意を知ってほしかった──俺は汐音が好きだとも伝えた。言ってしまえば一目惚れだが、その好きが今後もっと強まることも宣言した。好きな人の望みを叶えたい、そして……頭を、思い切り、な」
額の絆創膏の理由に、延寿は思い当たった。
それは花蓮も一緒だったのだろう、
「まさかとーま」
思い浮かべた予想は、そして当たってもいたのだろう。
冬真は頷くと、
「俺の誠意と決意を分かってもらうために、土下座した。勢い余って怪我しちまって、なんか、戸惑わせてしまったけどよ……ああ、我ながらかっこわりいなあ、落ち着いてみると重いこと言ってしまったし……はは、肝心なところで締まらねえんだ……」
恥ずかしいのか、冬真が視線を伏せて笑う。
「い、いいえ、かっこよかった、です」
汐音が顔を赤らめつつも、断言する。
虚を衝かれたのか冬真は目を丸くし、言葉の意味を理解したのか頬が赤らんだ。
「それに私、冬真さんの言葉、ほんと、うれしく……て……」
言葉を続け、感極まったのか、汐音の表情が崩れる。
「お……おいおい。泣くほどじゃないだろ、汐音」
戸惑う冬真を余所に、すかさず花蓮がハンカチを取り出してその涙をぬぐった。涙を流す汐音を優しく見つめ、「とーま、女の子を泣かせちゃだめじゃん」そう、おろおろとする冬真へと微笑みかけた。
「お、俺のせいなのかっ」
冬真が困惑し、延寿を見る。
延寿は頷き、「きみのせいだ」と微かに口端に笑みを含んで答えた。「きみは彼女が泣くほどのことを言った」
冬真の本心の吐露と決意の明示に、彼女は心を打たれたのだ。
空を飛ぶ鳥を羨んだ少女の願いを叶えると頷き、停滞する少女のその手を力強く引いて、外へと連れ出した。
無限の憧れを見た世界へ、広がりのある外界へ──一人の少女にとってその行為がどれほどの救いになろうかだなんて、きっとこの親友は考えもしなかったのだろう。
勢いと衝動で動き、それが好きな人にとっての最適解となったのだ。理屈なき直感の行動がカチリと綺麗にハマるような関係性、それを運命の相手と呼ばずして何と呼ぼう。親友は運命の相手と出会い、その相手もまた運命の相手と出会えた。それを本心から祝わずにいるのは、親友として正しくない。そして延寿は、正しさの人間だ。やはり今進んでいるのは、正しきことなのだ。
「きみには責任がある。今日、確実に彼女を家まで連れ帰るという責任が」
「あーあー、言われなくとも分かってるって」
照れくさそうに髪をかき、冬真は涙の止まった汐音のもとへと近寄り、
「歩けそうか」
手を差し出す。優しい声色だった。
汐音は頷き、そっとその手を握る。
「恋は女を綺麗にさせる、というけど……男の場合は、どうなんだろね」
微笑ましげに傍に寄ってきた花蓮に、
「成長させるのは確かだ」
延寿はそう答えた。
二人の視線は、親友とその恋人へと向けられていた。




