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5374C5H5N5よしマリ

 ヒトゴロシと影で呼ばれている少年がいました。

 ヒトゴロシだ、あいつはヒトゴロシだ、と皆がみんな囁くのです。でも、みんな表立っては言いません。怖いから、言えません。みんなとはみんなのことです。少なくとも私を除いた、私以外を総称した『みんな』が、その少年をヒトゴロシだと恐れていました。

 その子は、暴力的なわけではありません。誰かに暴力を振るったという話も聞きませんでした。でも、ヒトゴロシです。なんでも、過去に人を殺しているのだそうです。けれども少年法とやらに守られたから、こうやって〝人を殺したことがなく陰口を叩くだけの善良な『みんな』〟と同じくして学校に通い、生活ができているのだそうです。『みんな』が、そう言っていました。


 ヒトゴロシの少年との明確な接点ができた瞬間を、私は憶えています。

 その瞬間とは、私がとある公園内の茂みで猫の生首と目が合った数分後でした。

 

 ……まずは、その頃の月ヶ峰市について話さなければなりませんね。

 その頃の私が住む月ヶ峰という街中では、よく動物が殺されていました。野良猫や、飼い犬、飼い猫、小鳥……様々な動物の死体が発見されていました。首を絞めたとか、刃物で刺しただとか、鈍器で殴打したんだとか、何か毒物でも飲ませたのだとか、その殺害方法に関しては多岐にわたる噂が流れていました。誰々さんの家の犬がやられた、街の防犯カメラに誰々さんちの息子が映っていた、いや娘と訊いたぞ、と、そんな根も葉もない噂が人の口を伝って広まっていたのです。

 

 私は中学生でした。中学二年生の、夏のことです。

 友達とプールに行っての帰り道、夕暮れでした。

 分岐路で友達と別れた私は、公園の前を通りがかった時におかしな赤色を見たとまず感じました。園内の茂みに、何かがあるように見えました。だから、近づいた。近づいてよくよく見ると、それは血濡れの草の上に置かれた猫の生首で、濁った瞳が恨めしそうに私を睨みつけていました。


「っ……!?」


 声が出なかった。驚きと、怖さで。

 数歩後じさって、へなへなと尻もちをついてしまいました。 

 そのまま動けずにいると、ざりざりと、公園の砂を踏み歩いて近寄ってくる誰かの足音が聞こえました。誰か来たんだ、という安堵で振り返った私は、心臓が止まりました。 

 

「お前がやったのか」


 件の、ヒトゴロシの少年だったのです。同じクラスだから分かります。背が高くて、冷たい目をしていて、一切笑わない少年です。

 険しい瞳で私を睨みつけていて、私は身動きできませんでした。ただただ怖かった。怨念のこもった猫の死体と鋭利な少年の視線に挟まれ、私の頭は大混乱です。たぶん涙出てました。あんまりにも何もできなくて。


「……いや、そんなわけがないか。疑ってすまない」


 その少年は、男の子は、相変わらずの仏頂面で、律儀にもそう頭を下げました。


「腰が抜けているんだな」


 そして私に近寄り、屈み、「手を貸すよ」と手を握られました。いきなり手を握るのはいくらなんでも強引だと思います。

 ヒトゴロシだろうと、体温は温かいものでした。『みんな』はきっと信じてはくれないでしょうけど。ヒトゴロシには血が流れておらず、その肌はスチール製だとでも確信しているみたいに機械的で冷酷なんだと口々に言っていましたから。……違うのなら、彼も言い返せばよかったのに。

 

「なんでこんなところにいるんですか」


 助け起こされ、私はまずそう訊ねました。


「動物殺しの犯人捜し」


 淡々と、男の子はそう返すと、「さっさと帰った方がいい。動物を殺すような人間はやがて人を殺し始めるから」そんなふうに吐き捨てて、その場を去って行きました。ぽつんと私は取り残されて、数秒後に我に返り、そそくさと家へと返りました。

 それから、私はたまに街中でその男の子を見かけました。

 動物殺しの犯人捜し、をしている彼と。なぜ犯人を捜すのでしょうか。正義感? それとも彼が動物殺しの犯人なのでしょうか。私はどちらも信じ、どちらも信じずに、彼と接しました。淡々とあしらわれること多々でしたが、ある日私はその男の子が女の子の胸倉を掴んで……………………………………………………中学生の頃、偶然街中で会っていたその男の子は〝らしさ〟というのがまるでない少年でした。少年らしさ、というものです。快活さというか、あの年頃の男の子が醸し出すあの晴々しい鬱陶しさや性を過剰に意識し始めた頃特有の照れ臭さみたいなのがありませんでした。同年代の子たちに比べて……失礼な言い方をあえてしますが、明らかに感情に不具があったのです。生まれながらなのか、なにかとんでもないトラウマがあったりとか……人でも殺してしまったのでしょうか。もちろんこれは冗談ですが。

 まあそういうような男の子と、私はたびたび会っていたわけです。


 それは、その日についてもそうでした。

 月ヶ峰はその頃からうんざりするほどビルが建ち並んでいて、合間合間に猫のひたいほどしかない申し訳程度の広さの公園があって、その日の私はその中の一つの公園の敷地内にいました。

 梅雨の半ばの、一時的な晴れ間がある日でした。

 じめじめと湿って不愉快な暑さの大気にまとわりつかれて、私はベンチにちんまりと座り、落ち着かない気分でいました。


 なぜ私が落ち着かない気分だったのか、お分かりでしょうか?


 ヒントをあげましょう。もしもあなたに、微かに気になる相手がいたとします。視界にいたら真っ先に発見し、声が聞こえたら瞬時に誰か特定できるほどには気になっている相手です。といってもその男の子、ほんっとに喋んないんですけどね! こほんっ……続けます。その相手はほとんどの場合に友達といっしょにいて(男の子か、女の子。それかその両方か、です)、あんまり話すことはありません。でもたまたま二人きりで、隣に座っていっしょにアイスキャンディーを食べる羽目になっていたとしたら……あなたはどうなりますか? そわそわと髪をいじったり、横目でちらと見てみたり、そうはなりませんか? 個人差はあるかもしれませんが、少なくとも私はなりました。なっていました。その頃の私のお小遣いでも容易に買えるお値段のラムネ味のアイスキャンディーを食べることに、そんなに好きでもないのにそれだけに意識を集中させていました。

 不可解でした。私が、私自身を不思議に思っていました。

 私はこの男の子のことを、そんなに好きでもないはずなのです。むしろ忌避しているほうです。彼の乾いていて薄暗く光る眼は……どこか、怖かったですし。


「……あの」

「……」


 沈黙に耐え切れずに発した私の言葉は、ものの見事にシカトされました。

 シカトされた上に、……………………………………………………その子は公園の何もないところをボーっと見つめた後、……………………………………………………ゆっくりとアイスキャンディーをかじったのです。私との会話よりもアイスキャンディーの冷えた甘さを優先したというわけです。私はアイスキャンディーに負けました。むかっとします。むかっとしました! 


「……どうした?」


 むかっとしていたら時間差で返事がきました。


「い、いえ、変なこと、聞いていいですか」

「ああ、うん」


 取り繕うという行為を、その頃から私は得意でした。

 波風立たせず、ことを荒立てず、穏便に、平和に流していく。興味も関心も湧かず、自分の現状にも満足して諦観していた私の、無関心の優しさでした。なのに気になる、無関心ではいられない、不可解です。不可解すぎて、不愉快でした。

 

「生きているの、楽しいですか……?」


 聞かれた側としては、『は?』でしょうね。よく知りもしない女の子からいきなり『生きているの楽しい?』とか言われたら余計なお世話だばかくそはげっ、となります。今の私も余計なお世話だばかくそはげっと思われているのでしょうか……そう考えると、聞かなければ良かったと思います。でも、聞かずにはいられなかった。


「……」


 視線を合わせたままではいられませんでした。

 とても、とても暗い眼が、私を見据えていたものだから。怒らせてしまった、と思いました。ばかくそはげっ、なんてものじゃありません。ばかくそはげっ死ね(真顔)、ほどはありました。


「す、すみません……」

「謝らなくていい」


 冷たく単調な否定です。本当に怒らせてしまった。


「好奇心から、だとは分かっている」


 その男の子は淡々と言います。「謝るのだって、それは怒らせた相手に行う。怒っていない相手に謝罪は要らない」やっぱり怒ってる。やってしまった、と思って私……何も、取り繕えなくなっていて、

 

「……」

「……」


 沈黙、です。お互いに言葉がなく、重苦しい空気。空から大岩でも降ってきて私をぺちゃんこに潰してくれないでしょうか、どうか……………………………………………………


「…………よく、言われたんだ。怒っていないのに、俺は怒っているように見えるらしい。きみは表情が硬いんだ、と」


 ぽつりと独り言みたいに、けれどやはり淡々とした調子で男の子は言います。その視線はやっぱり、公園の何もない一角を見つめたまま……………………………………………………


「怒っていないのは本当だよ。そこの部分で嘘はつかない」


 律儀だ、と私、思いました。


「きみの質問に、答える」

「は、はい……」


 ……………………………………………………すると、するとです。

 彼は視線を私へ向けて、目を細めて……本当に、ほん、とうに、


「なにも、楽しくないよ」


 何もかもを手放そうとしていて、

 手に入るはずの全部を諦めている人は、

 こんなふうに、静かに、温かく……空虚に、笑うのでしょうか。


「……い、え」


 また、男の子は無言で何もない一角を見つめます。

 もしかすれば、そこに彼にしか見えない何かがあるみたいに。

 心を奪われた様子で、それ以外の何も見えなくなったかのように。


「なんで、そんな……」


 私はずっと退屈でした。

 どんな人間も、どんな空想も、面白みがなく映りました。なのに愛想よく受け答え、まるでさも相手に私が価値を抱いているかのように笑い、それで相手は満足するのです。それでやってこれました。そうして私はやってきたのです。


「なま、え」

「……名前?」

「は、はい……名前、聞いてもいいですか」


 この男の子といっしょなら、その退屈もなくなるのではないか、と微かに思ったのは事実です。興味が湧いた、んです。あんな笑みを浮かべるまでになった理由を、知りたくなった。

 でもそのためにはどうしたらいいのか、私には分かりませんでした。


「延寿──」……………………………………………………いえいえいえ。知っていました知っていました。今ではないのです。名乗り合ったのは。もっと最初に名乗りあって、お互いに名を知っていました。何かが混ざってしまいました。なぜ混ざったのでしょうか。混ざってしまったのでしょうか? あれ、あの男の子の名前はなんでしたっけ? ともかくとにかく私はその男の子に惹かれていましたその笑みの理由が気になっていました。私はずっとそのヒトゴロシの男の子を見つめていました。その男の子は私を見続けていました。暗く乾いていてなのに何かの決意が灯った瞳で私を見つめていてそして旅に長い旅にどうしたらいいのか分からないまま、私はその男の子と接していました。そしてどうしたらいいのか分かる日が来る前に長い長い旅に出てしまったのです。私は何もできないまま何も関われないままその男の子は長い旅へ知らない見たことないあの笑みを浮かべない正しさばかりのつまらない面白くない退屈な人間に変わってしまってところであのその人とは誰なのでしょうかあの笑みの理由がもう分かれなくなって私はどうすべきだったのでしょうかどのような行動をとるべきだったのでしょうか。「つ。ぉらっ」乱暴に腰を掴む手の不愉快な感触がします。振り返ると惨めにへこへこと猿のように動く退屈なものが狭まった視界から見えます。退屈な今が私の中にある記憶にないあの男の子の笑みを押し流してしまいました。記憶にないのに記憶にあるみたいに体験したみたいに経験があったみたいに見えてしまうのです。WWDWでタビをしているときにしかあのヒトゴロシの男の子の笑みが見えないのです。私はその笑みの理由を知りたいのになぜ知りたかったのでしょうかそれはきっと理由を知ってそうして私はどうにかその男の子を……情けない吐息とビクッという痙攣、そして下腹部の不愉快な感触、終わったみたいです。お早いですね。「はあ、はあ……」顔に伸ばされた手を私は払いのけて、ふらっふらのお猿さんを押しました。するとふらついたまま、お猿さんはズボンを上げて、そのままふらふらと何処かへと歩いていきました。車に轢かれないようにお気をつけて。轢かれてしまったらお気の毒さま。


「……」


 雨が降りそうです。空が暗い。余韻が残っています。あの男の子の空虚な笑みが。長い長い旅に出てもう戻ってきてはくれないあの男の子の姿が。

 ……多少強引にでも、私はその男の子に想いの丈をぶつけるべきだったのでしょうか。いいえ、ぶつけるべきではないのでしょうね。私は……不器用です。不器用に歪んで、きっと駄目なやり方で、ぶつけてしまうことでしょうから。歪みたくなんかありません。誰だってそうです。私だって、そう。……人は歪み続けたら、やがては元に戻るのでしょうか。それとも見た目だけは元に戻り、中身はずっと歪み、歪んで、歪み続けるままに変形していく……。

 いそいそとパンツを上げて、スカートを持ち上げてポケットに手を突っ込んで。

 取り出すのはピルケース、中身を手に出し口に放り込んで、あらかじめ買っておいたお水で流し込みます。早ければ早い程効果は高く、水なしだと効果が薄いって、お父さんもお母さんも言っていました。親の言うことを忠実に聞く私は良い子です。まあ、あの人たちはあくまで娘の好奇心に答えてくれる親心で説明したにすぎず、その実践対象にまさか実の娘が含まれているだなんて、夢にも思っていないでしょうけど。今のところはこれのおかげで大丈夫ですが、万が一妊娠してしまったら……どうしましょう? 知らない男に犯された、とでも泣いてみましょうか。大事になっちゃうかな。めんどうだなあ。


「ああそういえば……」


 明日は持ち物検査でしたね。ケースは家に置いておきましょう。見つかってもどうとでも言い逃れはできますが、薬の名称なんてじっくりと見ないでしょうから頭痛薬やらお腹の薬だとでも言えますし、生理がひどいから飲んでいるんですとでも言えば、良識ある殿方はそれ以上を触れようとしませんし……うん、やっぱりやめておいた方が良い。WWDWの件もありますし、短絡的な思考が得意な方々に無用な疑いをかけられかねません。延寿さんとか。延寿さんとかっ。

 ああそうでしたね、持ち物検査とは、嫌われ者の延寿さんがさらに嫌われるようになる日でした。延寿さん、延寿さんはいつだって正しいです、いつも正しく、ヒトゴロシなんてとてもしそうになくて、煙たがられて、嫌われて、怖がられている。よく分かりません、よく分からないんですが、本当によく分かんないんですけど、私は延寿さんを見ていると、すごく、すごく、苛々してきちゃいますっ。いつも見ていますが、いつもイライラしています。なんでしょうかこの……ズレたものを見る感覚は。気味の悪い、期待していたものとはまるで違うものを見てしまった感触は。あの男の子は長い長い旅に出て、私はそれを追いかけたいのに、延寿さんの存在がそれをまるで台無しにしてしまっているこの無性に腹立たしい気分は。

 延寿さんの正しさをばっきばきに折ったら清々するのでしょうか。ああ延寿さん延寿さん延寿さん……なんでそんなに、正しくいようとするんですか。前世で人殺しをしてしまったその罪滅ぼしとでもいうのですかっ? 理由、知りたいですっ!

 ……はあ。でもこれ、吐き気がすごくなるから嫌なんですよね。

 タビの為と思えば、我慢も必要なのですね……。

 タビとは良いものです。タビとは本当に素晴らしいものです。

 みんなで楽しく、騒がしく、ふざけあって、貪り合って。

 退屈を忘れて、つまらなすぎる日常に唾を吐き。

 みんなでみんなを道連れに、仲良くタビに出かけましょう。

 どこへでも、どこまでも、すべてが非常識で新鮮すぎる自壊のタビへ。

 それで死ぬなら、それでいいじゃありませんかっ。

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