ガンギマリ
暗い暗い夜の街には、雨が降り始めていた。
「はあ……寒い……」
巌義麻梨は歩いていた。のんびりと逃げていた。
裸の上からは真っ黒なレインコートを着て、全身を打つ雨の冷たさに身体を震わせながら。
父親が所有するビルの地下室からはどうにか脱出できた。
今往く路は、帰路と云えば帰路だった。帰ると云えども、今まで住んでいた場所とは別の住処だが。
自身の行いは既に知られた。
WWDWを人々に渡していたクスリの売人としての自分は既にバレたのだ。
そんな自分が今まで住んでいた家に帰ろうと、通報を受けた警察がやってきて捕まるだけだろう。独房の中は狭くて窮屈で、旅という行為とはかけ離れている。今の自分ではきっと耐え難い苦痛となる。笑みが遠くなってしまう。あの乾いていて暗い、心をごっそりと持っていかれた笑みが……それだけは、いけない。
そんな理由で麻梨は逃げた。
違う場所へ。別のところへ行くことにした。
幸いにも協力者がいてくれたためにあのビルの地下室から逃げることができた。
逃げた先の滞在場所もその人物がひとまずは用意してくれている。そこで世話になり、その後は……その後はさて、どうしたものだろうか。麻梨はその場所に向かって歩きつつ考えていた。
「……ふふ」
ふと、頬が緩んだ。あのビルの地下室での正しさに呪われた彼との会話が、実に楽しかった為だった。あの会話の中で出された命令と提案を頭の中で反芻していた。
頭のおかしな彼はやはり自分と似た人間だった。
そんな彼から、魅力的な──口では魅力的ではないと言ったのだが──実に魅力的な提案をされた。オカルトとミステリーには興味がないし、獅子舘委員長へ対しての忠誠心も欠片もないけれど、それは魅力的な提案だった。是正の理由としては十分だった。同類である頭のおかしな彼が頑張っているのなら、自分も頑張ってみるのも良いかもしれない。
「ふふふっ」
幸せの中にいる、とはこのことだろうか。
充実だった。退屈ではなかった。
トリップしている光景とは種類の違う、不思議な温かみのある充実だった。
いつの間にか、だった。
目の前には自分と同じような真っ黒なレインコートを着た人物がいた。
その人物こそが、『案内人』だった。
「ああ。ありがとうございます。助けてもらって……」
麻梨がそう言うと、ガイドは無言で麻梨へと近寄り。
「 ぁ」
とん、と麻梨は下腹部になにか当たった感触を覚えた。
見ると、ガイドの手に握られている柄が、自分の下腹部をかき回していた。
「え、あ」
ぼたぼたと中身が落ちている感覚があった。
自らの下腹部がからっぽになっていく感触がした。
「いぁ」
前へ、うつ伏せに麻梨は倒れた。
痛みはなかった。熱だけがこもっていた。
どん、と背中に乗られた衝撃が伝わった。
ああ……、と麻梨は思った。なぜなのだろう、とも思った。
(なんでなんでしょうか……)
左の首筋に何かひんやりと冷たいものを当てられた。無機質な硬さの金属だった。
(死神がいるのが……いつも幸せの最中なのは)
頸に当てられたそれが、真っ直ぐに首を横断していった。
左から──右へと。
Far away from here──end.