新シイ部室
「ここだよ」
椿姫に案内されたところは、第二校舎のちょうど真北にある建物だった。いずれの校舎棟からも繋がっていないため、昇降口を通り下履きに履き替え、上履きを持ってこなければならなかった。
「文化棟です、ね……」
「そう。文化棟だ。オカミス研究同好会は、いや──オカミス研究部は古巣へと戻ってこられたのだ。在りし日にオカルト研究部とミステリ部が根城とし、互いにライバル視しつつ切磋琢磨していたこの場所へとな」
花蓮の言葉に答える椿姫の声は高揚していた。
「手芸部が潰れたんですか」
延寿が言う。昨日に冬真がぽろっとこぼしていたことだ。
「そうだ。手芸部が部員不足により、臨時の会長により潰された。生徒会も今めちゃくちゃ忙しいだろうによくやると思うよ。まあ私たちにとっては良いニュースではあるのだがな。手芸部が潰れたのならば当然、空き部屋が出る。そこに部へとランクアップしたオカミス研究会が割り当てられた、というよりも私が押し込んだ、部員も三人いるしな──そういう次第だよ」
「現会長が、手芸部を……」
「ああ。なんにせよ私は涯渡にそのうち部室をもらうつもりだったのだが……まあ、そういうわけにもいかなくなってしまったところに、このような事態だ。複雑な気分なのは否めないよ」
一瞬だけ、椿姫の横顔に寂しさが現われた。
だがすぐに元の堂々とした、この世に敵などいないといったふうに自信満々な表情へと戻ると、
「では入ろうか。私たちの新しい活動拠点へと」
ちなみに場所は二階だ、と椿姫は言い足した。
室内に設けられた階段を四人は上り、左右に設置された扉の間を進む。
その部屋の前には既に、お手製であろう『オカミス研究部』と筆書きされた貼り紙がされていた。達筆だった。「ここだよ」椿姫が言う。なんとも嬉しげに口を綻ばせ、一足お先と引き戸の扉を開いた。
そこは、普段の教室を半分にカットしたような部屋だった。
部屋の中央には四セットの机と椅子が向かい合わせに雑に並べられており、奥には雨打つ街並みが見える窓。壁際には何も入っていない空っぽの棚。ところどころに布切れや毛糸などの痕跡。室内にあるものといえば、それだけ。
「さあ、感想を述べる機会をやろう」
椿姫が延寿たちをふり返り、促す。クールな表情の奥にはわくわくとした無邪気な期待があった。
「えーっと……綺麗な部屋ですね。なんというか、これからだぞ、という感じの……」
「夜逃げした後みたいだ」
「ちょ、よっちん、もっとオブラートに包んでっ」
騒々しい有様だった。
前の持ち主がせかせかと私物を搔き集めて出て行ったかのような、そんな状態。あわあわとしている花蓮と黒郷と、見たままの感想を述べた延寿を椿姫は見渡し、「確かにな」笑った。
「ここを拠点としてから最初の活動は掃除となるが……それは明日で良いだろう。目下のところは、だ。鷲巣、お前と由正と黒郷が話す筈の話題を話せ」
ちょうど椅子も四つある、と椿姫は窓側の椅子を引き、座った。
「私の存在を疎ましく思うのならそう言ってくれ。そのときは、私は先にこの部屋を出よう」
邪魔なら消える、と椿姫。三人よりも年上である獅子舘先輩は鷹揚な笑みを表面的に示しつつそう言った。
言えるわけないでしょ、と花蓮は思った。
言えるわけありません、と黒郷は思った。
「今はそうではありません。疎ましくなるようなら、そのときは言います」
延寿が淡々と言い、椿姫の斜め前に座る。
「そうかっ。それなら気を付けよう。締め出されないように変な口出しはしない。私は好奇心のままに、ただ聞きたいだけなのだからな」
椿姫は上機嫌である。
よっちんのそういうところすごいと思うよ、という呆れと感心を視線で延寿に向けつつ、花蓮は延寿の前、椿姫の隣に座った。最後に黒郷がおどおどと椿姫の真正面、延寿の隣に座った。椿姫の視線を受け、延寿の無言を受け、なんとも居心地が悪そうに視線を泳がせている。
にこにこと笑みを浮かべつつも、椿姫は黙っていた。言葉通り、邪魔にならないように気を付けているようだった。
「あー……それでね、もさ……もさみん」
まず、花蓮が切り出した。
「い、言い直すならきちんと言い直してくださいよう……」
もさみんに軽く窘められて、「めんご」と花蓮はひとこと言い、「あさみんは」と続ける。
「桐江汐音さん、って知ってる?」
「あ、はい。知ってますよ」
「病弱な子なんでしょ?」
「はい。アタシ同じクラスなんですけど、あんまり話したことはないんですけど……授業も休みがちで、あまり見たことはないです」
「かわいい子? 綺麗な子?」
「え、え……えと、綺麗な子、だと思います」
「その子ってさ、恋人、いそう?」
「こいびとぉ……わぁ……わ、分かりません……なんで花蓮さんはそんなことを……ま、まさか桐江さんがっ」
「そーそー。あさみんの予想は大正解。とーまって言う二年の男子がね、その子が気になるみたいなの。なかなかのイケメンだよー?」
ほお、と椿姫が関心を示した。
「そんでねあさみん、もしその子が学校来たら、こっそりとでいいからこれを渡しといて欲しいんだ」
そう言って花蓮がポケットから取り出したのは、四つ折りにされた一枚の紙だった。
「ここにとーまから汐音ちゃんへの愛が綴られているから」
「恋文か……!」椿姫が強い関心を示した。
「あさみんの口から言うのはまあ言いづらいことだろうし、とーまに書かせて持ってこさせた。因みに内容は見てない。とーまが見るなって言った。誰にも見せるな、とのことっ。あさみんも見ちゃダメよ?」
「み、見ませんよう」
そしてくるりと花蓮は延寿の方を向き、
「よっちんは見たい?」
と言った。
「見ない。冬真が見るなと言ったのだろう? なら誰にも見せてはならないものだ」
「あはは。そだね。あたしも見るつもりはないよ。とーまのやつ、一生懸命書いたんだろうし、あたしもそんな他人の一生懸命を笑うような真似はぜったいにしたくないし」
「私も見ないぞ」見たそうな様子で椿姫は言った。
「やれそう?」
「そのぐらいは、だ、大丈夫……だと、思いたいです」
「うんうん。その意気だよあさみん、それじゃあ、よろしくー」
四つ折りの手紙を花蓮から受け取ると、黒郷はそれをポケットに収めた。
「用件は終わったようだな。先に聞いておくが、今の会話は秘匿すべき事柄だろう?」
内緒話か、という椿姫に対し、「はい。そこのところ、お願いします」と花蓮は答えた。もちろんだ、と椿姫は頷く。彼女の口の堅さは信頼できるものだと、延寿は知っていた。だから何も問題はない、とも。
「青春だな。結実することを私も祈っておくよ」
そう言うと椿姫は立ち上がり、鞄を持った。
彼女につられるように延寿たちも立ち上がり、各々に帰り支度を行う。
「さてさて、この恋は成就するのかなー。とりあえずの人事は尽くした、あとは天命を待つべしべしっと」
花蓮はそう言うとぐ、と伸びをした。
「実ると良いがな」
延寿はそのように答えた。
そうですね、と黒郷が追随する。
冬真と汐音が恋人となれることを延寿が願っているのは本心である。それはそれとして、そんな風にして実った後の一組のカップルがもしも不純と頭につくような恋人同士の関係にまで踏み込もうならば風紀的な指導に彼は入るだろう。それもまた、延寿と言う人間の持つ正しさだった。彼に先ず在るのは、正しさ、ソレである。
幸せを確かに願いつつ、規則の領域外へ出ようものならたった今自らが願った幸せをすら壊す行いをする。延寿由正とはやはり、正しさに呪われている。
「帰宅の時間だ」
椿姫の短い言葉で、今日の活動は終わった。