ゴボゴボ少女と『ガタガタ青年』
バイタルサインはすべて正常値を示している。
測定データのログを遡ってみるも、特に異常は無い。
脳波は我々人類と同様にレム睡眠とノンレム睡眠を周期的に繰り返し、今は夢を見ているようだ。穏やかな表情が現に物語る、平穏であろう夢を。
「……」
出自の分からないこの少女にも、心はあるのだろうか。
心……もう少し具体性を持たせるならば、思考し欲求し記憶する、意識が制御する内面世界の能動的な情報処理機能を所有するのか。
無ければ、あの一瞬の笑顔は浮かべられないと考えるが、反射的なものとも思える。どちらにせよ、眠っている現状では結論が出せない。起きてもらう必要がある。この少女が起きて、対話が成立したならば、心を有する可能性は高くなる。そうして、私はそうである可能性を望んでいる。
「……」
円筒の培養槽には液体が満ちており、絶えず水泡が浮かび上がっては上部の配管から排出されていく。
中に揺蕩う少女は目をつむり起きる様子は未だ無い。既に死んでいるのではないか、とも最初は考えた。生命が燃え尽きる最期の瞬間に偶然私たちが居合わせただけなのではないか、と。結果は違った。少女は今も生きている。あの親愛に満ちた笑みは少女の最期の輝きではなかった。その情報は少なからず私を安堵させた。
生体情報をモニタリングしたりしていないかな、と紗夜が言い、備え付けてあったモニターと入力インターフェース(しごく一般的なキーボード入力だった)のキーを押すとモニターに生体情報が表示されたのだ。数値は少女が生きている事実を無機質に並び立てていた。
タッチパネル式でもあったモニターの画面に触れて、画面を切り替える。
身長、体重、……姿かたちを構成する諸々の情報が示され、ログを辿ると山も谷も無い平坦なグラフが構築される。少女の身体は成長していない。時が停まっているかのようだ。
「……」
機械の駆動音と、配管から微かに聞こえる供給、排出の音。
ごぼごぼと、また水泡が浮かび上がる。
ごぼごぼしている部屋、と紗夜は言う。幼児性に溢れる素敵な表現だな、と彼女にそう伝えたら無言で脇腹を穿たれたのが記憶に新しい。
「あーっ。また、ここにいるっ」
眠りについた後は必ず目が覚めるのだという確証が欲しかった。
どのような眠りの落ち方であれ、空白のシーケンスが挟まったとてそれは永い時間の僅かな欠落でしかなく意識の連続が恒久的に途絶えたことを意味しないのだと証明したかった。意識は永久に健全な姿で保たれて砂のように崩れてしまわず、無常の風に吹き散らされることはないんだ、という結果が欲しかった。
「そんなに情熱的に見つめていると増えちゃうよ?」
冗談なのだろう。
背後の紗夜が私に投げかけた言葉は因果が破綻しており意味が通らない。
「気づいたらきみはここにいるね」
きみの帰るべき場所ってここなの?
ごぼごぼとした水泡を眺めるのはそんなに楽しい?
それとも気持ちよさそうに眠る全裸の女の子のほうが目当て?
確かにその子可愛いよね。でも私も負けないぐらい可愛いんじゃないかな。
神秘性では負けているかもしれないけど、ただ家庭的なのはどちらかと問われれば百人中の二百人は私だと答えると思うよ。
あ、分かった。槐くんは健康な女の子の生体情報を眺めるのが実は好きなんでしょ? お、三時間四分五秒前に一度心拍数が異常値を示しているな、興奮してきた、って感じなのかな? どう? あってる? 人の命が無機無機な数値の変動で構成されていることに極端な高揚を覚えるタイプだったり? ふふ、私は良いと思うよ、そういうの。きみらしくて。
「……」
身長、体重、胸囲、お腹周り……そういった身体のあれこれも見れるもんね、それ。
どう、おっぱいは大きくなってそう? お尻は? 胴はくびれてる? もちろんチェックしてるでしょ? ん? 見た限りだとくびれてるよね、顔可愛いし、胸は……バランスが良いし、私みたいにね。お腹も張りがあって、お尻はそこそこかな。
んー……私の体型に近いかも。そう考えると何か私の身体を観察されているみたいで照れるなあ。
そんな真剣な表情でモニター見たり女の子……裸の女の子を見たりさ。集中しすぎてさっきから私の話を無視しているし。
分かる? 私ずっとひとりで喋ってるみたいになってるんだよ?
なんだか猫に話しかけている気分。耳だけこっち向いているんだけど、何の反応も示されない感じ。まあ、きみは耳すらこっち向けていないんだけど。
でも不思議だよね、液体に浸かっているだけなのに、どうして生体情報とかがモニタリングできているんだろ。この循環している液体に秘密があるのかな……。
「……」
あ、そうだ。生体的な特徴を見た限りだと女の子なんだから月経はどう? その前に排卵はするのかな? 初潮がきてるのかも分からないね。私たちと同じぐらいだから、もうきてそうなものだけど。それとも、そのあたりの構造は私とかと違うのかな……もちろんきみはそこの情報も、そのモニターで見ているよね? それとも実物で観察しているの? 液体は循環しているっぽいし、衛生的には大丈夫だと思うんだけど……そう考えると排泄もだね。あでも、出てくるものはあるのかな。液体はともかく、固形物はどうだろう。私がいるタイミングではそういう様子は無かったけど、きみは見た?
見たでしょ?
見たんだ?
感想聞かせて?
「……」
ずっと私の言葉無視するじゃん。
それにこっちを見もしないのはすごくない?
普通、家族が、それも綺麗で可愛らしい自慢の姉がこんなに話しかけているなら一瞥ぐらいするよね?
そろそろ答えてくれてもいいんじゃないかな?
あんまり無視すると奇声あげながら背後から奇襲するよ。
「紗夜」
「なあに?」
「うるさい」
「ふぎーーーーー!!」
なにか背後で奇声が聞こえる。
次いで背中に軽い衝撃が走った。
特に問題は無い。義姉が奇声をあげながら襲いかかってきただけだ。
「なにか用があるのか」
「特にないよ。暇になったから見に来ただけ。私に雑務を押し付けて暇を満喫している弟くんはどこにいるんだろうなーって、地下の女の子を欲望の赴くままに眺め散らかしているんだろうなーってここにきただけ。それだけだよ。それだけそれだけ。ん?」
とん、と紗夜が隣に並び立ち、私を下から覗き込む。
「涯渡家の手続き諸々に関してはきみのほうが上手くできる」
「それは当然そうだけど、きみも私のやること見てなきゃダメでしょ。どうするの? 私が逮捕されたりなんかしていなくなったら、涯渡家のそのテツヅキモロモロとやらは全部きみがすることになるんだよ?」
「逮捕される予定があるのか?」
「今のところないかな」
「そうか。てっきりあるのかと思っていた」
「ん?」
下から私にメンチを切っていた紗夜は、勢いをつけて私の胸部に頭突きを喰らわせてきた。
軽くそれでいて打ち所の若干悪い衝撃が鳩尾を突き抜けた。
「……」
「猫は信頼の証に頭突きをするんだよ」
「きみの場合は?」
「姉も信頼の証に頭突きするよ?」
え、なに、知らなかったの? と爽やかな笑みを浮かべた義姉が宣う。
「……知らなかったよ」
「良かったじゃん。いま知れて。姉にまつわる豆知識を」
略して姉知識、と紗夜は何も考えていないだろうことが明白の放言をし、私の手元で変動するモニターを見て、「うんうん、今日も健康だね」私と同じ判断を下した。
「どんな夢を見ているのかな」
「さあな」
「幸せな夢だといいね」
「……そうだな」
同意の理由は単純だ。
眠る少女の見る夢が悪夢であってくれることをわざわざ願う理由が無い。
「この子に名前はあるのかな」
「……この部屋と地下室の残り二部屋を見た限りだと、名を指すような記録はなかった」
「ふんふん。お父さんは私たちにこの子の名付け親になってほしかったのかも」
紗夜がにやりと私を見た。
問われる言葉の予想がついた。
「どんな名前が似合うと思う?」
「名前……」
予想がついたとて、返答は思い浮かばなかった。
目の前の少女の名。「姓は涯渡だ」
「うん。義理の子どもということにしようか。年齢あんまり変わんなそうだけど」
「……妹では?」
「なんで? 子どもでいいじゃん。私たちの」
「きみはいま何歳だ」
「十五歳。先にいうときみは十四歳」
「見た限り、この子は同い年ぐらいだ」
「この子が同じぐらいの十五歳か十四歳だと仮定すると零歳、あるいは一歳の時の子どもかなあ」
「無理があるだろ」
「そうだね。精通していないね。私も初潮がきていない」
いまはもうとっくにきたけど、と不要な情報とともに紗夜が眠る少女を見上げる。
「妹ちゃんかなあ……ね? すぐに起きたら、妹として迎えようか」
すぐに起きなかったら、と紗夜は続ける。「娘として迎えよう?」
「……歳月はこの子にも影響を及ぼす」
「ふん。モニターで見て知ってるでしょ。この中にいる限り、この子に肉体的な成長は起こっていない。現状、この子は例え十年後でもこの姿から変わらない」
「どこかのタイミングで急激に成長するかもしれないだろう」
「成長期みたいな? 槐くん、言ってて自分で信じてる? その言葉をさ」
信じてはいない、と私は思うも口には出さなかった。
培養槽の中の少女は、肉体的成長とは無縁になっているようだ。
「槐くん、このゴボゴボの中に浸かっていれば永遠を実現できるかもよ」
私にそう言う紗夜の眼はにやついている。
死に怯えるきみはこの中に入っていたほうが良いんじゃない、とでも言うかのように。
「死ぬのが怖いきみはこの中でならガタガタ震えなくて済むんじゃない?」
同じようなことを言われた。業腹だ。
「動けずに夢だけを見ている状態は、死がいくらかマシになっただけだ」
「永遠の夢を見られるのなら、それでいいんじゃないかなあ」
「永遠の悪夢ならどうする」
「悲観的だね」
「可能性がゼロでないのなら考慮すべきだろ」
「ふふ。やだな、それなら」
そこで、私と紗夜の言葉が途切れた。
二人して沈黙に貢献し、ゴボゴボという音の響く部屋で眠る少女の穏やかな表情を見上げていた。
「名前、考えておいて」
沈黙を破るのはやはり紗夜だ。
少女から視線は外さず、言葉のみが私へ向けられる。
「……ああ」
「もちろん、私も考える。一文字ずつ持ち寄って合わせるとかでもいいかも。うんうん、そのほうがいいかも」
名前。この少女の名前。何が良いだろう。
今は何も思い浮かばない。何が良いだろうか。少女が目覚め、対話し、そうして……。
「凸と凹が合体して□になるみたいにさ」
「ああ……そうだな」
「生返事。また私の話聞いていない。いまの『変なこと言うな』ってところでしょ」
「変なことを言ったのだろうなとは思ったよ。ただ、面倒だった」
紗夜は私の言葉に憤慨したようだった。重めの衝撃が真横に生じたことからも分かる。
「でも、どんな文字が良いかな……奏でる、とかどう? いまパっと浮かんだんだけど、きれいな音楽みたいな人生がこの子には似合うかなと思って」
「奏でる……音楽を……」
「第一印象だから修正はされるのかな、たぶん……でもこういうのって第一印象が最後までしぶとく残ったりもあるかもだし……」
目覚め、対話し、そこに意識と感情を発見し、由来の知れない少女も心を有するのだと結論できた後に、私の助力をしてもらう。
この少女の異常性が光明を与えてくれはしないかと私は考えている。きれいな音楽と紗夜が例えた少女の人生の奏でる旋律が、私に永遠を運んできてくれるのではと。
「……」
「なんか、すごく黙ってるね」
「……我ながら、言い回しが夢を見過ぎた人間のそれだと思ったんだ」
「何言ってるの? ポエミー過ぎたってこと?」
怪訝な紗夜の表情はころりと変わり、笑顔になった。いつもの笑みだ。
「さてさて。神さまに、運命さまさまに、願わなきゃね。早くこの子の夢の中で巨大なアラームを鳴らしてください、って。あなたの目覚めを待っている人が少なくとも二人いるよ、ってね」
「神も運命も、何もしないよ。目覚めさせるのは俺たちだ」
私の言葉に紗夜は「そだね」とだけ返し、
「確実に祝福されるだろうこの子の目覚めの日まで、とりあえず生きていこうよ」
ごぼごぼしている部屋の中で、快活な紗夜の声が響く。
「涯渡家に遺された二人の子供で力を合わせて────蛇のように賢く、鳩のように素直にね」
ああ、と私は頷く。
素直さでもって死を恐れ、故に永遠を希い、実現させるための聡さを最大限に機能させ続ける。
目覚める少女に心はあるのだろうか。少女の純真な意識に働きかけ続けよう。どうか私に死を逃れるための手段を、私とともに考え続けてほしい。手段は問わない、過程は問わない、結果のみが肝要だ、と。人倫は問わない、善悪は問わない、私はきみの行いを何も問わない。
ただ私の永遠の実現を手伝ってくれ。
あるいは私に、永遠という結果を見せてくれ────と、そう。




